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上田市北国街道ロケ地
iー愛ロマンチカ
    
2006.6.29ぶらりと長野新幹線上田駅におりた。
駅の観光案内所でパンフレットを見ていたら、
北国街道が市街地を通っていて
数々の映画のロケ地になっているという。
早速ホームページの格好の材料と
常磐城4丁目信号から歩いてみた。
さて心当りの映画シーンはありますでしょうか。

上田市とは:
長野県東部に位置する人口約16万人の都市。
交通の要衝として
古くは奈良時代から京都と東北地方を結ぶ
「東山道」の拠点として栄え、
現在は長野新幹線、しなの鉄道、上田電鉄が
上田駅で接続し、
また上信越自動車道を有している。
歴史的には、
大和時代に国造
(知事)がこの地に派遣され、
科野国
(しなののくに=信濃国の古名)の
政治、文化の中心地であった。
1583年に真田昌幸がこの地に
上田城を築城し、
以降城下町として発展した。
     
北国街道(ほっこくかいどう):江戸幕府によって整備された脇街道で、正式には北国脇往還という。
経路としては中山道追分宿から善光寺を経て北陸道高田宿に至り、現在の国道18号線にほぼ相当する。
善光寺への参拝の道として、佐渡金山の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした。

上田市街の北国街道には、上田城と上田宿があった。
   
上田ロケ映画:1923年以来上田を舞台にした映画は79本もあり、まだ当時の景観を残しているロケ地も多々あるという。
以下年代順の79本作品名(1923〜2006年)  (
赤色は北国街道のロケ地)
乃木大将幼年時代」「乃木大将伝」「孤児」「絹代物語」「愛の闘い」「生活線ABC」「歓喜の一夜」「不如帰」
「恋の花咲く伊豆の踊り子」「
愛撫」「恋愛スキー場」「1人息子」「荒城の月」「鶴八鶴次郎」「爆音」「次郎物語」「思出の記」
小春狂言」「或る女」「愛国の花」「姿三四郎」「夢よもういちど」「満月」「人生選手」「こころ妻」「次男坊」「愚弟賢兄」
「沓掛時次郎」「花ひらく」「次郎物語」「黒帯有情花と嵐」「燃える黒帯花の高校生」「不道徳教育講座」「からたち日記」
「正々堂々」「ハトづえ」「
続次郎物語」「駐在さん一家」「図々しい奴」「白い南風」「スター誕生」「風来坊物語」「成熟する季節
「青春とはなんだ」「必殺剣秩父水滸伝」「水で書かれた物語」「山のかなたに」「
けんかえれじい」「千曲川絶唱」「青い山脈
犬神家の一族」「男はつらいよ寅次郎純情詩集」「姿三四郎」「巣立ちの時教育は死なず」「楢山節考」「ひめゆりの塔」
君を忘れない」「三たびの海峡」「宮沢賢治その愛」「卓球温泉」「学校の怪談4」「リング0バースディ」「うずまき
淀川長治物語神戸編サイナラ」「LOVE SONG」「2009ロストメモリーズ」「およう」「羊のうた」「ラウンド1」「たそがれ清平衛
「スパイゾルゲ」「零-ゼロ-」「君のままで」「さよならクロ」「珈琲時光」「草の乱」「血と骨」「
青燕」「博士の愛した数式」
「嫌われた松子の一生」
2006.6.29長野新幹線上田駅に下車、お城口に出る。
駅舎は、写真手前がしなの鉄道、奧の方がJRと共用となっている。
駅から北西へ徒歩約30分の常磐城4丁目信号(写真左)丁字路から、18号線(写真中)を西へ歩く。
この日は梅雨の晴れ間の暑い日で、もう汗でビッショリ。
北国街道を250mほど進んだ
生塚信号丁字路で、18号線と分れ右折し細い道に入る。
道は真直で住宅街を通り、川のところで丁字路(写真左)となる。
丁字路の右コーナに1692年
(元禄5)建立の「右ぜんこうじ道道標が立っていて、
この道が善光寺への道であったことが知れる。
またこの辺りは「諏訪部
(すわべ)」といいい、古代には須波郷に含まれていた古い由緒ある地名で、
鎌倉時代に勢力を伸ばした諏訪部氏の本拠地があったところ、と伝えられている。
高橋付近
ロケ:「愛撫」「けんかえれじ」「淀川長治物語サイナラ」「羊のうた」「たそがれ清兵衛
丁字路の左手には、矢出沢川にかかる高橋が白壁の建物をバックにその姿を見せている。
この辺りで数々の映画のロケが行われたというが、なんとなく合点のいく景観である。
丁字路を左折し、次に右折して高橋(写真左)を渡り、突当りで左折する。
このように道が桝形になっているのは、城下に敵が侵入するのを防止する役目を果たしている。
高橋の下の用水路のような
矢出沢川河川敷で
たそがれ清兵衛の決闘場面をロケをしたというが、想像することが難しい!河川を改修したのかも。
左折すると新町となり、道は本当にのどかな通り(写真中)そのものである。
50mほど先の丁字路で、右に分岐する道の左角に「
北向観世音道道標(写真右)が建っている。
この道は明治28年に千曲川の上田橋が完成するまで、上田と別所や中南信を結ぶ重要な道路で、
茶屋や商店が並び賑わったという。
北向観世音像:厄除観音として知られる本尊の千手観音像。南向きの善光寺と相対しているので「北向」と名付けられた。
その先の左側に木製の鳥居のような構えがあり、地元の人に尋ねたら奧にある
向源寺の鳥居だという。
寺の門を鳥居と称するは初耳であったが、まあ神仏混合の伝統で別に気にすることはないとするか。
北国街道 新町標識の電柱の通りを東へ進む。
右に左に
古い建物があらわれ、なんとなく街道の名残を感じることができる。
北国街道鎌原町」標識の電柱手前の右側に、「鎌原地名由来説明板が立っている。
鎌原(かんばら):真田が城下町を造ったとき、その周辺に城下囲八邑(村)の一つとして、
屋敷年貢を免除し新屋などから移して造った村。

この地名説明板は、街道の要所に立っていて興味をそそる。
そのすぐ先の交差点左角の
酒造場和田龍看板がかかる建物は、時代がかったもの。
さらに進み、右側に白壁土蔵を構えた由緒ある建物の交差点に出る。
ここで街道を離れ右折すると、約500mのところに上田城跡公園入口がある。
上田城跡公園
ロケ:「乃木大将幼年時代」「愛の闘ひ」「荒城の月」「次男坊」「続次郎物語」「白い南風」「風来坊物語」「けんかえれじい
姿三四郎(’77)」「LOVE SONG]「博士の愛した数式
(上田城跡公園写真は2006.6.30に撮影)
二の丸橋を渡り、市民会館駐車場前を通り、平成6年に復元された東虎口櫓門(写真中)に進む。
門の右側の石垣に、築城したときに太郎山から掘り出したという「
真田石」名の大石(直径3m)がある。
本丸堀(写真左)は流がなく、静寂と緑でけだるい。
本丸、二の丸跡の公園は、櫓や石垣・土塁が残り、木洩れ日を散策する市民の憩いの場となっている。
ここは多数のロケ地となっているが、やはり選ばれるだけの景観を有していると思う。

上田城:1583年真田昌幸が築城し、約40年間真田家が上田の地を治めたが、
大坂の陣の後、仙石氏(約84年間)、松平氏(約160年間)と城主が変わっている。
千曲川段丘の地形を巧みに利用した平城で、2度に渡り徳川大軍の攻撃から守り抜いた名城として有名。
東虎口櫓門を入り、正面の真田神社鳥居をくぐり参道を進む。
参道の左側に「
酒樽茶室」と書かれた大きな樽が数個並んでいるが、本当に茶室?
本殿正面には、夏越
(なごし)の大払い式で飾られたばかりの厄除け「茅の輪」。
「水無月の夏越の祓いするひとは 千歳の命 延ぶというなり」
神社の左手奧には千曲川段丘の崖に建つ西櫓、神社右手は緑一杯の公園広場
元の十字路に戻り、北国街道(写真右)を東へ進み、
丁字路の左角の
紺屋町公民館(写真左)の門柱の右脇に、紺屋町の説明板が立っている。
紺屋町:築城のあと真田氏とゆかりの深い東部町海野(現東御市)から紺屋(染物屋)を移し、城下町の工業地として造った町。
後には紺屋は10軒にもなったという。

その先の左側にある、火返しをつけた土蔵造りの
旧家が、昔の面影をよく残しているとのこと。
柳町通り
ロケ:「小春狂言「白い南風」「い山脈」「けんかえれじい」「犬神家の一族」「姿三四郎(’77)」「君を忘れない」「うずまき
淀川長治物語サイナラ
道なりに歩き、蛭沢川にかかる緑橋(写真中)を渡る。
何故かこの橋を境にして道路の色が変わり、下を流れる
蛭沢川は用水路のよう。
橋を渡り左側の「
これより北国街道 柳町でありま須看板が迎えてくれる。
さすがにロケ地NO1の柳町、地元の力の入れようが伝わってきます。
なにやら江戸時代の趣のある建物を通り過ぎ、十字路正面右角に「保命水石碑がある。
その脇の手入れが行き届いた
石造井の側面につけられた、龍の口から水がこんこんと流れ出ている。
保命水:明治14年に新田の海禅寺境内から湧き出る清水を木管で引き、町の人たちの生活用水として利用されてきた。
今でもその功績に感謝して大切に保存・維持されいる。

十字路を右折し、正面にきれいに整備された真直ぐな柳町の通り(写真中)
その名の通り柳が、両側の
昔そのままのような建物が、素晴らしい江戸風情を漂よわせてくれる。
数々の映画ロケ地に利用されてきたのは、
この通りが江戸時代からの面影をそのまま残していることによるものと、現地に立って合点。
(以降の写真は2006.6.30撮影)
通りの中ほどの左側の柳町自治会館(写真左)前には北国街道道標と柳町説明板。
柳町:紺屋町と原町の両町をつなぐ街道筋に旅籠や商家が軒を並べるようになってできた町。
町名は町筋に柳の木が多かったことによる。最盛期には呉服屋が25軒もあって賑わった。

右側には店前に
蔵元の暖簾が立てかけてある、1706年(宝永3)創業の亀齢醸造元の岡崎酒造
杉玉のある建物は古式然で江戸時代を彷彿させてくれるもので、
ただ余り立派過ぎて、試飲をさせてもらえるはずであるが店に入りそびれてしまった。残念。
格子戸の家並みなどのある200mほどの通りは、突当りで
丁字路(写真中)となる。
丁字路を左折して中央3丁目交差点に出る。
交差点で右折し、原町を通る道(写真中)はゆるい下り坂でJR上田駅まで続く。
150mほどの左側に
池波正太郎真田太平記館があり、
道の反対側の
原町市神社には、真新しい夏越の祓・茅の輪が飾られている。
真田太平記館:上田城の築城から松代に移封されるまでの40年間の真田一族の波乱を書いた、
池波正太郎の「真田太平記」の自筆原稿など、ゆかりのある品々を展示してある。
夏越の祓い:6月の晦日に夏を越すために行われる祓で、竹を軸にした茅(ちがや)を巻いた大きな輪を人々がくぐり祓いをし、
招福、除災になるという神事。
これは、昔疫病あるときは茅の輪を腰につけると免れると、神から教えられたという故事に由来したもの。
原町通り、中央2丁目交差点付近
ロケ:「小春狂言」「成熟する季節」「けんかえれじい
その先の原町通り、中央2丁目交差点付近あたりがロケ地ということであるが、
どこにでも見られる平凡な景観のようなでもあるし・・・。
交差点を左折し、海野町商店街通り(写真中)を東へ進む。
通りの左側の店の間の奥まったところに
高市神社があり、ご神体は丸い石で、
上田城築城のとき真田家ゆかりの「海野
(海野宿)」の白鳥神社から霊力宿る石として授かったもの。
神社の左側の丸い「
運の石」は、真田昌幸、幸村雌伏の地九度山の神石にご神体の霊力を移したもので
右から左へなでれば悪運をはらい
左から右へなでれば良い運が開ける、という。

道路の反対側のオオムラ衣料品店前に、「
上田宿本陣問屋跡石碑が建っている。
ということは、この道は宿場通りであったところであるが、全くその面影がない。
本陣
(大名や公家の宿泊所)は柳沢家が務め、問屋(貨物の継送りなどの事務を行うところ)も兼ねていた。
海野町(うんのまち):上田城築城の際に真田氏ゆかりの本海野(東部の海野宿)から商人などえを移住させてできた町で、
上田城下最古の町人町といわれている。
次の海野町・横町信号交差点(写真左)で右折し、横町の通りを進む。
道の左側に、上田藩の松平氏の時代に、参勤交代出立の吉日を決めた宗吽寺(写真左)
続いて真田家の先祖、海野家の守り本尊「観音菩薩」を安置している
日輪寺
日輪寺を過ぎ、
丁字路を左折する。
この道は常田の通り(写真中、右)といい、なんとなく江戸時代面影が漂う通りである。
右側に
白壁の格子造りの旧家が軒を連ねて並ぶ(写真右)さまは、まさに江戸風情そのままである。
常田(ときだ)の地名:鎌倉時代には常田庄と呼ばれていた由緒ある地名で、築城あと城下囲八邑(村)の一つとして重視し、
科野大宮社近くに屋敷割をして造ったのが、常田の始まり。

進んで左側に
佐久間象山先生勉学之碑が立つ毘沙門堂。
常田の通り、科野(しなの)大宮社付近
ロケ:「犬神家の一族「姿三四郎(’77)」「学校の怪談4
左側前方の高い木のある科野大宮社周辺でも、ロケが行われている。
江戸時代この辺りには茶屋があり、さらに鍋釜の製造販売、寺院の鐘、上田藩の大砲製造もしていた。
科野大宮社:1300年も前からあったといわれている格式の高い神社で、歴代藩主に崇敬され上田城の鎮守でもあった。
境内には、樹齢300年樹高18mのけやきなど巨木が30余本あり市指定の天然記念物となっている。

なお科野(しなの)は、信濃の古名。
境内を過ぎると丁字路(写真右)になり、左折しすぐ右折して正面建物の脇の直線道路を進む。
信州大学繊維学部
ロケ:「次男坊」「淀川長治物語サイナラ」「青燕
突当りは変則丁字路(写真中)で、
丁字路の
左に信州大学繊維学部(写真左)があり、ここでもロケが行われている。
北国街道は丁字路を右折し、すぐ先の
丁字路(写真右)で左折する。
北国街道は踏入の町の直線的な道を進み、18号線と再度合流する。
     
これで、上田市街を通過する北国街道と映画ロケ地の訪ねる歩きは終わりとなる。
さて皆さんは、どれだけ映画のシーンを思いだされたことでしょうか。