20世紀の技術予測


20世紀の中頃, 手塚治虫が21世紀を予測して鉄腕アトムを描き始めた。1958年に東京タワーが完成する。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代である。ソ連,米国は人工衛星を打ち上げ,原子力発電が実用化し,IBM社のコンピューターが動き始めた時代である。

21世紀のレポート

今から50年以上も前の1954年6月にソ連は世界で初めての動力用原子力発電所の運転を開始した。場所はモスクワ近郊オブリンスクで, 電気出力は5000kWである。ソ連は1957年10月に世界で初めての人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げた。
米国では「スプートニクショック」が起きて, 米は1958年2月に人工衛星「エクスプローラー1号」の打ち上げに成功し, 7月にアメリカ航空宇宙局を設立して有人宇宙飛行計画をスタートする。
当時, ソ連の「コムソールスカヤ・プラウダ」社の編集長が記者を集めて指示した。
「読者に未来を語らねばならない。一切の仕事を中止して, 21世紀へ出張したまえ。」
「そうだ2007年が良い。十月革命90年蔡の年だ, いいな明日出発だ。諸君の通信を待つ。」
翌朝, 記者たちは時間という乗り物に乗って「ソ連邦科学アカデミー」に向った。
「1957年は人類の歴史に特別な位置を占めています。ソヴィエトの科学と技術の輝かしい勝利ー最初の人工衛星の発射, 電子計算機の発明, 熱核反応の平和目的使用」
こうしてできあがったのが『21世紀のレポート』である。
著者は ミハイル・ワシリエフセルゲイ・グーシチェフ 原卓也 工藤精一郎 共訳 新潮社
21世紀のレポート 目次
  • 電波の世紀
  • 輝かしい自然科学の勝利
  • 石油・石炭と動力源
  • 地球改造
  • 21世紀世界の見聞記
  • 宇宙を飛ぶ

それから50年を経て予測されていた科学技術はほぼ実現されている。しかし本レポートの基調は技術進歩楽観論である。地球環境が壊れることは予測されていない。そして,1986年にチェルノブイリ原子力発電所事故が起きる。
ISBESTIA
世界初の月面軟着陸 ルナ9号 の新聞 1966.2.5
21世紀のレポート

西暦2000年の世界と人類

宇宙開発ではソ連が依然先行していて,1961年4月にソ連空軍のガガーリンが人工衛星 ボストーク1号 に搭乗して地球を周回した。
米の実用原子力発電は1957年に稼動開始した。1959年にトランジスターを使用したコンピューターIBM7090が完成する。
米がベトナム戦争に介入を始める1965年, アメリカ科学アカデミーはカーネギー財団の協力を得て"未来の予測"に関する特別委員会を設置し,各界の学者・研究者あるいは専門家を集めて委員会を開いた。西暦2000年に関するシンポジウム で研究領域は政治,経済,法律,社会学,社会心理学,生物動物・民俗学,精神医学・神経学,技術など。参加者はダニエル・ベル,Z.ブルゼジンスキー,ハーマン・カーン,ワシリー・レオンチェフ,D.リースマンなど41名とIBM,ベル電話会社,ハドソン研究所である。このシンポジウムの論文20編をまとめて出版したのが『 西暦2000年の世界と人類 』である。
ダニエル・ベルは,
大勢の人がしがちな誤りは,偉大な技術的革新が連続的に発生したり,社会が何かすばらしい方法で再編成できるような魅惑を持って語っていることだ。それはたぶんに科学的空想小説やあるいはウェルズの本などに影響されているからだろう。」
しかし「詩人 イーツ のいった言葉を思い出したい。それは"夢の中に責任が始まる。-- In dreams begin responsibilities."という言葉である。このように別々の社会の将来を,なんらか体系だって予測すること,あるいはなんらかの思考形式の下に考えてみること,このことがいまや基本的責任なのではないか。
解説 西暦2000年予測の基礎作業について
そして予測の機能とは
(1) まず未来を描写して,個々について生じる問題を摘出する。
(2) その問題の対策をたてて,変化の度合いに応じて選択できるよう各種の解決策を用意する。
(3) 望ましくない未来,変化してほしくない未来については,これを未然に防げるようにすること。
(4) 予測の方法を考えること。 と述べている。
IBM7090
IBM7090
西暦2000年の世界と人類
西暦2000年の世界と人類 日本生産性本部

未来の衝撃

1970年に アルビン・トフラー が『 未来の衝撃 』を刊行する。世界で800万部売れた。こう始まる。
現在から二十一世紀にかけてのわずか三十年の間に,何百万人もの正常な神経の持ち主が,突然,未来と正面衝突を起こすだろう。経済的にも技術的にも、世界の先端をゆく国々の人々にとっては,現代の重要な特徴である絶え間ない変化の要求についてゆくことが,非常に苦しく思われるだろう。
未来の衝撃 徳山二郎 訳
この中でトフラーは科学技術を現代を動かすエンジンと言う。トフラーがこの本を書いた当時は産業化の社会で,技術中心主義でお互いに進歩のバランスはとれていた。しかし技術進歩の速度が,産業化社会の進歩の速度を越えると制御が利かなくなって科学技術に対する幻滅が生じて,現在主義世代を生む。
同書第20章 社会的未来主義の選択
訳者の徳山氏は,あとがきに「ニューヨークの建築中の ワールド・トレードセンター ビルを見ながら,この本の翻訳をしている。」と書いていた。ワールド・トレードセンタービルは,2001年9月11日に崩落した。

第三の波

1980年にトフラーは『 第三の波 』を書く。第三の波とは第二次産業の次の時代の波のことである。『未来の衝撃』は変化の速度について書いたが,『第三の波』は変化の構造について書いたと自己紹介している。
変化が一定の水準を越えそうになると,それを抑制して均衡を維持する。これがフィードバックの一プロセスである。「負のフィードバック」と呼ばれるこの機能の目的は、安定を保つことにある。
1940年代の終わりから50年代の始めにかけ,情報理論家やシステム理論家によって負のフィードバック理論が定義され研究されると,科学者はその実例や類似例をさがし始めた。生理学(たとえば体温調節のプロセス)から政治学(たとえば過激に走った反体制派を抑える「体制」の動き)まで,彼らはあらゆる分野で同様の安定維持システムを発見し,興奮した。均衡や安定を維持する負のフィードバックは,人間の身近で働いているらしいとわかった。
ところが,1960年代のはじめ丸山孫郎教授はじめ評論家たちは,安定に注目するあまり変化を見過ごしているのに気付いた。丸山氏は「正のフィードバック」ー変化を抑制せず,むしろ増幅するプロセス,安定を維持せず,それに挑み,ときには打破するプロセスーをもっと研究すべきだ,と考えた。正のフィードバックでは,システム中の些細な偏差や「きっかけ」が構造全体を脅かす激震になりうる,というのである。
第21章 嵐の中の知性 より
トフラーは第三の文明にとってもっとも基本的な資源は"情報"であると述べている。
未来の衝撃 第三の波
未来の衝撃 第三の波 中公文庫

アルビン・トフラー
Alvin Toffler 1928- 米の評論家,作家、未来学者 『未来の衝撃』, 『第三の波』

成長の限界 ローマクラブ

伊オリベッティ社の副社長アウレリオ・ペッチェイ博士が, 1970年に資源・人口・軍備拡張・経済・環境破壊などの全地球的な問題対処するために世界の科学者・経済人・教育者など学識経験者など100人の民間シンクタンクを立ち上げる。1972年の第一報告書『成長の限界』では,
現在のまま, 人口増加や環境破壊が続けば資源枯渇や, 環境悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らす。破局を回避するためには地球が無限であることを前提とした従来の経済のあり方を見直す必要があると述べる。
1798年に英国経済学者の マルサス は『 人口論 』で人口は幾何級数的に増加するのに対し食料は算術級数的に増加するにすぎないから, 人口過剰による社会の貧困・悪徳の増大は不可避であると予測した。
しかし3つの変化のおかげで英国はマルサスの予測をまぬかれることができた。一つは英国からの移民である。2つは農業生産高の飛躍的増大,3つは産業革命であった。

マルサス
Malthus, Thomas Robert 1766-1834

脱工業社会の到来

1975年,ダニエル・ベルは『脱工業社会の到来』を書く。この言葉は『西暦2000年の世界と人類』にすでに登場している。工業社会は《エネルギー》によって特徴づけられるが,脱工業社会は《情報》によって特徴づけられる。6つの章で構成されていて,第1章は先進工業社会の社会的発展に関する理論,第2章はアメリカでのサービス経済への変化と,専門職・技術職階層の台頭,第3章は知識と技術,第4章は企業の変化,第5章は社会的計画のための手段について,最終章は「支配するのは誰か」である。
ベルは日本についてコメントしている。
日本企業の社会組織と経営慣行は,西側工業社会の諸モデルとの間に巨大な相違を持っている。ここでは共同的なものへの愛着の《文科的》影響が西側の個人主義より重要である。…脱工業的変化が課する諸問題も,アメリカや他の工業諸国のそれとは全く違ったものになるかもしれない。
日本語版への序文
脱工業社会の到来
脱工業社会の到来 ダイヤモンド社

ダニエル・ベル
Daniel Bell 1919- 米社会学者
著書 『脱工業社会の到来』 『20世紀文化の散歩道』

ターミネーター

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