日本最古の道 
歩く山の辺の道(その1)
 
   (奈良県桜井市)   
iー愛ロマンチカ              
    
山の辺の道(やまのべのみち)とは
「山の辺の道」は、史実に現れる我が国最古の道。
奈良盆地が大きな湖だった頃、盆地東側に連なる山々の山裾の湖岸通りを人々は往来した。
この道が、「山の辺の道」の始まりで、標高60~70mの位置にある。
湖面が時代とともに下がるに従い、上つ道、中つ道、下つ道ができた。
山の辺の道の沿道には、
記紀や万葉集ゆかりの地名や伝説、神社や古寺、古墳など多数あり、歴史街道ともいえる。
   
今回(2013.4.23)歩いた山の辺の道
山の辺の道は桜井から奈良をむすんでいるが、
今回は南コースの桜井~天理間の「上つ道」を、現地に立つ道案内標識に従い歩いた。
JR桜井駅を出発し、
山の辺の道のスタート地点「佛教傳来之地碑」から、終点石上神社まで歩き、
天理駅から戻った。
    
経 路
JR・近鉄桜井駅
1.5km
佛教傳来之地碑
  (山の辺の道)  12.8km
石上神社
2.0km
JR・近鉄天理駅
   
2013.4.23JR桜井駅に到着。
山の辺の道スタート地点、駅から約1.5km佛教傳来之地碑へ向かう。
    
桜井駅から南へ約150m地点で左折し、本町通り商店街アーケードに入り、
道なりに進んでアーケード出て、その先で小さな跡見橋を渡る。
ここで茶臼山古墳に立ち寄るため、橋から約100m地点の
カーブミラーの先から右折する。
    
細い道の正面に、4世紀初頭築造全長207m高さ23m前方後円墳の国指定史跡茶臼山古墳
荒れ放題の
古墳頂上頂上からの眺望
    
元の道に戻り、川沿いに約200m進み赤い郵便ポストから左折して細い舗装道に入る。
その先で
近鉄大阪線踏切を横断し、続いて県道200号線を横断して真っ直ぐな道を進む。
    
県道から約500m地点で県道105号線高架下を潜り、
正面標高467m
三輪山に向かって進み突当り丁字路で左折し、大和川(初瀬川)沿いに進む。
    
約200m進んだところで、まだ新しい馬井手橋大和川を渡る。
大和川左方は、三輪山。

    
橋を渡り切り、左折(写真右)する。
すぐ右側に、佛教が初めて日本に送られてきた記念の
佛教傳来之地碑
    
スタート
佛教傳来之地碑から約50mのところに
右へ下る坂道があり、ここが山辺の道のスタート地点。
ここから先は、三輪山の山裾を進む。
金屋地区の
細い坂道を下り、県道199号線を横断し真っ直ぐな道を進む。
    
その先の丁字路は、カラーの道を直進し道なりにゆるく左にカーブする。
分かれ道の角に、海柘榴市(つばいち)案内板。
海柘榴市:この金屋あたりは、古代の市場海柘榴市のあったところ。いろいろな街道がこの地に集まり、大陸の使節も大和川の舟運を利用してこの地まで遡り、大いににぎわった。
その先の
カラー道が途切れた丁字路で右折し、細い道を進む
   
道はゆるい坂道となり、緑の中の道を上り、石畳の道になり喜多美術館角で左にカーブする。
カーブする
右側のお堂に、
平安初期から鎌倉時代のものとされる2体の「金屋の石仏」が安置されている

    
ますます細くなる道を上り、突当り丁字路を右折して三輪山の裾野の山道に入る。
    
突当りを左折し、三輪地区に入る。
突当りの階段は、聖徳太子が開基といわれる平等寺赤門への参道階段。
境内の周りを道なりに進み、
右にカーブする。
   
山門前で車道を横断し、ゆるい坂道を下り、突当りを左折する。
    
その先の分かれ道は、右手を進み、成願稲荷社前坂道を下り、
突当りコーナーを直進して
参道階段を上り大神神社(おおみわじんじゃ)境内を進む。
    
大神神社:大和国一宮で、創建不詳であるが日本で最古の神社の1つとされている。
三輪山そのものを神体とし、
本殿をもたず拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る原始神道の形態を残している。

境内を横切り、
階段を上り、祈祷殿の前を通り奥に進む。
   
隅に「久すり道標柱の立つ階段を上り、上り切ったところで左折して木立の道を進む。
    
左側池を過ぎたその先で道は分かれ、茶店のある左手を進む
右手は、
狭井神社(さいじんじゃ)への参道。
狭井神社:大神神社の摂社。創建は垂仁天皇の時代。
拝殿の左後ろには、
神社の由来になっている神水の井戸・狭井がある。ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれている。狭井神社は、鎮花祭が行われる神社として有名で「花鎮社」ともいう。

    
その先の分かれ道は左手を、続いて宗教法人敷地角から右折し、細い道を進む。
    
道は石畳となり、ゆるい坂道を下り茅原地区に入り分かれ道は左手を進む。
右手は、龍神神社への参道で、坂を上り切ると
がありその向こうに龍神神社。
参拝は遠すぎ割愛。

    
元に戻り山裾の坂道を下り続け、林を抜け
龍神神社参道の分かれ道から約600m地点の次の
分かれ道は右手を進む。
    
突当りを道なりに左折し、石積の白壁沿いに進み、中ほどに玄賓庵密寺の山門
玄賓庵(げんびあん):
桓武・嵯峨天皇の信任を得ながら、
俗事を嫌い782年に三輪山の麓に隠棲したという玄寶僧都の庵。
謡曲「三輪」の舞台としても知られている。

山門からさらに白壁沿いに進み、突当りを右折する。

    
石積塀に沿って進み再度三輪山地区に入り、突当りを左折してゆるい坂道を上る。
その先で、
ゆるい下坂となり道なりに進む。
    
玄賓庵から約300mの突当り、檜原神社境内前丁字路を左折し、
境内沿いに進み、角を右折して
参道を横切る
    
境内から前方に二上山、奥に三輪鳥居
二上山:ラクダのコブのような形をした山で、
右側の雄岳の山上には謀反の疑いで自害させらた天武天皇の第3子大津皇子が墓がある。
姉の大伯皇女が皇子の死を悼んでうたった歌。(万葉集)
「現身の人なる吾や明日よりは二上山を弟背と吾が見む」
檜原神社:大神神社の摂社。神殿、拝殿がなく三輪鳥居があるだけ。
祟神天皇時代天照大神を宮中からこの地に遷し、
その後垂仁天皇時代に伊勢神宮(内宮)に遷された。
遷宮後も引き続き天照大神を祀っていたのでこの神社は「元伊勢」と呼ばれている。

    
境内の石垣の外れで右折し、突当りの丁字路を左折して進み、
その先の
突当りを右折してゆるい坂道を上る。
    
すぐ先左手の視界が開け、青空ならと思わせる素晴らしい景色が目の前に展開する。
道の脇に立つ「
大和の青垣案内板には、
このあたりは古事記に、
「大和はくにのまほろば たたなづく青垣  山ごもれる大和し 美わし」
とうたわれている幾重にも山々の緑の垣根に囲まれたところ、とあり、
現在は大和青垣国定公園。
坂道を下り、下り切ったところで箸中地区の
県道50号線丁字路に出て、左折してさらに下る。
    
左側に「大和青垣国定公園標識の立つ公園沿いに進み、
丁字路から約400m先の
分かれ道は、右手を進む。
    
分かれ道から約200m先の次の分かれ道は、右手の坂道を下り穴師地区に入り、
50mほど先の
丁字路を右折して、道なりに大きく左にカーブして進む。
    
分かれ道は左手を進み、突当りの左にカーブする分かれ道は右手の坂道を上り、
道なりに
右にカーブして急な坂を上る。
    
左方に山並を見て、次の分かれ道は左手の平坦な道を進み、
その先右側草むらのマウンドに明らかな手書きの「
みかん発祥の地白杭(合成写真)
ミカン発祥の地:垂仁天皇の頃には、すでに九州や紀伊でミカンがとれていたが、
記紀神話では、ここ穴師が日本発祥の地とされている、とのこと。
穴師は、垂仁天皇の都があったところ。
天皇は長寿の薬である柑橘を手に入れるため忠臣の田道間守を中国江南地方に遺したが、
田道間守が苗木を持ち帰った時にはすでに天皇は亡き人で、
嘆きのあまり田道間守も亡くなった。
家来たちが、その苗木を穴師の里に栽培したのが、わが国の「みかん」のはじまり、という。

    
道なりに進みその先の交差点で左折し、
ゆるい
坂道を下り、約250m地点の電柱の立つ茶色の建物から右折する。
    
細い少し急な坂道を下り、突当りで右折してすぐ先の分かれ道は左手を進む。
    
砂利道の農道を進み、交差点左角に「神籬(ひもろぎ)遺跡案内板
立寄るため交差点を左折し、数十m右側に遺跡。
神籬:神社や神棚以外の場所において祭を行う場合、
臨時に神を迎えるための依り代となるもの。

元の道に戻り、さらに進み
突当りを左折する。
    
ゆるく右にカーブして道なりに進み、分かれ道は左手を、次の丁字路は直進する。
正面に、景行天皇陵が現れる。
この辺りから、桜井市から天理市に入る。
   
以下、山の辺の道(その2)へ
    
その2へ
    旅と旅行と