NO アーチィスト コ      メ      ン      ト 関連アルバム
1 スティーヴ・ルカサ
[STEVE LUKATHER]
(Guitar)
TOTOのギタリストとして一躍著名になったが、以前よりスタジオ・ミュージシャンとしてその名は轟いていた。ロック系のギタリストであったが、ラリー・カールトン(G)を師として仰いでおり、以前よりフュージョン思考の強いセッションを時折個人的な活動としてみせている。TOTOのアルバムにも初期から含めて時々インストの曲があるが、TOTOのメンバー自体がアドリブを多く取り入れるバンドでフュージョン思考は多少どのメンバーにもあるのかもしれない。彼はとにかくフル・ピッキングの速引きで、弦を縦に上ったり下りたりする様は、以前よりスケールを無視してジャズ的なアドリブを見せていたことからも多才さを感じさせる。どちらかというとディストーション系の伸びのある音を好んで使い、ライヴでのパフォーマンスは聴衆を引きつける。


TOTO/ハイドラ


ラリー・カールトン、スティーヴ・ルカサ
ノー・サブスティチューションズ
2 アラン・ホールズワース
[ALLAN HOLDSWORTH]
(Guitar)
多くのギタリストが彼の影響を受け、神とあがめるプレーヤーも少なくない。あのヴァン・ヘイレンも師と仰いでいる。ライト・ハンドなどあらゆるテクニックの影響を受けている。確かに音やテクニックは似てないこともないが、やはり似て非なるものでホールズワースの音や運指は独特で神懸かり的なものがある。自身のリーダー・アルバムも作成しているが、個人的にはU.K.時代の彼の演奏が最も気に入っている。「IN THE DEAD OF NIGHT」のソロはどのバージョンを聴いても絶妙なプレーである(コレクターズ・アイテムで比べてみても)。基本的にはプログレのセッション・プレーヤーと言うイメージが強く、かなり多くのミュージシャンやバンドとのセッション、録音を行ってきている。

U.K./1st


アラン・ホールズワース・グループ
/ライヴ・イン・トーキョー 1990
3 マイク・スターン
[MIKE STERN]
(Guitar)
1953年1月10日マサチューセッツ州ボストン生まれ、ワシントンD.C.育ち。バークリー音楽大学卒業。彼のギタリストとしての知名度を決定づけたのが80年代のマイルス・デイヴィス・グループへの参加であることは言うまでもない。マイルスと言えば若手の無名なミュージシャンの発掘に大変優れているが、彼が無名であったかはともかく、このバンドへ加入したことはおそらくその後の彼の人生を大きく変化させたものと思われる。アルバム「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」「スター・ピープル」などは確かにマイルスが引っ張り込んだだけあると言った彼の存在感を証明している。その後、ステップス・アヘッド【マイク・マイニエリ(Vib),マイケル・ブレッカー(Sax)】に参加するなど、スタジオ・セッション・ミュージシャンとして数多くの録音やライブを行ってきている一方、自身のリーダー・アルバムの制作やライブにも余念がない。2000年に入ってからはデニス・チェンバース(Dr)、リチャード・ボナ(B)などと精力的に活動を行っている。夫人がギタリストのレニ・スターンであることは有名。

マイルス・デイヴィス
/ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン


マイルス・デイヴィス
/スター・ピープル


マイルス・デイヴィス
/WE WANT MILES
4 フランク・ギャンバレ
[FRANK GAMBALE]
(Guitar)
ジャズ界きってのテクニシャンとも言うファンも少なくない。しかし確かに彼の存在を決定づけたのがあのチック・コリア・エレクトリック・バンドへの参加である。特にアルバム「ビニース・ザ・マスク」でのソロはどの曲においても彼の素晴らしさを全面に出している。ソロ活動も行っており自身のアルバムも数枚出しているが、本人の好みなのかメジャーな曲が多く賛否両論である。そう言う意味ではライヴ版を聴くのがお勧め。どちらかというとやはりプログレ思考が強いせいか、アラン・ホールズワーズなどのプログレ系ミュージシャンとのセッションや録音が目立つ。彼の演奏の特徴はスウィープ・ピッキング奏法というもので、そこにディストーション系の音を被せると天下一品。

チックコリア・エレクトリック・バンド
/ビニース・ザ・マスク


フランク・ギャンバレ/ライヴ


5 渡辺香津美
[KAZUMI WATANABE]
(Guitar)
1953年東京渋谷生まれ。中学の頃よりその才能は開花し、高校時代には既にプロとして一躍脚光を浴びる存在となった。渡辺貞夫をはじめとする国内のトップ・ミュージシャンとのセッションをはじめとし、70年代後半に結成されたキリン・バンド【坂本龍一(Key)、矢野顕子(Key,Vo)、村上秀一(Dr)、向井滋春(Tb)等】では当時のミュージック・シーンに衝撃を与えた。一方、国外での知名度は同時期に結成されたイエロー・マジック・オーケストラ【坂本龍一(Key)、細野晴臣(B)、高橋幸宏(Dr)】のワールド・ツアーに参加したことで一躍カズミの名が知られるようになった。、特にアメリカのボトム・ラインでのライブではYMO本体よりもカズミに注目が行ってしまうほどであった。自身のソロ活動やアルバム制作にも余念がなく、大ヒットしたアルバム「トチカ」ではツアーにマーカス・ミラー(B)、オマー・ハキム(Dr)、マイク・マイニエリ(Vib)などの蒼々たるメンバーを引き連れた。その後、カズミ・バンド【山木秀夫(Dr)、笹路正徳(Key)、清水靖晃(Sax)、高水健司(B)】を結成しアルバム「頭狂奸児唐眼」「ガネシア」などを発表。以来、現在に至るまで国内外のミュージシャンとの共演は数知れず、グレッグ・リー(B)、スティーヴ・ジョーダン(Dr)、マイケル・ブレッカー(Sax)、ビル・ブラフォード(Dr)、リチャード・ボナ(B)などまさに世界を股に掛けた活躍ぶり。しかしながらクラシックやアン・プラグド的な発想で活動を行うこともありファン層はジャズに限らず大変幅広い。また斬新的なアイディアで常に音楽に挑戦的な姿勢で臨んでいる姿は「MOBO」「桜花爛漫」「おやつ」などアルバムのタイトルを見れば一目瞭然である。90年代後半からは音大にジャズ科ができたことで知られる洗足学園ジャズコースの客員教授を歴任している。

キリン/ライヴ


渡辺香津美/MOBO


渡辺香津美/トチカ


カズミ・バンド/頭狂奸児唐眼


カズミ・バンド/ガネシア


渡辺香津美/MO’BOPU
6 野呂一生
[ISSEI NORO]
(Guitar)
日本を代表するフュージョン・バンド『カシオペア』のギタリスト。10代にしてこのバンドはデビューを果たすが、当時ヤマハが企画・運営していた”EAST WEST”という新人発掘コンテストの地方予選を突破、見事全国大会でも優勝しデビューを果たす。同じコンテストからはサザン・オール・スターズなども産出している。歌もののデビューが多かった中、インスト系で勝負して優勝するとはかなりその当時から実力があったと思われる。多くのフュージョン・ジャズ系ギタリストが尊敬の眼差しで彼の曲やテクニックをコピーする一方で、ジャンルに関わらず多くのギター・キッズのお手本でもあることは今も変わらない。カシオペアもメンバー・チェンジを繰り返しながら、本人自身もソロ活動や他のミュージシャンとのセッションを積極的に行い、90年代後半から2000年代にかけては、カルロス菅野率いる熱帯倶楽部や他のミュージシャンとのサポート活動にも積極的に参加している。ギターの音色に特徴があり、透明感のあるカッティングやソロもあれば、ディストーションが利いているにもかかわらず軽くやはり透明感のある音が一度聴くと癖になるファンも多い。

カシオペア
/アイズ・オブ・マインド



カシオペア/パーティー



熱帯倶楽部
/スピリット・オブ・リズム

7 ディーン・ブラウン
[DEAN BROWN]
(Guitar)
基本的にはジャズ・フュージョン系のセッションミュージシャンだが、特にマーカス・ミラーに気に入られ多くのライブやレコーディングに携わってきている。他にも第一線で活躍する大物アーティストとのセッションを重ねてきた経験が、2001年になって発売された初のリーダー・アルバムでその人脈の広さを感じさせた。彼の素晴らしいところは主役が誰かと言うことを常に意識しており、ソロでは勿論自分をアピールするが、バッキングにおいて他のミュージシャンを引き立てる術を持ち備えているところが、きっと多くのミュージシャンとの共演を誘われる理由であると思われる。ストレート・ヘアで長髪のイメージが強かったが、時としていきなり短髪にするなどステージ上での彼の姿には動きも含めて興味がある。

ディーン・ブラウン/ヒア



マーカス・ミラー・プロジェクト
/ベスト・オブ・マーカス・ミラー
8 ロバート・フリップ
[ROBERT FRIPP]
(Guitar)
メンバーチェンジの激しいキング・クリムゾンの中で終始ギタリストを務めた中心的存在。アルペジオでもピッキングでもその速度に関係なくマシンのように正確に弾きこなす、まるでリズム・ボックスのようなギタリストとは彼のことを言うのであろう。リズム・ボックスがそのまま両手になったような奏法は、延々と何時間でも同じフレーズやリズムを刻むことができる。そのような反面、非常に攻撃的でディストーションをガンガンかけまくる奏法がキング・クリムゾンの前期には特に見られる。「太陽と戦慄パート2」「レッド」などではまさにそのような一面が見られる。70年代後半にクリムゾン自体は一度解散するが、新生クリムゾンが誕生するまでの間、セッション・ミュージシャンとして、デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルビアン、ホール&オーツ、ブライアン・イーノ、ピーター・ガブリエルなど、多くのアルバムの録音に携わった。
キング・クリムゾン
/クリムゾン・キングの宮殿


キング・クリムゾン/太陽と戦慄


キング・クリムゾン/レッド
9 ジェフ・ベック
[JEFF BECK]
(Guitar)
孤高のギタリストと言われるが?、彼のヤード・バーズ時代からの功績は大変大きい。世界3大ロック・ギタリストに名を連ねたこともあるが、彼の分野が果たしてロックなのかフュージョンなのかプログレなのか・・・。インスト時代に入った頃の「ワイヤード」「ブロウ・バイ・ブロウ」「ゼア・アンド・バック」そしてワイアードの再来と言われた「ギターショップ」をはじめとするアルバムに人気は集中するが、強力なトリオで結成されたBBA【ベック、ボガード(B)、&アピス(Dr)】はまた別な意味でその重厚なサウンドと曲作りであったことを忘れたくない。ただインスト時代に親交が深まったヤン・ハマーとの出会いは彼にとっては曲作り、音作りをはじめとして大変大きな影響を受けたことであろう。常に新思考で新しいものを取り入れようとする姿勢には敬服するが、2000年前後のギター・シンセやリズム・マシンを多用した時期はベック・ファンとしては少々物足りないというか期待はずれだったような気もする。しかし、いずれにせよ20世紀を代表するスーパー・ギタリストであったことには違いない。私は恥ずかしいことに彼がピックを使わず指(爪)で弾いているということを知ったのがかなり後のことであった・・・。

B.B.A/LIVE IN JAPAN


ジェフ・ベック/ブロウ・バイ・ブロウ


ジェフ・ベック/ワイアード


ジェフ・ベック/ゼア・アンド・バック


ジェフ・ベック/ギター・ショップ
10 ジョン・マクラフリン
[JOHN MCLAUGHLIN]
(Guitar)
あらゆるジャンルの音楽をギターで弾きまくる幅広いセンスのギタリスト。ジャズ、ロック、フュージョン、R&B、クラシックや時折民族音楽系の曲やリフも見せる。なんと言っても70年代にマイルス・デイヴィス(Tp)のバンドで演奏した知名度は大きい。あの大曲「パンゲア」「アガルタ」のアルバムにも参加している。80年代では、超絶技巧トリオと言われたパコ・デ・ルシア、アル・ディメオラとの共演も話題となった。常に新しいものを探求する試みがいくつになっても見られ、90年代からはギター・シンセなども駆使して積極的に自身のリーダー・アルバムを発表したり、ライブを行っている。ギター・シンセを多用している時の音色に関しては、どことなくパット・メセニー(G)と区別がつくようなつかないような・・・。個人的には音楽に対する考え方や理論がパット・メセニーと似通っているタイプと判断している。

ジョン・マクラフリン/ザ・プロミス



マイルス・デイヴィス/パンゲア



マイルス・デイヴィス/アガルタ

11 エリック・クラプトン
[ERIC CRAPTON]
(Guitar)

ヤードバーズのギタリストを経て、以降、メキメキと頭角を現す。「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」「クロス・ロード」「ホワイト・ルーム」などの曲でも有名なクリームをジャック・ブルース(B)、ジンジャー・ベイカー(Dr)らと結成。即興演奏を中心にメンバーのあらゆる持ち味を出し惜しみすることなく常にエネルギッシュなライブを繰り広げた。デレク&ザ・ドミノスでは世界的なヒットとなった「レイラ」を生み出す。70年代に入り一時薬物中毒となり、全身の血液を入れ替えたということなどもあったが「コカイン」という曲はその影響か・・・。しかし21世紀を前に再びクラプトンは蘇り、ゴッド・ハンド、スロー・ハンドと言うサブ・ネームを思い起こさせるようになる。個人的には「チェンジ・ザ・ワールド」や「ワンダフル・トゥナイト」などは確かに一般受けはしたが、若かりし頃に自分自身が嫌っていた歌謡曲路線に走ってしまったような感がある。もちろん彼の持ち味は得意の泣きのフレーズがビシバシ入るブルース系の曲だが、やはり若かりし頃のクリーム時代の演奏はとげとげしかったものの絶頂期であったようにも思われる。しかし最近はまた新たな視点でジャズ、フュージョン系のバンドを自ら組み、スティーヴ・ガッド(Dr)、デヴィッド・サンボーン(Sax)、マーカス・ミラー(B)などの蒼々たるメンバーを引き連れて、インスト系への挑戦を精力的に行い始めたことは頼もしい限りである。彼のジャズでもフュージョンでもないジャズ・ブルース系のソロは何とも言い難い味がある。


クリーム/ホイールズ・オブ・ファイア





クリーム/ライブ・クリーム・VolU





デレク&ザ・ドミノス/愛しのレイラ
12 ジミー・ペイジ
[JIMMY PAGE]
(Guitar)
レッド・ツェッペリンのギタリスト。往年のブリティッシュ3大ギタリスト(他、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック)にも数えられる1人。結局、この3人は歴代ヤードバーズのギタリストでもあるが、最終的にそのヤードバーズを母体としてジミー・ペイジが結成したのがレッド・ツェッペリンとなる。ドラムのジョン・ボーナムが不慮の事故で亡くなるまで精力的にアルバムを制作し続けるが、ジョンの死後、ツェッペリンを解散することとなる。ロック・ギタリストでありながらあらゆる音楽性を追求し、どの曲においてもソロは勿論、リフやバッキングの隅々までをギターという独立したポジションとして大変よく考え抜いている。その意味においては他に類を見ないコンポーザーであり、レッド・ツェッペリン自体が他に類を見ないバンドであることは言うまでもない。ただし一説にはツェッペリンの曲構想の裏方としてベーシストのジョン・ポール・ジョーンズがキー・パーソンであったと考えている人も少なくないようである。当時のプログレを含むロック・バンドの多くが、ライブになるとスタジオ録音とは全く違うスタイルのいわゆるアドリブ演奏を長時間に渡って繰り広げていたが、ツェッペリンも例外なくその部類で、特に彼のライブでのパフォーマンスやアドリブは斬新的なものがあった。その時の様子はライブ版やビデオにもなっている「永遠の詩」で十二分に確認できる。個人的にはツェッペリン解散後に短命であったが彼を中心に結成されたザ・ファームというバンドも曲構成に優れていて忘れられないバンドであった。現在もソロやツェッペリンもどきのバンドを結成して活動しているが、ジョンの死後、ツェッペリンの代名詞とも言えるべき「天国への階段」は、二度とライブで演奏することはないと断言した。

レッド・ツェッペリン/U




レッド・ツェッペリン/W




レッド・ツェッペリン/プレゼンス




レッド・ツェッペリン/永遠の詩



ザ・ファーム/ザ・ファーム

13 リッチー・ブラックモア
[RICHIE BLACKMORE]
(Guitar)
往年のロック三代ギタリストと言えば必ず彼の名前が入っていた。果たしてディープ・パープルとしてのギタリスト、それともレインボーとしてのギタリスト・・・。どちらの知名度が高いのか?元々幼少の頃よりクラッシック・ギターをはじめバッハなどの音楽に影響を受けていることから作曲やソロにもその色が濃く、「バーン(紫の炎)」にはモロその色彩が強い。アルバム『イン・ロック』もハードでディストーション系のインパクトが強いかもしれないが、しかしそれぞれの曲には必ずといってよいほどクラッシックの要素がちりばめられている。と言うよりもほとんどのアルバムにクラッシック的要素が強く色濃く入っていると言っても過言ではない。その曲作りやソロのニュアンスは当然のこととしてレインボーのアルバムにも継続されている。当時はレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ(G)とよく比較され、ペイジがミス・ピッキングが多いのに対し、リッチーは正確でミスが少ないと評されていたが、そのようなことはもはや音楽性とは全く無関係のことで、比較論にもならなければ、比較する方もどうかと思われる。ロック界のミーハー・ギタリストと言われていた時期もあったが、確かに歌謡曲的な曲作りやフレーズを弾かせるとうまいかもしれない。

ディープ・パープル/マシン・ヘッド




ディープ・パープル/ライヴ・イン・ジャパン




ディープ・パープル/イン・ロック




レインボー/ロング・リブ・ロックンロール
14 エドワード・ヴァン・ヘイレン
[EDWARD VAN HALEN]
(Guitar)
70年代より兄アレックス・ヴァン・ヘイレン(Dr)と共にバンド活動を開始。ファースト・アルバム「炎の導火線」で衝撃的なメジャー・デビューを果たす。セカンド・アルバム「伝説の爆撃機」でもファーストに続く爆発的なヒット。アラン・ホールズワースにテクニックを影響されると聞いているが、確かに当時としてはライト・ハンド奏法、ハンマリング、プリング・オフを多用した奏法はギターの革命児と言われ、他に類を見ない演奏テクニックであった。さらにソロ以外でも曲の随所に光る彼のセンスの良い(格好いい!)プレイは多くのファンを魅了したに違いない。今でもギター・キッズの憧れの的である。比較的カヴァーによる曲がヒットすることが多く「ユ・リアリー・ガッド・ミー」「プリティ・ウーマン」などは有名。また多くの著名な歌手のアルバム制作に参加し、バッキングやソロだけをレコーディングすると言うことも数多くある。マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」のソロはその一つ。常に斬新的なテクニックを研究し続け、どのアルバムも聴き応えがあるが、やはりデビュー当時の2つのアルバムはエネルギッシュで挑戦的な曲構成が多く、個人的には最も聴きまくったアルバムである。

ヴァン・ヘイレン/炎の導火線


ヴァン・ヘイレン/伝説の爆撃機


ヴァン・ヘイレン/ダイヴァー・ダウン


ヴァン・ヘイレン/1984


ヴァン・ヘイレン/ライヴ
ライト・ヒア&ライト・ナウ
15 パット・メセニー
[PAT METHENY]
(Guitar)
1954年8月12日カンザス・シティ生まれ。13歳の時から独学でギターを始める。若くしてその才能を認められ18歳でバークリー音楽院の講師を務める。彼の最も大きな飛躍は自身のパット・メセニー・グループ【ライル・メイズ(Key)、スティーヴ・ロドビー(B)、ポール・ウェルチコ(Dr)、アーマンド・マーカル(Per、Vo)、デヴィッド・ブラマイアー(Vo)、マーク・レッドフォード(Vo)】の結成であると思われるが、と同時にそのバンド結成のきっかけとなったキーボーディストのライル・メイズとの出会いはかなり彼の人生に大きな影響を与えたのではないかと思われる。どんなジャンルの音楽をもこなし、プログレ、クラシック、スイング系のジャズなど、どの演奏を聴いても文句なく素晴らしく、パット・メセニーの真のファンには大変失礼な言い方であり、賛否両論あると思われるが、やはり彼のファン層を拡大したのはこのパット・メセニー・グループでのさわやかで斬新的なアイディアを豊富に盛り込んだサウンドと言えるであろう。ファンにとっては彼がミーハー思考になり、特にアルバム「ウィ・リヴ・ヒア」を含めた9回ものグラミー賞の受賞は喜ばしいことではないのかもしれないが、しかし確実にファン層を拡大し、今後も斬新的な音楽活動を続けていってくれるだろうと言う期待は、2002年に入って新生パット・メセニー・グループ【アントニオ・サンチェス(Dr)、リチャード・ボナ(B、Vo)、クン・ヴー(Tp、Vo)新加入】が結成されたことでなおのこと膨らむ。

パット・メセニー・グループ/スティル・ライフ



パット・メセニー・グループ
/レター・フロム・ホーム



パット・メセニー・グループ/トラヴェラー



パット・メセニー・トリオ/ライヴ



パット・メセニー・グループ
/スピーキング・オブ・ナウ
16 リー・リトナー
[REE RITENOUR]
(Guitar)
1953年11月1日アメリカ・ロサンゼルス生まれ。70年代より一気に飛躍したジャズ・フュージョン・ギタリスト。出世作ともなったアルバム「ジェントル・ソウツ」をはじめ「ザ・キャプテンズ・ジャーニー」など往年のジャズ・ギタリストたちの影響を受けながらも独自の曲想を確立していく。これ以降、ハービー・ハンコック(Key)、スタンリー・クラーク(B)、デイヴ・グルーシン(Key)などとのセッション活動やレコーディングを行う一方、自身のリーダー作も精力的に制作していく。80年代からはブラジル、ラテン系の音楽に興味・関心が強くなり、ファンク系の曲を幾つか作る。90年代に入ってはフォー・プレイ【ボブ・ジェームス(Key)、ハーヴィ・メイソン(Dr)、ネーザン・イースト(B)】を結成し、質の高い落ち着いた雰囲気の曲作りと活動を続けていく。ラリー・カールトン同様、愛用のギターはギブソン335。

リー・リトナー/ジェントル・ソウツ


リー・リトナー/ザ・キャプテンズ・ジャーニー


リー・リトナー/キャプテン・フィンガーズ


リー・リトナー/アライヴ・イン・L.A.

17 ラリー・カールトン
[LARRY CARLTON
(Guitar)
1948年カリフォルニア州生まれ。ギブソン335のギターを愛用し「ルーム335」という曲を作っただけでなく、自宅に専用のスタジオを作りまさに”ルーム335”と名付けたことは有名。幼少よりギターをはじめ、20代前半からプロとしてすでに著名な活動を始める。70年代はクルセイダースの専属ギタリストとして活躍。その後もジャズ、ロック、フュージョン、ブルース等あらゆるジャンルのセッション・ギタリストとして幅広い活躍を見せる。クルセイダースを脱退した70年代後半より本格的なソロ活動をはじめ、その確たる地位を築いたのが前述した「ルーム335」という曲を収めたアルバム『夜の彷徨』である。90年代後半よりリー・リトナーに替わってフォー・プレイの正式ギタリストとなる。また若手ミュージシャンとの交流も積極的に行い、TOTOのギタリスト、スティーヴ・ルカサとのセッションも話題を呼んだ。ルカサ自身、日本での彼とのライヴでは「センセイ、センセイ」と連発するほど若手ミュージシャンの尊敬すべきギタリストであることは間違いない。機械に頼ることなくピッキングの強弱などによるアタックのアクセントや、それによって作り出されるナチュラルなディストーションが彼の音の特徴である。現在も老いを感じさせず精力的にアルバム制作を行っている。
ラリー・カールトン/夜の彷徨




ラリー・カールトン/ラスト・ナイト




ラリー・カールトン/スリープウォーク
18 チャー(竹中尚人)
[CHAR:
 HISATO TAKENAKA]
(Guitar)
小学5年生でコンクールに出場し一躍注目を浴び、中学生の頃には既にプロとして活躍を始める。日本のロック・ギタリストの第1人者として今でも推薦するファンは多いことだろう。若くして活躍を開始するも70年代後半のヒット曲「気絶するほど悩ましい」や「闘牛士」を聴いたときには歌謡曲路線なのでは?という疑問符が投げかけられた。しかし一方で「スモーキー」や「シャイニン・ユー・シャイニン・デイ」という当時としてはかなり斬新的なロック系の曲も発表しており、私たちの期待はむしろこちらに傾いていた。そしてようやく彼のやりたいことが私たちにも分かり始めたのが、あの伝説のバンドといわれる”ジョニー、ルイス&チャー【ジョニー吉長(Dr)、ルイズ・ルイス加部(B)】”(後にピンク・クラウドと改名)の結成である。彼の本領発揮はこのバンドから始まり、結局はこれがやりたかったのか!ということに気付かされる。当然のこととしてこのバンドでのプレイは彼のギタリストとしての確固たる地位を築くこととなる。トレード・マークはフェンダー・ムスタング・ギターでエリック・クラプトンやジェフ・ベックの影響を多分に受けていると言われるが、それを見事、日本人的な感覚として作曲やプレイに応用させ、完成させたと思われる。2000年に入っては新分野としてインスト系のアルバムを発表するなど、一時期よりも精力的に活動を再開しようとしている様子に期待がかかる。

チャー/チャー




チャー/U.S.J




ジョニー・ルイス&チャー
/フリー・スピリッツ




チャー/キャラクター


19 カルロス・サンタナ
[CARLOS SANTANA]
(Guitar)
1947年、メキシコ生まれ。ラテンをロックに本格的に取り入れた第一人者としてあまりにも有名。あの伝説のライブ、ウッド・ストックで衝撃的なデビューを果たし、70年代が全盛期といわれていた彼であるが、なんとそれから30年経った2000年に、グラミー賞9部門を制覇するとは誰が予測したであろうか・・・。しかし2000年の大ヒットとなるアルバム『スーパーナチュラル』よりも、今でも代表曲はというと「哀愁のヨーロッパ」「ブラック・マジック・ウーマン」「ジプシー・クイーン」などを挙げる人の方が多いのではないだろうか。元来、ラテンの血が入っているため、大変情熱的なプレイで観衆を魅了するが、さらにステージングにおいてはそれが一層のこと炸裂し、おそらくスタジオ版を聴くよりも2倍、3倍の迫力があるであろう。個人的にはヴォーカル曲よりもインスト、あるいはヴォーカル曲のソロの部分の方が彼のプレイの良さを一層引き出していると思うが、私以外のファンもきっとそのように思っている人は少なくないであろう。フィードバック奏法と呼ばれる当時は誰もが何故あそこまで音が延びるのかと思った長ロングな音は、ギター、アンプ、ワウ・ペダルなどを絶妙に駆使して作り出されている。マイルス・デイヴィスを師と仰ぎ、かなりの影響を受けていたという点からしても彼自身インストルメントに興味が強かったと思われる。後にロック界の一時代を築くあの”ジャーニー”のギタリスト、ニール・ショーンを発掘した育ての親ということでも有名である。

サンタナ/スーパー・ナチュラル




サンタナ/セイクリッド・ファイアー




サンタナ/アミーゴ




サンタナ/天の守護神


20 ニール・ショーン
[NEAL SCHON]
(Guitar)

 ニール・ショーンというと、ジャーニーのギタリストというイメージが強いが、そのルーツはカルロス・サンタナ(G)のバンドでの活躍に遡る。
 若干17歳でサンタナにその才能を認められ大抜擢されるのだが、1973年に自ら1本立ちを決め、中心となってジャーニーを結成する。
 サンタナ・バンドではその志向性からラテン系のソロやリフを多く弾くこととなるが、結局、自分がやりたかったものは幅広いジャンルの音楽であり、特にそれがロックというスタイルで開花したのがジャーニーというバンドであった。
 このバンドでは思う存分自分の弾きたいフレーズを弾きまくり、またソロだけでなく、どの曲においてもバッキングやリフにその個性がよく出ている。
 20歳以前からそのテクニックは神童といわれ、絶大なる支持を得るものの、ソロ活動としては今一つ振るわない。おそらく彼の才能は他人に作ってもらった曲に、いかに上手い具合にギターを乗せていくかと言うことの方が向いているのだろう。そう言った意味ではジャーニーという母体は彼にとって格好の活躍の場であったに違いない。

ジャーニー/インフィニティ


ジャーニー/エヴォリューション


ジャーニー/ディパーチャー


ジャーニー/ライヴ・エナジー


ジャーニー/エスケイプ


ジャーニー/フロンティアーズ


ジャーニー/レイズド・オン・レディオ

My Favorite Guitarist