能見台森の「鎌倉街道下道」
   
能見台森の中の鎌倉街道下道は、六国峠ハイキングコースを歩く。
能見台森の六国峠ハイキングコースにある、旧道との接続点から、階段を下りる。
階段は急で、鋭角に左折して、階段を下り続ける
途中右手に下りる階段は能見台六丁目へ通じる道、その先のベンチ前の左側の階段はシティ能見台西バス停へ通じる道。
道なりに進み階段を下り、を渡り、また階段を下る。
階段を上り、階段を下る。頻繁にアップダウンの繰り返しをする。
能見台森は、ハイキングコースになっているのでよく整備されていて、安全。
木の根っこが張り出しているのは、歩いた範囲ではここだけ。
最大の下り階段、最高の上り階段、そして道が茶褐色になる。
道の変色が合図が如く頂上らしいところになりベンチがある。
ここからは基本的に下り坂で、すぐ先の
丁字路は直進する。ちなみに、左折すると「関ヶ谷不動尊・お不動池」へ。
その先の
バリケードで、一旦森から出る。
すぐの分かれ道は左手を、次の分かれ道も左手を進みその先のバリケードを通り、道なりに進む。
突然右手が開けて近代的な絶景。コースで、このような開けた景色が見えるのはここだけ。
その先の分かれ道は、
右手の坂道を進む。正面の階段は、能見台跡へ通じる。
坂を下りすぐ右側に、「
金沢八景と能見台案内板
また左側には、「金沢八景根元地・能見堂石碑が建つ階段。階段を上がると、「能見台跡」。
能見堂と金沢八景:この場所には、平安時代藤原道真が結んだ草庵が始まりという、「能見堂」があった。
「能見」のいわれには、平安時代の仁和年間の絵師巨勢金岡がここからの金沢の景色を描こうとしたが、
あまりにもの美しさにのけ反ったから「のけ堂」と呼ばれるようになった、など種々の説がある。
この能見堂からの素晴らしい眺望が、中国の瀟湘八景(しょうしょう はっけい)に似ていることから、
「金沢八景」と呼ばれるようになった。
金沢八景根元地・能見堂石碑:能見堂跡に残されていた唯一の石碑で、1803年(享和3)建立。
碑の銘文は、江戸時代の書家図南田翼が書き、裏面には百数十名の江戸の人たちの名前が列記されている。

現在は、木々が成長しまた都市化されているため、「金沢八景」を「能見」するどころではない。
元の道に戻り、案内板の前の分かれ道は左手を進み、開けた広場に出る。
一瞬、
道がなくなったと思わせるところも。
坂道を下り案内板の立つ分かれ道は、真直ぐ進む。
この案内板のところで、中年の美女3人組に出会う。反対側から上って来たとのことで、さてこれからどちらへ?
美女とあらば、いろいろ話をしたかったが何しろ先を急ぐ身。ちょっと話をしたでけで、サヨナラ、でした。
いつか、また会えるかな~。
「ところで、美人と美女は、どう違うんですか?」
「美人を卒業すると、美女になるんですよね !?  違うかな?}
ネットでしっかりガードされた切通の道、切通の階段
下方に、能見台森に入って以来の住宅。お懐かしや!
建物角に接近して右折し、下る坂の右側に「六国峠入口看板
ここで、能見台森は終わり。
六国峠ハイキングコース(能見堂跡~大丸山~鎌倉天園峠)は、ここから能見台森に入る。