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              歩く 中山道
洗馬宿→本山宿→贄川宿
長野県塩尻市)      (塩尻市)         (塩尻市) 
 iー愛ロマンチカ
この時点で、既に京都まで歩き終わっていたが、
途中歩き残した洗馬宿から贄川宿と追分宿から望月宿間を、中山道最後の旅として2009.5.15から2泊3日で歩いた。

洗馬宿から贄川宿は、2009.5.15日に歩いた。
横浜を出発するときの当地の天気予報は曇りであったが、変わりやすい山の天気のこと雨の心配ばかりの旅であった。
今回訪ねた洗馬宿、本山宿、贄川宿とも過去にたびたび大火にあい、宿場の殆どが焼失していた。
これは他の宿場の多くもそうであるが、いまさらにように木造文化の火災に対する恐ろしさを知った。
私ごとの余談になりますが、わが木造住宅も万が一災害にあったら到底再建できる家計経済でないため、
住宅に家具に精一杯の火災保険と地震保険をかけて、ひたすら無事を祈っています。

地震・雷・火事・おやじと言いますが、おやじ以外は今でも健在だと思います。
経路
JR塩尻駅…(下大門信号)県道305号(中仙道一里塚信号)国道19号一般道(平出歴史公園信号)県道304号(洗馬宿)304
                                                          ↓
(JR贄川駅)19←一般道←19←山道←19(間の宿日出塩)一般道←19号←一般道(本山宿)一般道←19(牧野信号)
      ↓
19号→一般道(贄川宿19(平沢北信号)県道257号(木曾平沢)一般道(平沢南信号)19号(奈良井橋)一般道…JR奈良井駅
2009.5.15 横浜を早朝出発し、JR特急スーパーあずさ1号で9:30塩尻駅(写真左)着。
駅からタクシーで2007.8.11に歩いた終点、
下大門信号4差路に9:47到着。
塩尻宿の方から来ると、この信号交差点で左折する。
旧中山道の県道305号線(写真左)を約2分ほど進み
樹齢約300年の
大ケヤキ(写真右中)のある大門神社(写真左中)
さらにすぐ先右側に、耳の病気が治ることを祈った小さな祠の
耳塚神社
耳塚神社:1548年(天文17)5月武田信玄と小笠原長時の桔梗ヶ原合戦で討死した将兵の耳を葬ったところと言われている。
明治29年野ざらしになっていた塚に祠を建て、2本の剣を御神体として祀った。
耳の形に似た素焼きの皿やおわんに穴を開けて奉納すると、耳の聞こえがよくなると評判になった。
現在の祠は、昭和53年建立の3代目のもの。
左側に、白壁土蔵のある由緒ありそうな上品な建物(写真左)
その先で
JR中央本線のガード(写真中)を潜り、右側のメタセコイア並木昭和電工敷地境界を約1km進む。
昭和電工を過ぎ、左側に原型を留めている江戸日本橋から59番目の平出一里塚(写真左)
さらに約2分ほど先左側に、「
国史跡 平出遺跡看板(写真右)
寄道し、左折して約50m先右側平出遺跡公園に、古墳時代
(約1300年前)の復元された竪穴住居
平出遺跡:縄文時代から平安時代にかけての大集落。
これまで縄文時代62、古墳時代79、平安時代28、時期不明30の計199軒の住居が発見されている。

元に戻り、約5分ほど進みJR中央本線踏切(写真右)を横断し、
さらに約7分道なりに進み
中仙道一里塚信号交差点(写真中)国道19号線と合流し、左折して進む。
19号線を約12分進んだ左側、ガソリンスタンド手前の細い斜めの分かれ道(写真右)に入る。
入口には中山道標識がないので、注意。
農園とガソリンスタンドの間の、今どき珍しい
砂利道(写真中)を進み、
突当りで
車道に上がり右折する。
直進して平出歴史公園信号交差点(写真左)で19号線を横断し、県道304号線を道なりに進む。
      
洗馬宿:1614年(慶長19)、中山道のルート変更に伴い塩尻宿、本山宿とともに設置された宿場。
洗馬は北国西街道
(善光寺街道、善光寺西街道)の追分があったところで、
西国から善光寺詣でする人たちで賑わった。
また街道を通行する伝馬の荷物の重量を検査するために、荷物貫目改所が設置されていた。
宿場成立当初から火災が多く、
1647年
(天保4)、1648年(慶応元)、1785年(天明5)、1838年(天保8)、昭和7年に大火があり、
特に昭和7年の大火では宿場の殆どの建物が焼失してしまい、本陣、脇本陣もこのときなくなった。
洗馬の地名由来:平家追討の挙兵をした木曾義仲がこの地で、四天王の一人の今井兼平と合流した。
このとき、義仲の馬が極度に疲弊していたため、
兼平がこの馬の脚をうっそうと茂る欅の根方から湧く清水で洗ってやったところ、たちまち元気になった
というこの故事から、「洗馬」と名づけられたという。

本陣1軒、脇本陣1軒。
車も人も全く通らない304号線(写真左)は下り坂となり、
右側に「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」と歌われた赤松の名木
肱懸松(写真中)
もともとはここから約20m先にあったもので、二代将軍秀忠が上洛の折、肱をかけて休んだとも言われている。
木の根本に、真新しい「
中山道洗馬宿標識
さらに坂を下り続け、下り切ったところで右からの善光寺道の県道294号線と合流(写真左)して進む。
合流点の三角地帯に「
左北国往還善光寺道」「右中山道道標(写真中)
道標:左側の294号線を約50m行くと常夜灯のある枡形に至り、ここが中山道と善光寺道のわかされでこの道標もそこにあった。
昭和7年の「洗馬の大火」以降、右側の中山道新道が開通したときに道標もこの三角地帯に移された。
宿場通りの304号線はゆるい上り坂となり、右側小路入口に「
あふたの清水案内標識

寄道のため右折して小路を進み、階段(写真右)を下り左側に
平成21・1・25に改修したばかりのピッカピカの水槽に流れ落ちる「
あふたの清水」。
あふた(邂逅)の清水:1180年(治承4)、以仁王は平氏追討の令旨を出した。
木曽の地にいた木曽義仲もこれに挙兵し小県の依田城を目指す途中、この地で4天王の一人今井兼平とで出会ったが、
義仲の馬は強行軍で疲れ果て、一歩も進むことができなくなっていた。

兼平は、この馬をうっそうと茂る欅の根方から湧く清水に引いて脚を洗ってやったら、たちまち元気になったという。
以来この清水を「あふたの清水」(一説には、おおた(大田)の清水)と呼ぶようになった。

坂を上り切り、宿場通りの左側に「洗馬駅案内標識(写真左)
その先辺りに本陣跡があるはずと探していると、左手奥の勝手口に女性の姿。
本陣跡を尋ねると、うつむき加減に小さな声で「ここの私の家です。」にビックリ!
上品でとても素敵な美人の奥さまでした。

左側に、
百瀬家本陣跡(写真中)
その先左側に、中山道では板橋、追分と洗馬の3宿に置かれた
荷物貫目改所跡案内板
荷物貫目改所:人足と馬に過重な負担がかからないように、規定の重量を越えた荷物に増賃金を徴収するなどをするところ。
さらに左側に、志村家が務めた脇本陣跡碑(写真左)
宿場の外れ近くの左側洗馬公園の一角に、
高札場跡案内板洗馬宿碑中山道碑(写真中)
ここから304号線は下り坂となって
JR中央本線ガードを潜り、こんどは上り坂を進む。
集落(写真左)を通り、しばらく先で右に半円(写真中)を描いて進み、
牧野信号交差点で
19号線と合流し、右折する。
     
本山宿:1614年(慶長19)、中山道のルート変更に伴い塩尻宿、洗馬宿とともに設置された。
木曽路の玄関口として栄え、松本藩の木曽口の固めとして口留番所が置かれていた。
そば切り発祥の地と言われ、そば切り技術は本山宿から全国に広がったという。
ただ現在本山でそばを食べられる店は、1軒しかない。
本陣1軒、脇本陣1軒。
真っ直ぐな19号線を進み、左上「本山浄水場案内標識(写真左)を過ぎ、
その先の
分かれ道(写真左中)は19号線と分かれ右手を進む。
すぐの左側に、
中山道本山宿碑(写真右中)とその右に本当に小さな祠の秋葉神社と石仏群
この小さな小さな秋葉神社の名前が、ゼンリンなどの地図に堂々と載っているのにはビックリ。
宿場通り(写真左)を進み、
右側に「
本山そばの里営業中看板(写真中)と、
右手に地元のおばさんたちの手作りそばで、そば打ちも体験もできる「
そば切発祥の地そばの里
なお、本山宿はそば切り発祥の地と言われているが、現在そばを食べられるのはこのそばの里店だけ。
そば切り:江戸時代文献に、「本山はにそば切りの発祥の地」と紹介されていると言われているが異説もある。
そばを薄く平に延ばして包丁で細長く切ることから「そば切り」と呼ばれ、現在は省略して単に「そば」と呼ぶ。
そば粉を練った「そば掻き」と区別するために、「そば切り」と呼ばれてきた。
ゆるい坂を上り宿場の中心に入り右側に、
当時のまま通りに斜に構えた出桁造りの
旅籠川口屋(写真右)
反対の左側の小路の奥に、明治天皇行在所跡碑の立つ
小林本陣跡(写真左)
その先左側に、中山道碑と足元草むらに隠れた本山宿碑の立っているところが脇本陣跡
昭和7年の大火で宿場の大部分が焼失しているので、宿場には特に見るべき史跡がない。
宿場を過ぎるとゆるい下り坂となり、その先で19号線と合流(写真左)し右折して、
JR中央本線沿い(写真中)に進む。
宿場から約7分ほどのところで、右手に斜めに分かれる
未舗装の細道に入る。
ここには中山道標識がなく、線路の反対側上「株式会社シンセイ看板が目印。
線路沿いに進み、踏切(写真左)を渡り道なりに左折して潟Vンセイ前(写真中)を通り、
突当りで右折して進みその先で
車道と合流して、右折する。
ひっそりした真っ直ぐな道(写真中)を進み、
約2分ほどで左側に竹柵で囲まれた
日出塩一里塚跡碑(写真左)
その先左側に、
JR日出塩駅案内標識
日出塩地区は間の宿であったが、特に宿場の名残りのようなものは見当たらない。
さらに進み19号線ガード下(写真右中)を潜り、
左側に熊野神社を案内する御岳公園碑(写真左)、神社はJR中央本線ガード(写真左中)から約200m登った所。
その先で車道から右に分かれる
細い道を下り、
19号線下を潜り奈良井川の崖道を通って道なりに左にカーブして上がる。
突当りで19号線と合流(写真左)して右折して進み、緑に囲まれたゆるい坂道(写真左中)を下り続ける。
19号線を約14分ほど下り、
左にカーブ(写真右中)する右側桑埼口バス停脇に「桜沢木曽路入口
左にカーブしすぐ左上に「是より南 木曽路標識(写真左)
続いて
小さな橋(写真左中)を渡り右側に、「是より南 木曾路(写真右中)と「これより南木曾路案内板
案内板:この地は木曽路の北の入口であり、江戸時代には尾張藩領の北境であった。
石碑は桜沢の藤屋百瀬家が昭和一五年に建立。
裏に「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」とある。
木曽路碑の道の反対側に、「中山道」標識のある左方に上る坂道(写真左)が旧中山道。
碑の前でガードレールが一部巾途切れているので、交通量の激しい19号線を自己責任で横断し、
坂道(写真中)を上り突当りを道なりに右折し、すぐの分かれ道は右手の道を上る。
緑の濃い、変化に富んだ山道(写真左)を上り、左側が崩落防止ネット右側が崖の道(写真中)を下り、
登り始めてから約6分の
分れ道は、右折する。
分れ道の左角に小さな祠に古い石仏(写真中)、奥に廃墟となった鉄道トンネル(写真左)
右折して坂を下り、
19号線と再び合流して左折する。
19号線(写真左)の坂を下り、
約2分ほどの右側に「明治天皇櫻澤御小休所」碑の立つ
桜沢茶屋本陣(写真中)
さらに下り、右手下方に素敵な景観を呈している
奈良井川のダム
長い坂道を下り、奈良井川にかかる片平橋(写真左)を渡る。
さらに延々と下り、
橋から約14分の
右側側壁(写真中)上に、19号線拡幅で縮小した直径5m、高さ1mの若獅子一里塚
その先の「酒は中乗さん」などの看板が立つところで、19号線と分かれ右手の細い坂道(写真左)を上がり、
若獅子集落(写真左中)を通り、左側石造物(写真右中)のあるところで道なりに右にカーブする。
カーブの先で小さな橋を渡り、分れ道(写真左)は右手の坂を上り、
次の分かれ道(写真中)は左手の道を進み、右下方に19号線を見ながら中畑集落を進む。
突当りで道なりに右折し、分かれ道(写真右)は右手の草道を上り左にカーブして、
よく手入れされた
草の崖道(写真中)林の中を進む。
その先の分かれ道は、中山道標識のある左手の舗装坂道(写真左)を下り、
19号線に合流(写真中)して右折する。
旧中山道は、この辺りから19号線を横断しさらにJR中央線を渡って右折し、
線路沿いに進み贄川駅裏を通り贄川宿に入るが、現在はここから贄川駅までの間の道が消滅している。
19号線の坂を数分下り、左手上にJR「贄川駅案内標識
     
贄川宿:木曾11宿の最北端にある、山間の小さな宿場町。
木曽路は尾張藩領で、本山宿の松本藩との領界にあたるため、北の入口に福島関所の副関所が置かれ、
女改めや木曾5木の持ち出しの取り締まりなどを行った。
現在、贄川関所は古文書などに基づき忠実に復元され、木曾考古館として利用されている。
宿場はこれまで数回の大火にみまわれ、特に昭和5年の火災で町並の殆どが焼失している。
贄川の地名由来:当時温泉が出たことから「熱川」と書かれていたが、温泉が枯れてから「贄川」の漢字を当てるようになった。
本陣1軒、脇本陣1軒。
JR贄川駅(写真左)の前で19号線を横断し、贄川宿看板(写真中)の立つ19号線左側歩道を進み、
JR中央本線沿いにゆるい坂を上る。
贄川宿入口看板(写真右)が立つ突当りで左折し、関所橋側道(写真中)を渡り、
右折して
贄川宿へ入る。
橋を渡ってから左折する道が、途中消滅している旧中山道。
寄道して旧中山道の坂(写真左)を下り右側に、古文書をもとに忠実に復元された贄川関所の木曾考古館。
ひっそりと静まり返った宿場通り(写真左)右側に、「秋葉神社・津島神社合同鳥居合同社
その先右側にも、「津島神社・秋葉神社合同鳥居社は別々(写真右)
鳥居の左側に
水場(写真中)があり、確かこの辺りに本陣、脇本陣があったはず。
地元の若奥様いわく「昭和5年大火で本陣など全て焼失してしまい今は何も残っていない」と、旅人の私に申し訳なさそう。
いえいえ「木造文化は、また火事の文化」、決して美人の奥さまのせいではありませんよ、と優しくこたえる旅のヒトコマ。

左側に、宿駅の町家の姿を忠実に留めている、
国重要文化財深澤家住宅3棟
深澤家住宅3棟:深澤家は、屋号を加納屋といい京、大阪まで販路を伸ばし、苗字帯刀を許された贄川宿屈指の商人。
中山道に面して主屋が建ち、その背後の中庭を挟んで北蔵と南蔵が並ぶ。
主屋は1851(嘉永4)年大火後54年に再建され、北蔵は1821年(文政4)、南蔵は1862年(文久2)に建築された。
各建物の建築年代が明らかで保存状態もよく、木曾地方の町家建築の到達点を示す建物となっている。
宿場の外れの右側「ひのきや(写真右)角で、「中山道」標識がある小路(写真中)を右折し突当りを左折して、
さらに
突当りを右折する。
JR中央本線を横断する陸橋(写真左)を渡り、19号線(写真中)に出て左折して進む。
右側に、見学用駐車場まで用意してくれている長野県天然記念物「
贄川のトチ看板
寄道して看板から右折し、民家の敷地奥に巨大幹回り(写真右)に圧倒されるトチの木
贄川のトチ:1740年(天文5)に既に大樹として文献に載っている、樹齢千年、樹高33m、根元周囲17.6mの巨木。
19号線に戻り、ゆるい坂道を下り左側に「木曽路民芸館」「五平餅つちや看板(写真左)が並び立つ。
その先左側にある
木曽路民芸館(写真中)前を通り、法面と手すりの狭い間に入る。
そこは19号線沿いにグレーチングを張り出して作った通路(写真左)で、
旧中山道を旅する人のためにわざわざ作ってくれたものではないでしょうか。感謝と感激。
グレーチングから下をのぞきながら歩き、突当りで
左の階段を上る。
階段を上り切り、右折して中山道標識のある坂道(写真左)を下り、民家の間(写真中)を通り、
右側にまだ新しい
中仙道碑
道なりに進み、小さな橋(写真左)を渡り、さらに坂道を下って集落(写真左中)を通り、
その先の道の
右側の畑(写真右中)の中に押込一里塚跡碑
突当りで右折(写真左)し、すぐ奈良井川にかかる桃岡歩道橋(写真中)を渡り、
JR中央線ガード下を潜り、19号線の坂を道なりに左にカーブして下り、
廃業したガソリンスタンド手前の「中部北陸自然歩道」道標の立つ三角地帯で、
19号線と分かれ
左手の道を進む。
自然に囲まれた道(写真左)を約7分ほど進み、再び19号線と合流(写真中)して左折しを下る。
約6分ほどの平沢北信号丁字路(写真左)で、19号線と分かれ右折して県道257号線を進む。
道の駅ならかわ(写真中)前を通り、道なりに257号線を約14分進んで楢川集落に入る。
塩尻市楢川支所入口(写真左)で左折し、右側に「送られつをくりつ果ては木曾の秋」芭蕉翁碑
案内板の奥の分れ道は、
右手のゆるい山道を上る。
すぐ頂上になり、左手に諏訪神社(写真左)
右折して
鳥居(写真中)を潜り、急階段を下りて再び257号線に出て左折する。
その先の分かれ道(写真右)は、左手の木曾平沢案内標識のある257号線(写真中)の坂を下り、
左側にひっそりたたずむ
二十三夜塔
257号線の坂を約8分下り、会津若松、輪島と並ぶ漆塗り生産地「漆器の里」平沢集落(写真左)に入る。
狭い道の両側に、当時のままに
道に斜に構え(写真中)て「漆器店」看板の並ぶ古い建物は、
時代劇のセットのようで、さすが重要伝統的建造物群保存地区の町並。
宿場の外れから上り坂(写真左)となり、奈良井川にかかる漆橋の丁字路あたりで上り切って直進する。
その先辺りで旧中山道は、JR奈良井駅近くまで消滅してしまっている。
ここからJR奈良井駅までは、次の3ケースの経路がある。
ただし、いずれのケースも奈良井川にかかる奈良井川橋を渡る手前で、一緒になる。
ケース1(写真左) JR踏切手前から右手に分かれる坂を下る。最近整備された自然に恵まれた道。
ケース2(写真中) 踏切を渡り、すぐ右折して線路沿いに坂を下る。古そうな町並を通る道
ケース3(写真右) 踏切を渡り、直進して突当りの平沢南信号から右折し、19号線を下る。都会的な道。
何故か、ケース3のもっとも環境が悪くつまらない国道19号線を選択してしまった。
平沢南信号交差点(写真左)で右折し、19号線の坂(写真左中)を下り、
奈良井橋手前で19号線と分かれ、
前述のケース1と2の道と合流(写真右中)して奈良井川橋を渡る。
橋を渡り左折(写真左)し、道なりに進みJR中央線踏切(写真左中)を渡り、線路沿い(写真右中)に坂を下り、
下り切って
奈良井宿方向へ進む。
左側に、2007.10.24訪れたJR奈良井駅
時は17:26で、今日はここまで。
明日は、軽井沢の方へ戻り追分宿を歩く。
JR中央線の奈良井駅・塩尻駅区間は、本数が少なく17時台はゼロ、次の電車は18:25.
軽井沢まではいけないので、中間の急遽JR篠ノ井駅に宿泊することにし近くのビジネスホテルを携帯で予約。
JR篠ノ井駅に20:14到着。
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