2002年末‐2003年始ヨーロッパ旅行記】

[’02.12.30 Mon.]

東京からパリを経由しリスボンへ

上野からスカイライナーで成田へ。成田発10:00JAL415便でパリ/ドゴール空港へ向かう。満席ではないものの、8割程度座席が埋まっている。途中、ロシアとフィンランドの地上の景色が見えるが、夏と違ってすっかり凍りついている。人が住んでいるのが信じられないくらい。パリでエールフランスのリスボン行きAF1924便に乗換え。

リスボンの夜景

17:30頃にリスボン市外の上空をかすめるように飛んでリスボン空港に着陸。ちょうど日没。市の中心部までのまでのバスが20分間隔で出ており、15分程度で市街に入るので便利。1日乗車券を購入。レスタウラドーレス広場で下車し、ケーブルカー(グロリア線)に乗る。ほんの数分だが、見晴らしのよいサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台に出る。サン・ジョルジェ城などの夜景が見える。丘を降りてから、飲食店の多いバイシャ地区のホテルに宿泊。125ユーロ。ホテルに荷物を降ろしてから、サンタ・ジュスタの展望台にエレベーターで昇る。1日乗車券が使える。展望台の上には、売店がある。昼ならば、もっと楽しめそう。

[’02.12.31 Tue.]

サン・ジョルジェ城に登った後、アルファマ地区へ

8時過ぎにホテルを出発、12世紀に建てられたというカテドラルをみて、途中からバスに乗り台地を登り、サン・ジョルジェ城に行く。現在は城壁(左下)が残るのみだが、その上に登るとリスボン市内の眺めが素晴らしい(中下)。眺めを堪能した後、坂道と会談を下り、庶民的な雰囲気の濃いアルファマ地区へ。家々に洗濯物が乾してあり、路地のあちこちに小さな食料品店がある。(右下はアルファマ地区の「嘴の家」)

見所多いベレン地区へ

アルファマ地区から、テージョ川沿いを歩き、カイス・ド・ソドレ駅へ。ここから、市電(エレクトリコ)に乗り、ベレン地区のジェロニモス修道院へ(左下)。大晦日で教会にしか入ることはできないが、16世紀当時のポルトガル大航海時代の富と栄華を偲ばせる規模に目を見張る。修道院を出て川岸まで歩くと、発見のモニュメントがある。ポルトガルがどの年に世界各地を「発見」したかという地図と船を模した記念の建物がある。さらに河口に向かって歩くと、川に浮かぶ石造のベレンの塔(右下)がある。河口が近いせいか、波も荒い。

ユーラシア大陸最西端のロカ岬とシントラ

市電でベレン駅の近くに戻り、電車でカスカイスへ。駅の近くのショッピングセンターの地下にあるバスターミナルに急ぎ、ロカ岬経由シントラ行きのバスに発車間際に乗る。バスはロカ岬に向けて山地を走る。約30分でロカ岬へ。ここはユーラシア大陸最西端。レストランが1軒、最西端到達証明書を販売する案内所と灯台以外の建物はない。岬の記念碑は断崖絶壁の上(左下)。次のバスが来るまでの約50分間をぶらぶらしながら過ごす。バスに乗り、くねくねとした道を走ってシントラへ。駅の案内所で聞くと、大晦日で市内バスは運休とのことで、仕方なく徒歩でムーアの城跡をめざす。かつて王宮があった街らしく歴史的な雰囲気。道が段々と険しくなるが、約30分で9世紀頃にムーア人が作ったという城跡へ。3ユーロ。ここからは、王宮やペーナ宮殿、そして大西洋が望める。

リスボンの年越し

シントラ駅から列車でリスボンのロシオ駅に戻り、ロシオ広場の近くで夕食。リスボンでたまたま会った日本人5人で食事をする。いったんホテルに戻り、シャワーを浴びた後、人波に合わせて、テージョ川沿いのコメルシオン広場で日が替わるのを待つ。周囲は老若男女でいっぱい。シャンペンを持った人も少なくない。零時を迎えると一斉に歓声。川向こうでは花火が上がる。シャンペンが開けられ活気付く。

[’03.1.1 Wed.]

列車でポルトガル南部へ

今日から新年。元旦で休みの施設が多いことが予想されるので、本日は船列車バスでの移動にあてる。朝7:20にホテルを出発、まだ暗く、雨が降っている。まず、テレイロ・ド・パソ駅からフェリーに乗船。ここは、船だけでなく、国鉄の切符も販売している。テージョ川を渡り、バレイロ駅から、8:55IR(地域間急行)に乗車し、終点ヴィラ・レアルをめざす。料金は11ユーロなので他のヨーロッパ諸国より安い感じがする。列車のビュッフェでビールとハムやカツを挟んだパンを買って腹ごしらえ。列車は山間部に入るが、オレンジの木(左下)があちこちにあるところが南欧らしい。ファロという街に着き、ここからは海岸の近くを走ることになり、また、違った景色を楽しむことができる(右下)

船でグアディアナ川を渡り、スペインへ

列車は予定通りヴィラ・レアル・サンアントニオ駅に14:30到着。ここからフェリー乗場までは廃線になっているそうなので、約15分ほど歩いて移動。対岸のスペインの街アヤモンテまでのフェリーは祝日のため、本数が少なくなっていた。通常よりも、30分以上遅いため、バスへの接続はできそうもない。どうやら、計画通り移動できないようだ。乗場には廃線になった駅と今は使われなくなった国境検問所(左下)が残っている。フェリーといっても、甲板に数台の5台程度の乗用車を載せたらいっぱいになりそうな大きくない船(中下)。乗客は20人位で日本人含め観光客が半分程度。10分ちょっとで対岸のスペイン・アヤモンテに。15:45スペインに入国。アヤモンテは、港から丘にかけて白い家が連なっている(右下)が、新しい団地もある。観光客と休日を楽しむ住人で人通りはあるが、店はお休みが多い。たまたま歩いていた警官に道を聞いて約15分位歩き、バスターミナルへ。窓口で次のウエルバ行きのバスは19:30までないといわれガックリ。

夜道をバスでウエルバへ

バスの出発まで3時間近くあるので、市街を散策。アンダルシア地方らしい?白い外壁の教会(左下)をながめ、迷路のような道を歩く。近くのバルでビールを飲んで一休み。日が暮れていく(中下)が、気温は日本の11月頃といったところ。ウエルバ経由セビリア行のバスに乗車。夜道をいくつかの街に止まりながら、約1時間ちょっとでウエルバのバスターミナルに到着。スペインは、主要な町に鉄道駅とは別に立派なバスターミナルが設けられているが、駅とは離れている場合が少なくない。ウエルバは持っていった「地球の歩き方スペイン」には出ておらず、町のどのあたりに着いたか、ホテルがどこにあるかわからず、1時間以上、夜の街をさまよって、ホテル・モンテ・コンクエロに着く。三ツ星で71.69ユーロと高いが、これ以上歩く気力はないので宿泊。さすがに室内は昨晩までのリスボンのホテルと違いゆったりし設備も整っている。市内の教会などは電球で飾られており(右下)、人通りも結構ある。祝日でほとんどの店が休みのため混んでいるバーガーキングで夕食を取ってから就寝。

[‘03.01.02 Thu.]

ウエルバから列車でセビリヤへ

ホテルを6:30過ぎに出発。空は真暗だが、地図を頼りにウエルバ駅に向かう。7:15発のウエルバ発、セビリヤ行きの3両編成の列車に乗車。冬のスペインの夜明けは遅く、8:30過ぎでないと明るくならない。8:43にセビリヤ・サンタ・フスタ駅に到着。駅からバスに乗り、セビリヤ大学(旧タバコ工場)前で下車。大学の建物の中を通って、14世紀に建てられた王城アルカサルに向かう。イスラム文化の影響を受けた装飾が施された部屋がいくつもあり、庭園も美しい。

アルカサルの次はセビリヤ大聖堂(カデドラル)へ。15世紀に建てられたそうだが、礼拝堂や儀式に使う道具などが展示されている。12世紀末に建てられたヒラルダの塔にも昇る。セビリヤ市内が見渡せる。もっとゆっくりセビリヤの街を歩きたかったが、列車の時間もあるため、サンタクルス街を歩いて抜け、バスに乗りセビリヤ駅へ戻る。駅構内で昼食を取って、カディス行13:58発の急行電車に乗車。

港町カディスから、コスタ・デル・ルスを通ってアルヘシラスへ

カディスは大きな港があり、思った以上に大きな都市。駅からバスターミナルは離れており、15分程度歩く。次のバスまで、40分以上あるため、市内を散策。商店のほとんどは閉まっており、人通りも少ない。昼と夜の営業時間の間はお休みのようだ。昼食は13時から、夕食は20時からの店が多く、この時間にあわせないと食事もままならない。市役所、カテドラル(左下)、海岸を見てから(中下)、バスターミナルに戻り、アルヘシラス行17:00発のバスに乗車。8.22ユーロ。だんだん日が沈んでくるが、沿道の景色は海岸線も山もあり変化がある。風力発電のための風車を数多く見かける。バスはすっかり暗くなったアルヘシラスの街に19:00に到着。フェリーターミナルに近いホテル・マリーナ・ビクトリアに宿泊。一泊28ユーロ。部屋に荷物を置いてから、近くの旅行代理店で翌日のタンジェ行きのフェリーのチケットを購入。片道22.5ユーロだが、往復と現地ガイド・昼食付のツァーチケットが48ユーロなので、ツアーにする。町は様々な商店があり人通りも多い(左下)。レストランで夕食を取ってから就寝。

[’03.01.03 Fri.]

モロッコ・タンジェへの船旅

ホテルに荷物を預け、7:30にフェリー乗場に行くと船会社の窓口だけでなく、旅行会社が軒を連ねている。タンジェおよびスペイン領セウタ行きのフェリーの本数は多い。バウチャーを発行した旅行会社の窓口を見つけて、窓口まで案内してもらう。FRSという船会社http://www.frs.es/eng/で、チケットとツァーメンバーのシールをもらう。8:30にフェリーは出発。やっと日が昇り始める(左下)。船には日本人含む様々な国の観光客が乗っている。アルヘシラス湾からジブラルタルのターリクの山が見える。湾を出て少しすると、左手にアフリカ大陸、右手にイベリア半島が見える

2時間でモロッコのタンジェに到着(中下)。アフリカ大陸は初めて。スペインとの時差は1時間。シールをつけて上陸すると、すぐに係員が声をかけてきて、ガイドに引き合わされる。身長1.9m位ありそうなBachirさん。客は私一人らしく、早速タクシーに乗せられ、新市街を抜け、スパルテル岬の近くへ(右下)。案内は英語。100%は理解できないが、だいたいのことはわかる。モロッコというと「砂漠の国」のイメージだったが、意外と緑が多い。気温も20℃近くあり暖かいというか、日差しの強い日中は少々暑いくらい。

迷路のようなタンジェのメディナ

タクシーをメディナ(城壁に囲まれた旧市街)北側のカスバの近くで下車。カスバ(要塞の跡)の近くにあるモロッコ博物館は休館日。そこから、メディナの迷路のような小道(左下)をガイドに付いて歩く。ガイドの話では、メディナの中に日常生活に必要なモスク、学校、水道、バン工房(左中下)、市場(右中下)が揃っているそうだ。12時前にレストランに入り昼食。ハリラというスープ、アラビアパン、羊肉のつくねのようなブロシェット、クスクス(右下)、ミントティーと菓子の簡単なコース。

昼食後はガイドの斡旋で(仕方なく)土産物屋を2軒回ったが、私が気乗りしないのをみて、フリータイムに切り替え。プチ・ソッコという小さな広場(中下)を中心にメディナを散策。迷路のような道に迷うが、声を書けて道を教えてくれる人もいて、なんとかカスバ(左下)と市場を歩く。再びガイドと会い、フェリーターミナル(右下)に連れってってもらう。14:00発が30分以上遅れてアルヘシラスに向けて出航。

イギリス植民地ジブラルタルへ

ヨーロッパ大陸に近くなると英領ジブラルタルのターリクの山が目に入る(左下)17時にアルヘシラスに到着。ホテルで荷物を受け取り、バスターミナルまで歩く。17:30発のラ・リネア行きバスに乗る。アルヘシラス湾を反対側に移動し、終点で下車。そこから5分程度歩くと、国境の検問所がある。パスポートを見せるだけでも通れるが、係官に頼んで入国スタンプを押してもらう。検問所を抜けると正面にターリクの山が迫るが、空港ターミナルと市街地へのバス停がある。ここから、ロンドンのような2階建てのバス(0.4ポンド)に乗り、滑走路を横切って市街に向かう(右中下)。世界でも空港の滑走路の真中を車道が横切っているのは珍しいだろう。離着陸があるときは、赤信号になって車が遮断される。バスの終点で降りて、中心部へ歩く。標識が英語になることで、イギリス植民地に来たことを実感。絵葉書と一緒に切手を購入すると、切手の絵柄はエリザベス女王。通貨はジブラルタル・ポンドだが、ユーロがどこでも通用する。ただし、パブなどでのレートは少し不利。メインストリートを歩きながらホテルを探す。安そうなところは満室だったため、HOTEL BRISTOLに宿泊。三ツ星で49ポンド。少々高いが室内はきれいで、浴室にもカーペットがひいてある。荷物を置いて食事に行く。イギリス風のパブが何軒もある。そのうちの1件に入って、scampi(車えび)のフライとビールで17ユーロ。ビールはイギリスのビターが飲める。店を出た後は総督府(右下)まで歩き、そこでもう1軒パブに入って一杯。ほろ酔い気分でホテルに戻る。歩きやすく夜も治安のよい街という印象。

[‘03.01.04 Sat.]

コスタ・デル・ソルをバスで移動し、グラナダへ

6:30にホテルを出発。バスは8時過ぎにならないと動かないため、ラ・リネアまで約2kmの道を歩くことにする。だんだん雨が強くなってくるが、メインストリートを抜け、空港の滑走路を歩いて横切り(左下)、国境の検問所へ。7時前ということもあってか、検問所に係官はいないため素通り。ラ・リネアのバスターミナルに着き、クラナダまでの乗車券を購入、7:15発のバスに乗車。夜明け前の道を東に向かう。マルベーリャ、フエンヒローラなどの街を抜け、マラガへ。このあたりは、リゾート地としての開発が進み、マンションやホテルの建物が目立つ。(帰国便で隣に座ったマルベーリャの近くに住む方に聞いたら、この5年で開発が進んだそうだが) マラガ(中下)でバスを乗換えるとこれまでの海沿いと異なる山地の景色になる。途中のドライブインで休憩。ここからの眺めもよい(右下)。スペイン風オムレツのトルティーリャを挟んだパンを食べる。

アルハンブラ宮殿とアルバイシン地区

12:20にグラナダのバスターミナルに到着。コインロッカーがいっぱいなので、やむをえず荷物をかついだまま、市街へのバスに乗る。グランヴィア通りのカテドラル前で下車。16世紀に建て始めたカテドラルの中では、結婚式が行われていた(左下)。周囲は土産物屋がいっぱい。ヌエバ広場まで歩き、アルハンブラ・バスに乗る。坂道を登り、アルハンブラ宮殿へ。チケットを購入するが、王宮は人数制限があり、16:30以降でなければ入場できない。仕方ないので、バスでかつてアラブ人が住んでいたというアルバイシン地区に行き、昼食を取る。この地区にあるサン・ニコラス展望台からの景色は、アルハンブラ宮殿の向うに雪をかぶったシエラレオネ山脈が見え、とても美しい。再びアルハンブラ・バスに乗り、15時過ぎにアルバンブラ宮殿に入場。ヘネラリフェの庭園、アルカサバの要塞跡を見た後、チケットに指定された時刻より少し前だが、14世紀のアラブ人の王の時代に建てられた王宮に入る。キリスト教徒は異なるイスラム文化にのっとった様式で建てられている。窓から市街が見下ろせる。かつての支配者も毎日この窓から街を見ていたのだろうか。18:00発のコルドバ行きのバスに乗るため、17時過ぎに宮殿を出て、バスで途中1回乗換え、バスターミナルに戻る。コルドバまで10ユーロ。バスが出発するとすぐに日暮れ。真暗な国道をはしるが、ときどきライトアップされた古城や教会をいくつか見る。

夜のコルドバへ

20:40過ぎにコルドバのバスターミナルに到着。ここは国鉄駅に隣接している。市バスに乗って旧市街に向かう。このあたりは、ホテルやレストランも多い。少し歩くとかつて回教寺院として建てられたメスキータに着く。もちろん閉まっているが、ライトアップされている。宿泊はそばのホテル・メスキータにする。シングルルームでバス・トイレ付で26.75ユーロ。窓からメスキータの塔が見える。荷物を置いて、メスキータの周辺を歩く。グアダルキビル川のローマ橋は、ローマ時代に架けられたものを何回も修復しているそうだ。夕食はガスパチョとパエリヤ。

[‘03.01.05 Sun.]

AVEでマドリッドへ

7時過ぎにホテルを出て、時刻表の書いていない川沿いのバス停でバスを待つ。20分近く待っていると駅までのバスが来た。コルドバ駅でチケットを購入し、8:11発マドリッド行きのAVEに乗車。専用線を走る高速列車だけあって、特別料金が設定されており47ユーロ。乗車前には飛行機と同様な荷物チェックを受ける。フランスのTGVと同じフランス・アルストーム社製の車内は、航空機と同じように映画が上映されている。

10:00定刻にマドリッド・アトーチャ駅に到着。コインロッカーに荷物を預けるが、ここでも荷物のX線検査がある。地下鉄で王宮に向かう。王宮は日曜のため、内部には入れないが、中庭とフェリペX世についての展示は無料で見ることができる。王宮を出て古銭商があちこちで店開きしているマヨール広場、プエルタ・デル・ソル広場、国会議事堂の前を通り、プラド美術館へ。日曜は無料のためか賑わっている。ベラスケスゴヤの絵画が収蔵されているが、時間がないため少しだけ見て、アトーチャ駅そばの国立ソフィア王妃芸術センターへ。閉館時間の14:30が迫ってきたため、ダリとピカソの作品を見る。特に有名なゲルニカは美術の教科書の写真で見たものと比べものにならないくらい迫力がある。絵も大きいが、実物の色使いも単なる白黒ではなく、何種類もの中間色が効果的に使われていることがわかる。何人もの人がその前で長い時間立ち止まっているが、警備員も5人くらいで厳重。閉館時間になったので、アトーチャ駅に戻り荷物を取り出し、地下鉄駅へ。地下鉄に乗りこもうとしたとき、後ろに立っていた男が小銭を拾う振りをして、私の足元を触ってくる。靴下にお金を入れていないかを探っていたようだ。地下鉄を2回乗換え、空港に向かう8号線に乗車。警備員が一人乗ってくる。空港駅構内にも数人の警備員が。地下鉄での犯罪が多いのだろうか。

アムステルダム経由で日本帰国

マドリッド・バラハス空港は、国内線・国際線が多数発着するため構内は広く、カウンターに行きつくまでに迷ってしまう(イベリア航空の職員がターミナルを間違って教えたせいもあるが)16:20発アムステルダム行JL4404便は、イベリア航空との共同運航便。窓口にはJALの職員もいて搭乗手続きを手伝ってくれる。天候が悪化してきたせいか出発が遅れ、19:50頃アムステルダム・スキポール空港に到着。成田行JL412便は、20:15発だが搭乗終了まで時間がかかった上、機体についた雪と氷を落とす作業に時間がかかり、離陸は22時頃になる。

 

[’03.01.06]

荷物がない?!

エコノミーが満席で、エグゼブティブクラスの座席に座ることになったため(機内食はエコノミーと同じだったようだ)、楽に帰ってくることができた。成田にも約1時間近く遅れて到着。預けた荷物が出てこない。係員に聞くと私の荷物はマドリッドで積み残しになっているそうだ。明日の同じ便で送るとのことなので、税関向けの書類など一式を記入し、手荷物だけ持って帰宅。荷物は翌日夜に宅急便で無事に到着した。

Home