におい

Devenport Robb

めらめらと香水燃ゆる嫉妬の美

香水の香が動揺を連れきたる

アイシャドウ寒しスペイドAが出て

肌ぬいて白き悪魔よ初鏡

森は女王のもの鵙の贄鵙のもの

佐々木有風

悪の華

教会に薫漲る香煙を、
匂い袋に染み透る麝香の匂いを、
悠々と貪る如く、また 陶然と、
時をり、君は吸ひたりや、読者の君よ。
『悪の華』 薫香 ボードレール 鈴木新太郎訳
幼童の肉のごと新鮮に、木笛のごと
なごやかに、草原のごと緑なる、薫りあり。
--あるは、腐れし、豊なる また ほこりかの、
無限のものの姿にひろがりて、
龍涎、麝香、安息香、焼香のごと、
精神と官覚の法悦を歌へる、薫。
『悪の華』 交感 ボードレール 鈴木新太郎訳
ボードレールが1842年頃から同棲していたジャンヌ・デュバルは太陽、椰子の實の油、麝香、瀝青、胸、黒髪、麝香と葉巻、緑の髪、獣、甘く饐えた、教会の香煙、髪の鹿子の色、毛皮と、脳に浸みわたる匂いをまとっている。
1857年に『悪の華』が公共道徳紊乱の容疑で押収されて裁判となる前、ボードレールが一夜を共にするサバティエ夫人は都会的な香りを持つ。
どんな物質にも気孔があると思われるほど強力な
匂いがあって、ガラスさへ透してしまうと人は言ふ。

時おり人は 昔の壜を見つけだす。思い出が詰められている
その中から 魂が蘇って来て 生き生きと 迸り出る。
香水の壜 鈴木新太郎訳
安息香、沈香、麝香、乳香、没薬、砂漠と森、組髪、香炉の香である。

龍涎
ambergris 抹香鯨の胃や腸にできる病的結石が長い年月海上を浮遊している間に日光と海水や空気と微生物によって異臭が除かれて妙なる芳香を放つ。中国で龍の涎と言われる。

麝香
musk チベット、雲南の山岳地帯の雄ジャコウ鹿の嚢から作る香料。麝は鹿の放つ香りが矢のように遠くに飛ぶように麝香の香りが強いこと。

安息香
benzoin マレー,タイのエゴノキ科の樹脂

沈香
agarwood インドなどの熱帯に生育するジンチョウケ科の樹脂が固まったもの。正倉院にある蘭奢待は沈香の一種である。

乳香
frankincense, olibanum エチオピア、オマーンなど痩せ地に自生するカンラン科の乳香樹の樹脂。樹脂の先端が女性の乳首に似ている。 神聖な香り

没薬
mirrha 東アフリカのスーダン、ソマリアや南アフリカ、紅海沿岸の乾燥した高地に自生するカンラン科の没薬樹の樹皮から滲出する樹脂。古代エジプトでミイラの防腐剤として使った。

さかしま

ユイスマンスが1881年に書いた『さかしま』に、
彼は竜涎香と、激烈な効果の東京麝香と、植物性香料のうちで最も刺激的な印度薄荷とを使用した。印度薄荷の花は自然のままの状態では、黴臭さと錆臭さを発する。ともあれ十八世紀風の様式が彼の頭に取り憑いて、どうしても離れなかった。箍骨で張り拡げたスカートや襞飾りが、彼の目の前をくるくる廻った。ぽってりと肉づきよく、桃色の綿でふくらんだようなブウシェ「ウェヌス」の幻影が、壁の上にちらちらした。テミドオルと、火色の絶望のなかで反り返った繊細なロゼットとの恋物語の思い出が、彼につきまとって苦しめた。かっとなって彼は立ちあがると、こうした幻影から解放されるために、あの甘松香の純粋なエッセンスを、鼻を鳴らして力いっぱい吸いこんだ。…その強力なショックに逢って、彼は頭がふらふらするのをおぼえた。
『さかしま』 ユイスマンス 渋澤龍彦訳

印度薄荷
patchouli スマトラが産地。シソ科の草木

ドリアングレイの画像

1891年ワイルドもにおいを描く。
人間を神秘的にする乳香、人間の情熱をかきたてる竜涎香、過去のロマンスの思い出をよびさます、脳髄を悩ます麝香、想像力を曇らす黄木蘭には、いかなる成分が含まれているか考えてみた。そしてしばしば真の香料心理学をまとめようとして、芳香をはなつ木の根、香の強い花粉をつけた花、あるいは芳香性の樹脂、黒ずんだ香木、胸の悪くなるような甘松香、狂気を誘うホヴェニア、たましいの憂鬱を追い払う力があるといわれる蘆薈などの影響を測定しようとするのだった。
ドリアングレイの画像 ワイルド 西村孝次訳

ゲラン

Jicky 乳香、没薬、安息香、白檀、麝香、竜涎香などの多くの香料は、ギリシャ時代に、東洋から西欧に伝わって使われた。キリストが誕生した時、東方の3人の占星術士が乳香や没薬を献上する。10世紀の頃アラビアのアビセンナがアルコールを蒸留して作ることに成功してローズウオーターを作る。18世紀に南フランスのグラースは香料製造業者組合を設立して、香料生産地となります。18世紀にフランスの社交会で香水が多く使われ、1823年にゲランがパリに香水店を開いて、1853年にがウージエニー王妃のためにオーデコロンインペリアルを創る。香調はシトラス、フローラルで、新鮮な洗練されたイメージである(らしい)。ゲランはこれによって皇室の調香師となる。ゲランの二人の息子が香水店を引き継いで、エメが1889年にジッキーを創る。1919年にクーデンホーフ光子にヒントを得たと言われるミツコを創り、1925年にシャリマーを創る。この年にシャネルがシャネルNo. 5を創ります。

香料は中国で生まれて日本にも伝わる。日本書紀の推古3年に、
三年の四月に、沈水、淡路嶋に漂着れり。其の大きさ一囲。嶋人、沈水といふことを知らずして、薪に交てて竈に焼く。その烟気、遠く薫る。則ち異なりとして献る。
の記録がある。鑑真が失敗した2回目の渡航の積載品の記録に麝香、沈香、甲香、甘松香竜脳香占唐香、安息香、桟香、零陵香青木香薫陸香が載っている。
1871年,岩倉使節団の久米邦武は、にパリサンテニス街317番にある、蜂がブランドマークの香水製造場を見学する。
香水は、百般草木の花実より、其香粉を分離して、水に和して用ふ、香を取るには、黄銅、或は銅鍋を用ひて蒸餾の術にて収めとるなり。…香の尤も烈なるは、麝香に及ぶものなし、其甚た烈なるを以て、特用し難し、只調和の剤に供するのみ、花卉よりとりたるもの尤も艶美なり、中にも印度の花卉、尤も芳香あり、…
米欧回覧実記(三) 巴黎府の記 久米邦武 岩波文庫
Oct. 2010(C) by TAKESHI SASAKI