《1999/8/18-25 フィンランド・ロシア(サンクトペテルブルグ)旅行記録》 

@8/18WED.  ヘルシンキ空港経由でタンペレへ
 同じ寮に住むラリーマニアの
同僚Gと成田空港へ出発。成田からヘルシンキへフィンランド航空の直行便で向かう。15時着。ヴァンター空港からタンペレ行のバスがあったので乗車。高速道で約2時間半でタンペレ到着。早速ホテルにチェックインし、フィンランド名物のサウナを試してみる。汗がどんどん出て気持ちいい。そのあと、市の中心部へ出るが、あまりめぼしい食事場所がなく,夕食はハンバーガーとピザ。


A8/19THU.  タンペレからユバスキラに移動
 タンペレ市内の市場を覗く。生きたザリガニを食用に売っている。公園のように緑が多い街を歩き、「ムーミン谷」へ。(実はGはムーミンが大好きらしい。)作者のトーベ・ヤンソンの原画や物語の場面の人形による展示がある一種のミニ博物館。やや子供の情操教育向け?他の来館者もみな日本人。幼児期にアニメを見た影響か。次に110mの高さの展望台へ。ここの眺めは素晴らしい。青い湖とそこに浮かぶいくつもの島のように緑の森が地平線の向こうまで広がっている。
 昼食後、レンタカーでユバスキラへ移動。あまり起伏のない森の中を80-120km/hで進む。ところどころに湖はあるものの景色はやや単調。約2時間半でユバスキラ到着。市内のホテルが満室で、紹介してもらった民家に泊まる。冬は老人の介護、夏は旅行者向けに部屋を貸出しているらしい。夕食は街中でなぜかスペイン風料理?


B8/20FRI.  ラリーを観戦
 車でラリーのコースへ。ラリーは普通の乗用車(三菱ランサーなど)を改造したもので、公道上の指定された区間のタイムの合計を競うものとのこと。自動車メーカーが宣伝のために参加している。Gが言うように結構ヨーロッパではファンが多いらしく続々とコース付近に人々が詰めかけて来る。キャンピングカーも結構目立つ。牧草地の向こうに湖と森が見える気持ちのいい場所だったが、途中から雨に降られながら開始を待つ。肌寒い。 ラリーカーが猛スピードでカーブを曲がり土煙をあげると観客が選手の出身国の国旗を振ったり、笛を鳴らしたりで大歓声。となりでビデオを構えている人は、スイスからグループで来たそうだ。集まってくる観客を見ているのも楽しい。
 市内に戻り当日のゴール地点へ。ここも観客が早くから集まっている。明るいものの夜8時を過ぎているので、半分くらいの客は酒を飲んで大騒ぎ。ゴールに突っ込んでくるラリーカーを見終わって、民家の台所を借りて作ったパスタとポークの夕食をとった後、11時過ぎに市の中心部に戻ると路上で大勢の人が酒を飲みながら盛り上がっている。短い夏の週末の夜を楽しんでいるという感じ。
 駅の構内にあるバーで列車を待つ。ここも外と同じに満員で賑わっているが、カラオケがあって客が歌うとそれに会わせて十数組の老若男女のカップルがダンスをしている。こんなカラオケの楽しみ方は始めて見た。


C8/21SAT.  列車でサンクトペテルブルグへ
 駅まで送ってくれたGと別れ、ユバスキラ1:17 発の列車で途中一回乗り換え、南部の街コウボラへ。5時過ぎに着いたが、駅の待合室も閉まっており、街中にも開いている店がない。寒い。この街も昨夜はドンチャン騒ぎだったのか、メインストリートにゴミが散らかっているのを清掃していた。朝6時に駅の待合室が開いたのでベンチで仮眠。
 8:24発の列車シベリウス号に乗車。途中で鉄条網がある国境を超え、約4時間でサンクトペテルブルグのフィンランド駅に到着。いまだにレーニン像があるレーニン広場からネヴァ川沿いに巡洋艦オーロラ号へ。ここは人気スポットらしく、子供からウェディングドレス姿のカップルまで多くの人が集まっている。 宮殿建設時にピョートル1世が仮住まいしたピョートル小屋、ゾルゲ事件で処刑されたスパイであるリヒァルト・ゾルゲの来ていたコートも展示されている政治歴史博物館を見て、ペトロパブロフスク要塞へ。ここには、最近発見されたロシア最後の皇帝ニコライ2世一家の遺骨が埋葬されたペトロパブロフスキー聖堂、ロシア帝国時代の政治囚が閉じ込められた監獄(私だったら気が狂いそうな暗い独房)などがある。 雨が降ってきたが、ネヴァ川の橋を渡り一番の繁華街ネフスキー通りを歩き、やっと地下鉄の駅を見つける。日本とは比べ物にならないくらいホームが深く、エスカレーターに5分近く乗る。
 日本から予約して泊まったホテル・モスクワは、旧ソ連国営旅行社インツーリストの経営。1フロアの部屋数が二百近くありエレベーターから部屋まで5分以上も歩く非効率的な建物。それでも部屋の中はまあまあ。夕食は、ホテルの近くでホットドック、ケバブ、ビールそれとキャビアが50p(ルーブル、1ルーブル
=\5くらい)だったので買ってきて部屋で食べる。


D8/22SUN.  エルミタージュ美術館
 ホテルの近くのアレクサンドル・ネフスキー修道院で礼拝をみて、トロリーバスでエルミタージュ美術館へ。入場料は250pだが、ロシア人は身分証明を見せると15pらしいし、学生は無料なので来館者がひっきりなし。とにかく部屋の数が300以上で規模が大きい。建物の中の壁、柱、天井の装飾も美しく、家具もかってのロシア皇帝が冬宮として使っていた時代のものが残されており見所はつきない。また、ゴッホ、マチス、ミレー、ピカソなどの作品もこんなにたくさんロシアで見ることができると思っていなかったので驚き。ここは日本人団体客も多かったが、西欧美術を中心に見ているようだった。5時間近くいても見きれなかったが閉館。
 近くのデカブリスト広場に寄って、ネフスキー通りをホテルまで歩く。カザン聖堂、モスクワ駅や商店を覗きながら歩いたので約5kmの道を2時間以上かけてホテルへ。夕食はホテル近くのカフェでイクラのサンド、きのこのスープにビール。


E8/23MON.  サンクトペテルブルグ市内を散策後、タリン行の夜行列車に乗る
 夜行の切符を買いにワルシャワ駅へ。モスクワ駅と比べ小さくローカルな雰囲気。3pで入ったトイレの便器には便座がなかった。(椎名誠の話は本当だった)切符売場も窓口が二つしか開いていないが、intouristの窓口で紙に駅名と列車名を書いて見せたらすんなり買えた。エストニアのタリンまで夜行のハードクラス寝台で476p(約2300円)。日本で旅行会社を通じて頼むと$75だそうなのでかなり割安。ここでは荷物を預けられないのでモスクワ駅に移動し荷物を預け、イサク聖堂へ。ここは内部の装飾画も見事だが、らせん階段を上り屋上のドームから見たサンクトペテルブルグ市内の眺めが、高層ビルなどの障害物もなく素晴らしい。
 運河沿いの道を歩き、ロシア特有の天辺がネギ坊主のような形をしたスパース・ナ・クラヴィー聖堂、プーシキン像のある芸術広場、マルスの広場を歩き、並木道と彫像が独特の雰囲気を出す夏の庭園へ。ここでビールを飲んでくつろぐ。 スピードが出ない古いバスに乗って、スモーリヌイ修道院へ。ここは、かっての10月革命のときにレーニンらボルシェビキ(後のソビエト共産党)の司令部がおかれたところだそうだ。再びバスとトラムを乗り継ぎ、センヤナ広場へ。ここは、農産物から老婦人が編んだ靴下まで様々なものが売られている市場のような独特の活気がありおもしろい。そこから歩き出し市内最大の書店で土産に地図(私は地図を見るのが昔から好きなのです)を買って、モスクワ駅まで歩く。駅のカフェで食事を取り、荷物を受け取りワルシャワ駅へ。  

 夜10時を過ぎ、やっと暗くなったが、私が乗る予定のタリン行き夜行列車はすでに入線している。チケットで指定された4人コンパートメントの二段寝台に乗ると車掌がチケットを預かり、別な乗務員がシーツの貸出しにくる。10.5p。発車したので、シーツを敷き横になり眠る。

F8/24TUE.  タリンからヘルシンキまで船旅
 列車内が少々騒がしくなったので目を覚ますと2時過ぎで、列車が止まっていてロシアの係官がパスポートのチェックにやってきた。日本人は珍しいようで面白がって私のパスポートをめくっている。そのあと、警官、荷物チェックの係官(荷物を空けて調べられる)のチェックが終わると列車が少しだけ動き、エストニア領内に入ったのか止まる。ここでも係官がパスポートをチェックした後、別な係官が荷物チェックに来る。結局、5回のチェックを受けるのに1時間以上かかり、列車は2時間近くほとんど動かない。(到着駅に朝早く着きすぎないようにしているのかもしれないが)
 朝6時半頃、タリン駅到着。朝の石畳の道を散歩する。5年ぶりだが、城壁ととんがり屋根の塔に囲まれた旧市街の独特の景色はほとんど変わっていない。規模は小さいが、中世の街の雰囲気が残っているようで好きだ。
 かって場所が変わり新しく立派になった高速艇のターミナルから、ヘルシンキに向けて約1時間半の船旅。到着後はバスでヘルシンキ駅で乗り換え、ヴァンター空港へ。
 予定より遅れたもののGと再開しチェックイン。帰りの飛行機の中は前日よく眠れなかったので仮眠。Finnairの機内食はあまりよくない。

G8/25WED.  成田に帰国
 少し遅れて9時過ぎ成田に着陸。日本はまだ蒸し暑い。

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