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海に向かて進み、危険なところにはちゃんと手摺。
弘法大師が、御厨人窟で修業中この池で行水をしたという、「行水の池」。
深そう、足もと大丈夫だったのかな~。それに曇天のせいか、水の色もいまいち。 |
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遊歩道。班レイ岩でできている「ビシャゴ岩」。
ヒシャゴ岩(案内板要約):約1400万年前、マグマが地層に貫入して固まった岩で、水平に貫入したものが、
その後の地殻変動でほぼ垂直に回転したもの。
ビシャゴ岩悲話:昔、この辺りに「おさご」という美人が住んでいた。あまりにも美しかったので、
世の男どもが毎日朝夕船を漕ぎ寄せてきて求愛した。
おさごは、その煩しさに耐えかねて、ついには「これから私のようなつらい思いをする娘ができませんように、
この室戸には美人が生まれませんように」と祈りながら岩頭より身を投げたという。
こんな悲しいことがおきないように、私は競争率の少ない女性を好きになることにしています。エッ、関係ない?ごもっとも |
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遊歩道。ポットホール。タホニー。
ポットホール:岩石の窪みや割れ目に入った小石が、波による渦に巻かれて岩石を削り取ることによって出来た丸い穴。
ポットホールは、水中で形成されることから、地上で見られるものは、地震による土地の隆起の証拠。
タホニー:海水が岩石に付着すると、水分の蒸発と共に塩類の結晶ができ、この結晶の成長に伴う圧力で岩石に割れ目ができる。
これが次第に広がり穴が形成されたもの。この穴が沢山集まると蜂の巣のように見える。 |
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遊歩道。烏帽子に似ているエボシ岩。亜熱帯植物の遊歩道。
エボシ岩:班レイ岩という岩石でできている。約1400万年前、室戸がまだ深海にあったころ海底下でマグマの活動が起り、
そのマグマが海中でゆっくり冷えて固まり斜長石や輝石の大きな結晶からなる、班レイ岩となった。 |
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岩礁。海食台に立つ「土佐日記御崎の泊」碑。ヤッコカンザシの巣の化石。
「土佐日記御崎の泊」碑:紀貫之が土佐国から都へ帰る途中の出来事を綴った「土佐日記」に、
正月19~20日頃に御崎(室戸岬)に船を泊めた、と記されている。
ヤッコカンザシの巣の化石:ヤッコカンザシは、海面付近に直径数ミリの管状の巣を作って生息する動物。
その巣の集合体の化石が、海面より5mも高い位置にあるということは、室戸岬が巨大地震により隆起続けているという証。 |
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お花畑の遊歩道。もっとも新しい大地。熱帯雨林の遊歩道。
もっとも新しい大地:室戸半島は、100~150年間隔で巨大地震とそれに伴う津波に何度も襲われてきた。
そして、そのたびに地面が隆起し、大地が作られてきた。
この周辺の浜は、宝永地震(1707年)、安政南海地震(1854年)や昭和南海地震(1946年)によってできた、
「生まれたて」の大地。
今後、30年以内に70%の確率で発生するという南海地震でも、新しい大地が作られることだろう、とのこと。
あな、恐ろしや! |
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アコウ、アコウ、遊歩道。
アコウ:高知県では、海岸近くの岩の上に生息し、根を岩にからませ、さらに樹高を低く保つことで台風の被害を最小限にとどめている。
大小の岩に根を絡ませている複数の木に見えるが、なんとこれたった1本のアコウの木。あぁ~、頭こんがらっちゃう! |
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竜宮巌(案内板が風化で文字が見難く、竜宮巌かどうか自信ないな~)。タービダイト層。目洗の池。
タービダイト層:地震などをきっかけとして、砂や泥が混ざりながら海底の斜面を流れ下り、より深い海に運ばれる。
重い砂が先につもり、軽い泥が後につもる。
これにより砂と泥が繰り返す、タービダイトと呼ばれる地層が形成される。
写真のタービダイ層は、約1600万年前の深海でできたもの。
深海にあったものが、陸上で見ることができるのは、室戸半島が隆起を続けているため。
目洗の池:弘法大師が、この池の水を加持し人々の眼病を治したと伝えられている。ただ、今は、治りそうもない水の色でした。 |
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備長炭の原料にもなるウバメガシの林遊歩道。
この岩の上に向って小石を投げ上げ、落ちてこなこなければ子供が授かるという子授けの岩。
牛に見えるという牛角岩。何に見えるかは、ひとそれぞれですからね。 |
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遊歩道。灌頂ヶ浜。タービダイト層。
灌頂ヶ浜:弘法大師が潅頂の会式(正統な継承者となる儀式)をしたと伝えられる浜。 |
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乱礁遊歩道も終わりに近くなり、坂道を上り突当りで「Cafe ラポール」前駐車場の55号線に出る。 |
時は、11:45。 乱礁遊歩道入口から、1.2km 、所要時間約45分。 |