光は電磁波である。

蜻蛉の空にさざなみあるごとし  有風
Les libellules. Ne font-ils pas des rides dans le ciel?   佐藤由紀子訳

物理的力線について On Physical Lines of Forces

マックスウェルはケンブリッジ大学の友人セシル・モンローに手紙を書く。
「電磁気について知られていることを機械的なモデルを使って説明できないかと考えています。」
『ファラテー力線』では電気と磁気を,非圧縮性の液体の流れと想定して幾何学的に理論化した。今度は電気と磁気がエーテルという媒体を伝わってゆくモデルを考える。『ガスの動的理論の概要』で使った小さな粒子の運動を発展させて,エーテルの中にある無数の六角形が回転して,それぞれの六角形の間隙に無数の小さな球が動く機械的なモデルを考える。 一つの六角形が想像上の粒子で磁場を表し,六角形が回転すると軸方向に磁力線が流れる。動く球が電流を表している。弾力性の媒体に働く張力と,媒体の動きから磁気の現象を説明する。
この理論から,真空中で媒体の歪が次々と伝わってゆく速度Vを計算すると, V=310740メートル/秒 となる。この数次は仏フィゾーが測定した光の速度314858メートル/秒と近似しているので,電気と磁気が媒体伝わって行く仕組みと,光のそれとは同じである。
On Physical Lines of Forcesより(拙訳)
と述べる。1861年3月と4月に『物理的力線について』を雑誌『哲学』に発表する。

Vortices of Ether
六角形媒体モデル

電磁波の動的理論 Dynamical Theory of the Electromagnetic Field

1849年にウェーバーがそれまでの静電気,磁気の理論,電流が流れる2つの導体に働く力,電磁誘導の理論を整理して優れた理論を作っていた。しかしウェーバーの理論は,電荷を持っている物の間に働く力をニュートンの遠隔作用を前提にして作っていた。
マックスウェルは,
空間の中をある物体から,別の物体にエネルギーが伝わる場合を考えてみましょう。一つの物体がエネルギーを放出してから,このエネルギーが別の物体に届くまでの時間は,このエネルギーが物体から物体の間の空間を移動する時間です。しかしウェーバーの理論は,エネルギーが伝わっている瞬間を表現できません。
これからの理論はエネルギーが空間に存在している間も有効でなければなりません。私は物体と物体の関係だけを表す理論から,空間を占めている何らかのエーテル,これを"場"と呼んでも良いのですが,場を表現できる電磁場理論を創りたいのです。この場は電荷が動くことによる運動エネルギーと,場の歪による位置エネルギーから成っています。」
Maxwell on the Electromagnetic Field Thomas K.Simpson(拙訳)
マックスウェルは電気と磁気を数学だけを使って1864年10月に『電磁波の動的理論 Dynamical Theory of the Electromagnetic Field』を完成する。マックスウェルは20個の微分方程式を使って電気と磁気の現象を表現する。20の方程式は『電磁気学概論』ではベクトル表現されて8個となった。その後ヘビサイドがこれを整理して現在は4つの方程式となっている。

Maxwell's Equation

電磁波

"電磁波"というものが存在することが導かれた。その速度は

で求められる。εoは真空の誘電率,μoは真空の透磁率である。1856年に独コールラウシュウェーバーが誘電率と透磁率を測定していた。この値を使って速度cを計算すると1秒間に31万740キロメートルとなった。 1849年に仏フィゾーが光の速度を実測していた。結果は31万4千キロメートルであった。1861年10月19日にファラデーへ手紙を書く。
電磁波の速度を計算から求めると1秒間に31万740キロメートルとなります。フィゾー氏は光パルスを遠距離間で往復させて回転歯車を使って光の速度を31万4千キロメートルと算出しました。計算から求めた速度とフィゾーの測定値との違いは僅かに1パーセントです。この一致は偶然ではなくて
「光は電磁波の一種である。」
と結論せざるを得ないのです。
マックスウェルは1864年から誘電率,透磁率を正確に測定する測定装置を設計し1865年4月からケンブリッジ大学卒業生のホッキンの協力を得て精密な測定を始める。

自動制御 On Governors

マックスウェルは電気抵抗を精密に測定する装置を設計していた。コイルの回転の速度を安定させるための機械的な条件を数学的に算出する。蒸気機関の回転を安定にするための機械的な条件を数学的に導いて1868年に論文『ガバナーについて』を王立協会に提出する。これが自動制御理論の始まりで,その後ケンブリッジ大学の同期生のルースが発展させる。
光の速度
ガリレオが1638年に,ランプを使って遠く離れた2地点を光が往復する時間測定を試みて失敗する。1676年にデンマークのレーマーは木星の衛星が木星の影になる周期が,地球と木星の位置関係により時間がズレルことを利用して光の速度を計算し,光速を1秒間に21万キロメートルと計算した。1725年に英天文学者のブラッドレーが地球の公転運動により,恒星の見かけ上の位置が移動することを利用して光の速度を1秒間に29万9千キロメートルと計算した。
1849年に仏フィゾーが5.36マイルの距離で光を往復させて,光の速度を1秒間31万4000キロメートルと算出する。1862年に仏フーコーが光を回転鏡で反射させる装置を作り光の速度を29万8000キロメートルと測定した。

電信

1850年に海底ケーブルが英仏海峡に敷設されて英国とフランスが電信で結ばれた。海底ケーブルは距離が長く,ケーブルの被覆から電流が漏れて電流が弱くなる。このため電信線の電気抵抗を測定することが必要になった。トムソン教授が提案して1861年に英国科学振興協会に電気抵抗の標準化のための委員会が設けられる。1862年からマックスウェルもこの委員会に参画して,スチュアートや,ジェンキンと一緒に測定,解析を行う。マックスウェルは電気抵抗の測定と,誘電率と透磁率の測定の経験から,精密な測定と実験が重要であることを確信する。
大西洋電信会社の詩


深海の底で 深海の底
  どうやって電信は私にむかってくるのだろう。
深い海の底 深い海の底
信号が揺れながらやってきて,
電信の針が自由に振動して私に話しかける。
どうやってケーブルをひいたのだろう

深海の底 深海の底
信号がやって来ない。
深海の底 深海の底
どこか間違えてしまって 壊れた
信号が来ない原因は何だろう
何かがケーブルを叩き壊したか
強く引っ張りすぎたに違いない。

深海の底 深海の底
魚が呟いている
深海の底 深海の底
長い奇妙なものは何だ
長くて丈夫なものをどうやって引いたんだ
弾力があって,海水の中で変化しない

MAXWELL 拙訳

スチュアート
Balfour Stewart 1828-1887。エディンバラ生。エディンバラ大学卒業。ビジネスを経験後,フォーブズ教授の下で物理学を学び熱の研究をしていた。

ジェンキン
Henry Charles Fleeming Jenkin 1833-1885。エディンバラ学院でマックスウェルと同窓。1851年からトムソン教授と一緒に海底ケーブルの技術を担当。1868年にエディンバラ大学の工学教授

グレネア-に戻る

1865年の春にマックスウェルはキングズ・カレッジを辞職しグレネアーに戻って『電磁気概論』の執筆を始める。グレネア-では自宅の増築を行っていた。マックスウェルは建築デザインにも深い関心を持っていて,ケンブリッジ大学の教師であったWhewellやWillisと一緒に建築協会のメンバーであった。1862年にマックスウェルは橋や建物の梁の強度について論文『梁の強度計算』を書いていて,自宅の増改築に際して自分でデザインして,設計していた。デザインには"幾何の美"を多く取り入れる。。
ブラケットのデザインはエディンバラ学院の時に『卵形の特性と多焦点曲線』を書いた時に描いた曲線を使う。マックスウェルは玄関とホールの床のタイルもデザインする。19世紀中頃に流行していたヴィクトリアン模様で,色もマックスウェルが色彩理論に従って決めて,英国王室ご用達のミントン社に製作を頼んだ。日本ではミントンタイルは旧岩崎邸のベランダに使われている。
この建物は1929年に火事で損壊したまま放置されていたが,1950年にファーガソン氏が購入して,1992年から修復工事を行った。
グレネアーに帰ってからも1866年,1867年,1870年はケンブリッジ大学の優等卒業試験の試験官を担当してケンブリッジに行く。ケンブリッジから毎日キャサリンに街の様子,女性の服,聖書の話しを手紙に書く。
マックスウェルは多くの手紙を書いていて,毎日,午前と午後犬との散歩を兼ねて近くの郵便局に行く。午前は『電磁気概論』と『気体の動的理論』の執筆をして,午後は運動である。キャサリンとの乗馬を続けるため黒馬のデイジーを手に入れる。夜はチョーサースペンサーの評論,ミルトンの『失楽園』,シェークスピアの詩やドラマを妻の傍で音読する。日曜の午前は教会に行き,午後は聖書の研究をする。
マックスウェル夫婦は1867年の春から夏にかけてイタリアに旅行する。パリ万国博を見学したかどうかは分からないが,検疫のために仏マルセイユに滞在している間マックスウェルはボランティアをして水汲みをする。イタリアフローレンスでは偶然ルイスに会った。旅行中の8月25日にファラデーが亡くなる。76歳であった。
1868年にフォーブズ教授がセント・アンドリュース大学を退職した。後任にマックスウェルを推薦するためにグレネアーに来るがマックスウェルは『電磁気概論』を執筆中なので,これを辞退する。12月にフォーブズ教授が亡くなる。




Bracket
ブラケット

Tile
タイル

Minton tile in Iwasaki Musium
岩崎邸のミントン タイル

Glenlair Now
マックスウェルの家(現在)

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佐々木 梗 横浜市青葉区
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