NO アーチィスト コ      メ      ン      ト 関連アルバム
デイブ・ウエックル
[DAVE WECKL]
(Drums)
チックコリア・エレクトリック・バンドでその頭角を現した。ある意味チック・コリアに育てられたといっても過言ではないと思われる。基礎で固められた卓越したテクニックとドラム演奏に関する理論は若かりし頃から構築されており、エレクトリック・バンドのファースト・アルバム2曲目「RUMBLE」では複雑なリズムを正確に刻んでいることでその驚異的なテクニックが理解できる。スタジオ、セッション・ミュージシャンとしても他のプレーヤーと多くの録音、ライブを行ってきている。独自のリーダーアルバムも数枚出ているが、基本的には他のミュージシャンとの裏方として彼の才能は最大限に発揮される。ソロアルバムでは「HARD-WIRED」「MASTER PLAN」がお勧め。


チックコリア・エレクトリック・バンド
/1st
デイヴ・ウェックル/HARD-WIRED
2
オマー・ハキム
[OMAR HAKIM]
(Drums)
史上最強のドラマーと称するファンも多い。テクニックは勿論だが高速でドラムセットを叩くその姿がまるで千手観音のようであるとは誰ともなく言いだしたこと。彼のドラマーとしての知名度はウェザー・リポート在籍時に築かれたのではなかろうか。彼の魅力はライヴで最大限に発揮されるが、そのドラムソロはおそらく誰にも真似できない超高速かつ超絶的なリズム感で繰り広げられる。ライブ音源として最も有名なソロはウェザー・リポート在籍時の「WHERE THE MOON GOES」でのジョー・ザビヌル(Key)との掛け合い、読売ランド・イーストで行われた「LIVE UNDER THE SKY 1981」のハービー・ハンコック(Key)、スタンリー・クラーク(B)、ウェイン・ショーター(Sax)とのユニットで演奏された「CANTELOUPE ISLAND」、同じく1982、マーカス・ミラー・プロジェクトで演奏された「RUN FOR COVER」などがある。またスタジオ、セッション・ミュージシャンとしても幅広く活躍しており、デヴィッド・ボウイやスティングなどのバックや録音にも参加している。個人的にはマーカス・ミラーと組んだときの強力なリズム隊が最強の演奏パターンであると信じているが、それが実現されたものには、渡辺香津美(G)のトチカ・ツアー、デヴィッド・サンボーン(Sax)をフューチャーした「LIVE UNDER THE SKY 1982」でのマーカス・ミラー・プロジェクトなどがある。
ウェザー・リポート/プロセッション







マーカス・ミラー・プロジェクト
/アウト・オブ・ザ・ワールド




デニス・チェンバース
[DENNIS CHAMBERS]
(Drums)
正確無比でマシンガンのようだと言われるほど、パワフルで高速なドラミングである。基本的にはスタジオ、セッション・ミュージシャンであるが、90年代後半にトリオで結成されたナイアシン【ビリー・シーン(B)、ジョン・ノベロ(Key)】で一躍ロック・ポップス系のファンからも注目を浴びるようになった。このバンドでは彼のドラム・ソロがどのアルバム、どのライブでも聴きたいだけ聴くことができる。ジョン・マクラフリン(G)も一時彼のことを気に入ってセッション、録音していた時期がある。幼少の頃から枕を叩き、クッションに頼らない練習方法が現在のマシンガンのようなスナップ奏法を生み出した。最近ではツー・バスを駆使した演奏もライブでは多く見受けられるようになってきたが、彼の基本は今も話した手首・腕のバネを利用した超高速でドラム・セットを自由自在に叩きまくる技術と、本人曰く「スティックは握らず手のひらの中で転がしているような感覚」というのが特徴のようである。
ナイアシン/LIVE






ジョン・マクラフリン
/THE PROMISE
スティーヴ・ガッド
[STEVE GADD]
(Drums)
ドラム界の大御所。重鎮。とにかく彼を師として仰いでいるドラマーは数知れないことであろう。渋いドラム・ワークとリズム感。背中を丸めて叩く姿が印象的である。彼のドラム・セットから奏でられる音はとにかく重い。重いといっても乗りの悪い重さではなく、ロック・ドラマーで言うならレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムと同様な感覚を持つ。シンバルことにハイハットの音さえも重くずっしりとくる響きであるにもかかわらず、そのシャッフル感はブルースやスローな演奏を聴けばずば抜けていることが分かる。このようなことからジャズに限らず彼とのセッションを希望するプレーヤーは後を絶たず、最近ではあのエリック・クラプトン(G)のバックを始終務めていることが何よりの証明である。マーチングを基礎としていることからスネア・ワークは絶妙。スネア、ハイハット、バスドラの3点だけでも十分に演奏あるいはソロの取れるドラマーである。日本人では渡辺貞夫(Sax)が70〜80年代にかけて大変気に入って多くの曲の録音やライブでの演奏を行っている。アルバム「HOW'S EVERYTHING」ではオーケストラをバックに彼の特徴を最大限に生かしたドラミングが十分に堪能できる。




渡辺貞夫
/HOW'S EVERYTHING





The Gadd Gang/1st



ソニー・エモリー
[SONNY EMORY]
(Drums)
アース・ウィンド・アンド・ファイアに在籍していたドラマーとしても有名だが、リー・リトナー(G)のバックとして演奏することもしばしば。切れのよいタイトなリズムを叩き出し、ソウルフルな前乗りのグルーブ感は右に出る者がいない。さらにスティックを派手にくるくる回しながら叩くというアクション付きのドラムソロを繰り広げる様にはただただ驚くのみ。連打(特に6連系)でスネアやタムを回るときの音の響きが、さらにその倍速の連打の音で聞こえるというテクニックは、いまだにどうやって叩いているのか想像もつかない独特の奏法を心得ていると思われる。リー・リトナーの「ALIVE IN L.A.」を聴くとその辺のすごさが理解できるであろう・・・。
リー・リトナー/ALIVE IN L.A.
サイモン・フィリップス
[SIMON FIRIPS]
(Drums)
まだツー・バスを踏むドラマーが少なかった70〜80年代に、既にツーバスを踏んでいたことでも当時は驚かされた。元はロック系のドラマーであり、ジューダス・プリーストに一時借り出されたりしていたが、ジェフ・ベック(G)の「THERE AND BACK」に参加したことで一躍注目を浴びることになったに違いない。これを機会にフュージョン系のセッションが増えてきたように思われる。彼の得意とするところはこのアルバムでもそうだが変拍子をいとも簡単に叩くことで、むしろ変拍子の曲において彼の才能は発揮されるといった方がいいかもしれない。TOTOのドラマーであったジェフ・ポーカロの死後、当初はセッション・ドラマーとして参加していたものの、結果的にその後を継ぐこととなった関係で、スティーヴ・ルカサ(G)のソロ活動においてもバックを務めることが多い。圧巻とも言える彼の驚異的なテクニックは、TOTOの「LIVEFIELDS」にも収められているが「JAKE TO THE BONE」というインストの曲の直後にあるソロで、聴いていても何をやっているのか分からないと思うが、左手で常に4つに組まれたメロタムを一定のリズムで叩き、右手は全く違う動き、さらに足はツー・バスを別のリズムでキープという完全なるインディペンデンスを実演しているところだ。彼の技術を堪能したい人はリーダー・アルバムも数枚出しており、全てインストのフュージョン系の曲構成となっている。変拍子も多く収録されている。
ジェフ・ベック/
THERE AND BACK




TOTO/LIVEFIELD




サイモン・フィリップス
/アウト・オブ・ザ・ブルー




7 ビル・ブラフォード
[BILL BRUFORD]
(Drums)
どのバンドに所属していたときの知名度が高いのか?おそらく誰もがキング・クリムゾン時代の彼を思い起こすと思うのだが、70年代後半に結成されたU.K.【アラン・ホールズワース(G)、ジョン・ウェットン(B、Vo)、エディー・ジョブソン(Key、Vio)、】の彼の存在を忘れることはできない。短命なバンドであったが、メンバーは勿論、驚異的なリズム感とプログレの先端ともいうべき曲想は、今聴いても新鮮味がある。キング・クリムゾンをはじめ当時のプログレ・バンドは好んで変拍子を取り入れているが、彼の変拍子のセンスが最も生かされていたバンドはU.K.であったのではないかと思う。今でもU.K.ファースト・アルバムの1曲目「IN THE DEAD OF NIGHT」のイントロを聴いただけでゾクゾクするこの曲の期待感がたまらない。この曲もまた7/4という変拍子であるが実にうまい構成となっている。キング・クリムゾンでは主に後期に活躍することとなるが、この時期は既に電子音に走っており、往年の聞き応えのあるドラミングは余り望めない。本人のリーダー・アルバムも数枚リリースされている。私個人としてはクリムゾンのロバート・フィリップ(G)よりはアラン・ホールズワース(G)とのコンビネーションの方がしっくり行っているように思われる。

U.K./1st






キング・クリムゾン
/Laks'Tongues in Aspect



ジェフ・ポーカロ
[JEFF PORCARO]
(Drums)
若い頃より天才ドラマーと呼び声が高くも、残念ながら若くして他界してしまった。死因はなんと自宅の庭で農薬散布中にそれを吸引してしまったことによる呼吸困難。彼の実績は文字通りTOTOの初代ドラマーとして余りにもその功績は輝かしすぎる。それだけに若すぎた死はいまだに悔やまれる。もともとTOTOのメンバー自体がスタジオ・ミュージシャンというテクニックの持ち主の集団であり、国内外問わず彼らをバックにして録音した歌手は大変多いことだろう。さらにセッション・ミュージシャンであることは言うまでもない。彼のテクニックにおいて他のドラマーが最も尊敬する部分はシャッフル奏法である。このテクニックを十分に堪能できる曲が「ロザーナ」「グッバイ・エリノア」などである。基本的にはロック、ポップス系のドラマーであると思われるが、フュージョン・セッションにも度々出演しており、グレッグ・マティソン・プロジェクト【スティーブ・ルカサ(G)、ロバート・ポップウェル(B)、グレッグ・マティソン(Key)】における演奏は著名な活動として残っている。
TOTO/聖なる剣   





TOTO/ターン・バック


グレッグ・マティソン・プロジェクト
/ベイクドポテト・スーパー・ライヴ
テリー・ボジオ
[TERRY BOZZIO]
(Drums)
今ではプログレ系フュージョン・ドラマーと言っても過言ではない。元はフランク・ザッパ・バンドのバックを務めていたが、そこからの出発はその後の彼の活動を見ても分かるように大物ミュージシャンとのセッション・録音の連続である。比較的その場限りのセッションバンドや録音が多いが、結局はプログレ畑のメンバーと取っ替え引っ替えメンバーチェンジしながらの活動のように思われる。比較的目立った活動としてはビル・ブラフォード脱退後のU.K.への参加や、80年代後半にジェフ・ベック(G)と共演したアルバム「ギター・ショップ」などがあげられるのではないだろうか。2000年に入ってはビリー・シーン(B)ともアルバムを作成している。ドラムのセッティングに関しては全部を使いこなしているのだろうかと思われるくらいの装備で、タムやシンバルの数は20を越える。結局、プログレ的な音を目指すあまり、変わった音色のタムやシンバルを装備する必要がある?のだろう・・・。

U.K./ナイト・アフター・ナイト(LIVE)




ジェフ・ベック/ギター・ショップ
10 イアン・ペイス
[IAN PAICE]
(Drums)
ディープ・パープルのドラマーと言えばイアン・ペイス。バンド自体はメンバー・チェンジを繰り返しながら黄金期と言われた第2期パープル時代を全盛に賛否両論あるが、結局はギターでありリーダーでもあったリッチー・ブラックモアの脱退が大きな鍵となった。イアン・ペイスは第1期から現在まで継続してきたドラマーであり、ロック・ドラマーでありながらも彼のドラムソロはジャズ系のソロを感じさせる。サウスポーから奏でられるパワフルで高速かつ乗りの良いドラミングは名曲「バーン」を聴くと納得できる。アルバムのできは「イン・ロック」「マシン・ヘッド」が人気を呼んでいるが、「ライブ・イン・ジャパン」を聴けばイアンペイスの魅力だけでなく、ディープ・パープル自体の演奏を堪能できるはず。
ディープ・パープル/バーン



ディープ・パープル
/ライヴ・イン・ジャパン
11 ジョン・ボーナム
[JOHN BORNUM]
(Drums)
レッド・ツェッペリンのドラマー。あのパワフルで独特な重奏感ある演奏は誰にも真似ができない。特にバスドラの音は各ドラマーに手癖があるように、足癖という言葉が適切かは分からないがとにかく一度聴くと耳から離れない。どのアルバム、どの曲を聴いても彼の演奏的な特徴を拝聴することはできると思うが、「ロックン・ロール」「ブラック・ドッグ」「アキレス最後の戦い」「移民の歌」などはバスドラとのコンビネーションがよく分かる曲であると思う。ライブ版「狂熱のライブ、永遠の詩」を聴けば、ジョン・ボーナムだけでなくレッド・ツェッペリンの全てが分かるであろう。残念ながらツェッペリン解散の原因ともなった事故が、このジョン・ボーナムが泥酔の末、喉に汚物を詰まらせて窒息死してしまったというあまりにも信じられないニュースであった。

レッド・ツェッペリン/W



レッド・ツェッペリン
/狂熱のライヴ・永遠の詩
12 スチュアート・コープランド
[STEWART COPELAND]
(Drums)
レゲエ・ロックとしてはあまりにも鮮烈なデビューを果たしたポリスのドラマー。アンディ・サマーズ(G)、スティング(B、Vo)という強力なメンバーで組まれたこのトリオは、一気に2作目の「白いレガッタ」というアルバムで一躍脚光を浴びることとなるが、その後も解散まで快進撃は続く。彼の特徴はレゲエとソウルを混在させたようなハイハット・ワークにあるが、さらにはハイハットとリム・ショットのコンビネーションを絶妙に生かしたメリハリのある奏法が、ポリス独特の乗りのサウンドを作り出していることは言うまでもない。そこに時々アドリブで入るメロタムのアクセントがさらにサウンドを引き締める。スナップの強さが彼にしかできない独特のレゲエ・シャッフルを生み出し、それがパラティドルと組み合わさるとリズム・マシーンのような正確無比のリズム感を作り出すが、そのテクニックはスタジオ録音よりもライブにおいての方が遙かにアドリブを聴かせて聴衆を引き込んでいく。日本公演ではスネアからタムにかけてのヘッドに「オ○○コ!」と書いているのを見て、こいつは何を考えているんだと思ったが、それを放映した某国営放送も偉かった。とにかく2枚目のアルバムの1曲目「メッセージ・イン・ア・ボトル」から2曲目の「白いレガッタ」までを聴くだけでそのすごさが分かるであろう。ポリス解散後は独自のバンドを結成しているが今一つパッとしない。
ポリス/白いレガッタ




ポリス/ゼニヤッタ・モンダッタ




ポリス/LIVE
13 コージー・パウエル
[COZY POWELL]
(Drums)
孤高のドラマーと言われているが、自分自身を信じ、テクニックよりも正確なリズムを刻むことと、パワフルに演奏することを自分のプレーのモットーとした。強く叩くことができれば弱く叩くことはできるが、その逆はできないと言う発想。確かに力強く、タムとツーバスのコンビネーションから繰り広げられるフィル・インは絶妙なものがある。当時ツーバスを踏むドラマーはあまりいなかったことから、それだけでも注目を集めた。ディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモア(G)がレインボーを自ら作り、その2代目ドラマーとして起用したのが彼である。その後、しばらくコージーはリッチーに気に入られ数枚アルバムを作成し、日本公演にも来日している。コージー目当てにライブに行ったファンも多かったと思われるが、歌謡曲路線のアルバム「ダウン・トゥ・アース」はそれまでレインボーを知らなかった人々をも引きつけたに違いない。しかしそれを言うならばコージーが参加した最初のアルバム「ライジング」を聴かずして彼、あるいはレインボーのことを偉そうには語れないだろう。大作の多いこのアルバムには「スター・ゲイザー」「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」などが収録されており聴き応えがある。次の「ロング・リブ・ロックン・ロール」では「キル・ザ・キング」があまりにも格好良いイントロでこの曲を聴いてドラマーを目指そうと思った人も多いことだろう。数多くのバンドを渡り歩き、ジェフ・ベック・クループ、レインボー、MSG、ホワイトスネイク、EL&P、ブラック・サバスなど、他のハード・ロック・バンドにも勧誘され参加しながらも、彼自身のリーダー・アルバムも数枚リリースしている。1作目の「オーバー・ザ・トップ」は全曲インストながらかなり豪華なメンバーが参加している。その後も「ティルト」「オクトパス」などを発表するが、残念なことに趣味のオートバイでのレース中に転倒し他界してしまった。生前もその勲章とも言うべき鼻曲が彼のシンボルマ−クでもあったが、ルックスの良さにカヴァーされていたこともファンの多さを語らせる。
レインボー/ライジング




レインボー
/ロング・リブ・ロックン・ロール




レインボー/ダウン・トゥ・アース




コージー・パウエル
/オーヴァー・ザ・トップ
14
青山 純
[JUN AOYAMA]
(Drums)
国内では最も数多のスタジオ録音を行ってきた、あるいは多くの著名なミュージシャンとのツアー活動に参加してきたスタジオ・ミュージシャンである。最近は勿論であるが80〜90年代にかけての大抵の歌手のスタジオ録音にはその名前が刻まれているはずである。なかでもあの音には大変うるさい山下達郎が常にライブでは彼を起用していることなどを考えてもそのテクニックと安定したリズム感が理解していただけるであろう。達郎のライブでは次のようなトークもあった。「先日、某女性バンド、プ○○セス、○リン○○、のプロモーションビデオを見ていたら、結構ドラムがいい音で叩いているので『青山君、あの女性ドラマーどう思う?』って聞いてみたら、『あっ・・・あれですか・・・。あれね実は自分が後から音をかぶせてるんですよ・・・』」ということであった。きっと皆さんが普段何気なく聞いているドラマーの音も、もしかしたら後から青山純がかぶせているかもしれない。今までの参加バンドやセッション・ミュージシャンはT−スクエア、プリズム、はにわオールスターズ、はにわちゃんバンド、オレカマ軍団、はにわ隊と一連の仙波セッションが多い。その後、キリングタイムに加入する。

スクエア/ラクーン




プリズム/サプライズ




山下達郎/メロディーズ

15 則竹裕之
[HIROYUKI NORITAKE]
(Drums)
兵庫県出身で神戸大学を卒業。父もドラマーで幼少の頃よりある意味英才教育を受けていたことになる。神戸のライブ・ハウスにて演奏しているところをたまたまスクエアのメンバーに見初められ、以降約15年スクエアに在籍する。結局、スクエアつながりでカシオペア、本多雅人、その他、KORE-Chanz、KORENOSなどのバンドのサポート・メンバーとして活躍している。タイトで切れの良いドラミングとやはり光るセンスは国内では神保彰と双璧あるいは則竹の方がセンスは上というファンも多い。代表作は結局、スクエアの曲になるが「CONTROL」「BAD MOON」「DOOBA WOOBA」などがドラム・ソロや須藤満(B)とのからみがあって面白い。

T-SQUARE/夏の惑星



T-SQUARE
/LIVE featuring F-1 GRAND PRIX THEME
16 神保 彰
[AKIRA JIMBO]
(Drums)
カシオペアのドラマーとして一時代を築いただけでなく、日本人では渡辺香津美(G)と唯一2人だけ、生前のマイルスに声をかけられたプレーヤーである(2人ともなぜか参加を断ったが・・・)。カシオペア脱退後はサポートとして参加しているが、手足のインディペンデンスを研究・習得していくうちに、ラテンやアフリカ系の音楽に強く興味・関心を持ち始め、90年代後半からはカルロス菅野(Per)が結成した熱帯ジャズ楽団や熱帯倶楽部にも参加している。またディメンション【増崎孝司(G), 小野塚晃(Key), 勝田一樹(Sax)】の録音にもサポートとして参加しており「LIVE MILLENNIUM」ではカシオペアとはまた違ったアプローチの仕方でフュージョンを叩いている。2000年に入ってはブライアン・ブロンバーグ(B)と結成したユニット・バンド「ブロンボ」が話題を呼び、超絶技巧の2人の演奏が堪能できる。テクニックには言うまでもないが、音に対するこだわりも強く、全体的にはウッディーで軽く乾いた音が彼の好みのように思う。

ディメンション
/ライブ・ミレニアム




ブロンボ/T




ブロンボ/U


17 山木秀夫
[HIDEO YAMAKI]
(Drums)
 1952年、熊本県生まれ。中学時代よりドラムを始め、16歳の時に沖縄で米国ミュージシャンと共演するなど地元九州で音楽活動を開始する。
 1978年に清水靖晃、笹路正徳、土方隆行らと“マライア”を結成。その他、渡辺香津美のKAZUMI BAND、深町純らとの共演などを経てフリーになる。
 ジョン・ゾーンやデヴィッド・シルヴィアン、坂本龍一、細野晴臣、吉田美奈子、井上鑑,、井上陽水など、数々のミュージシャンとの共演を果たすなど、現在に至るまで膨大なレコーディングやライヴをこなしており、日本を代表するトップ・ドラマーの一人としてジャズからロックまでジャンルを選ばず多くの分野で活躍している。
 私が彼を知ったのは”カズミ・バンド”からだが、この母体は”マライア”に香津美がバックをお願い?したような形となっているのであろう。前述したように国内のスタジオ・ミュージシャンとしてはかなりの知名度を持ったドラマーだが、その腕の良さはあのバック・バンドにはうるさい井上陽水がかなり長期に渡って連れ回していることなどからも分かる。
 私個人は”カズミ・バンド”の時の彼が最も彼らしさを出してプレイしていたように思うのだが、正直、他の演奏はあまり聴いていないと言うのもある。
マライア/
レッド・パーティー(ライヴ) 



カズミ・バンド/頭狂奸児唐眼

 
カズミ・バンド/ガネシア

My Favorite Drummer