【2002.1.25-29 ベトナム(ホーチミン)旅行記録】

[2002.1.29 Fri.]

東京からホーチミンへ

 6:30に自宅を出発。太陽が昇り始めたばかり。羽田発8:05のJAL343便で関西空港へ。関空発11:15のベトナム航空769便(JALコードシェア便)でホーチミン(旧サイゴン)へ。予定より早く、15:00に到着。ホーチミンのタンソニェット空港はベトナム戦争当時のものかどうかわからないが、蒲鉾型の古い戦闘機用のシェルターと思われるものがところどころに残っている。ターミナルビルは大きくなく、免税店も少ない。出口で両替。1円=約110ドン(VND)。

 空港を出ると一斉にタクシーやバイクタクシー(バイクに二人乗りで客を乗せる)の客引きがしつこくやってくるが、とりあえずバスを探してみる。空港を出て15分程度歩くとサイゴンスーパーボウルというボーリング場がある。そこにバス停があるので待つが、ほかに待つ乗客もなく、タクシーが並んでしつこく客引きをしてくる。そのうち、100mくらい離れたところにバスらしき車(黄色いワゴン車)が止まっているのに気づくが、一台は走り始めたもののバス停まで来ずにUターンして走り去っていく。「ひょっとして、バス停で待っていても来ないのでは…?」と思い、もう1台のバスに近寄り運転手に声をかけて乗りこむ。ワゴン車を改造したもので、10人乗るのは厳しい狭さで立つこともできないが、1000ドン(約9円)。30分弱で市の中心部ベンタイン市場そばのバスターミナルに到着。ホテルは予約していなかったが、ビクトリアホテルに行くことにし、約10分程度歩く。

 ホテルは空室があったようで、ツインのシングルユース(朝食付)で220,000ドン+15%の税・サービス料。目の前が学校で開け放した窓の向うでアオザイ姿の女子生徒が勉強している姿が見える。荷物を置いて一休みした後、散策に出かける。車道はバイクでいっぱい。乗用車や自転車は少数。歩道を歩いている人はほとんどいない。そのせいか、バイクタクシーやシクロ(人力車)の客引きがしつこい。フランス植民地時代に立てられた教会や郵便局はヨーロッパ的な格調を今も残している。その一方、雑然としたアジア的雰囲気や新しい高層のオフィスビルがあったりで、混沌とした雰囲気。夕食に食堂で米麺バインカンとビールで21,000ドン。ホテルに徒歩で戻り、就寝。

[2002.1.26 Sat.]

ホーチミン市内博物館めぐり

 ホテルを8:30に出発。すぐ近くの統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)へ。しかし、この日は公式行事があるのか、警官が入口を固め、観光客は入れない。あきらめて、近くの革命博物館へ。ここは、郷土資料館とサイゴンでの革命(民族解放戦線)についての展示が中心。バスで数百人の小学生がやってきて大騒ぎ。庭にはベトナム戦争当時の戦車、ヘリ、戦闘機が展示されている。ベトナム戦争を直接知らない子供たちにはどのように映るのだろう。

 ホーチミンの像がある人民委員会の前を通り、国営百貨店、商店が並ぶグエンフエ通りへ。サンワ−ビルにあるJALのオフィスでリコンファーム。サイゴン川河畔に出て、ホーチミン記念館へ。ベトナム独立運動、戦争の指導者である故ホーチミンの足跡についての展示。ホーチミンは農民が多くを占める国の指導者として信望を集めた様子。この国にとって、ホーチミンは一種の国家の統合の象徴なのかもしれない。

 市の中心部を約2kmほど歩き、歴史博物館へ。しかし、市内の博物館は、ほとんど11-13時まで昼休みのため入れず。近所の冷房の効いたデパートで買い物をしたり、昼食(ボー・サオという牛肉と野菜の炒め物で29,000ドン)を取って時間をつぶす。13時過ぎに歴史博物館に入館。紀元前からのベトナムの歩みとベトナムが多民族国家として多様な文化を持っていることがわかる。博物館を出ると動植物公園。そのすぐ近くにあるホーチミン作戦博物館に行くが休館中の様子。旧南ベトナム政府を打倒したときのホーチミン作戦で解放戦線が使った戦闘機、戦車など兵器が屋外に展示されている。日本の小松製作所製のブルドーザーも展示されているが、これはキューバを通じて送られたもののようだ。

 それにしても暑い。気温は30℃越しているので東京の冬と比べて20℃以上の気温差がある。さすがに辛く、16時過ぎにホテルに戻り小休止。夕食はホテル近くの食堂でコムガー(鶏ご飯)、スープ、ビールで37,000ドン。

[2002.1.27 Sun.]

ツアーバスでタイニンのカオダイ教寺院へ

 朝食後、7時にホテルを出発。疲れたので歩くのはやめて、ホテルの側からサイゴンスターバスに乗って、ベンタインターミナルへ。そこから歩いて、デタム街のシンカフェで、タイニン、クチをまわるツアーを申し込む。4USドル。8:30の出発を待つ。その間にカンボジア、フエ行きやメコンデルタ方面のバスが出発してゆく。

 8:30にバスが出発。乗客の半数以上は欧米系で、日本、韓国などのアジア系は少数で、案内は英語。出発して1時間くらいすると、だんだん農村風景に。水田をみていると日本の米作地帯を思い出す。途中1回休憩して約3時間でカンボジア国境に接するタイニン省の省都タイニンへ到着。ここには、仏教・キリスト教・道教などを融合したという新興宗教のカオダイ教の総本山がある。外観はカトリックの教会を模したような寺院に入ると、極彩色の内装で、天眼といわれる目のシンボルが所々にある。正午に礼拝があり、それを見に観光客(主に外国人)が集まってくる。礼拝をみたあと、市内の食堂で昼食、フォー・ガー(鶏肉入り米麺)がおいしい。

クチの解放戦線の地下トンネル

 昼食後、約2時間でクチへ。ここはベトナム戦争中、南ベトナム民族解放戦線の司令部が置かれたところで激戦地域だったところ。司令部は地下を掘って造られ、そのときに掘られたトンネルが今は観光名所になっている。はじめに、英語のビデオを見た後、林の中へ。空爆によってできた穴や、巧妙に隠された地下トンネルの入口、ブービートラップ(罠)などを見て、実際に当時掘られたトンネルに入る。トンネルは3層構造で、迷路のように曲がり枝分かれする横穴とところどころに竪穴がある。幅は50-60cmで高さは70-80cmしかなく、ガイドが「アジア人は小柄だから通れる」と言っていたが、確かに大柄なアメリカ兵はトンネルを探しても中を探索するのは困難だったと思われる。中は空気が薄く、這うように進むのもつらい。当時の解放戦線の兵士の忍耐強さ、士気の高さがこの過酷なたたかいを支えたのかと思う。しかし、大きな犠牲は伴ったわけで、ガイドの「戦争から四半世紀立つ今でも、行方不明になった夫の帰りを待つ妻がいる」という話は辛い。林を丸裸にして司令部を発券するため、大量の枯葉剤が散布され、土地や河川が汚染されたため、ダイオキシンによる奇形児が生まれる(実際に私もホーチミン市内で目にすることになった)といった後遺症がもたらされたそうだ。

 約2時間で見学を終了し、バスでホーチミン市内に戻る。約1時間半。歩いてホテルに戻る途中、夕食(豚のスペアリブとビールで47,000ドン)を取る。

[2002.1.28 Mon.]

チャイナタウンのチョロンヘ

 ホテルをチェックアウト。カード払いはドル建てで55USD。バスをベンタイン・バスターミナルで乗換え、チャイナタウンのチョロン地区に向かう。ビンタイ市場は食品・菓子から雑貨・衣料まで様々な商品がびっしり並んでいる。周辺にも店が建ち並び、魚や野菜が並ぶ市場が活気がある。華僑の寺院やあちこちに漢字の看板があるところが、ホーチミンの他の地区と違うところ。バスで再びベンタインに戻る。書店で地図を買ったり、高層ビルにあるスーパーで買物をして時間をつぶし、13時に統一会堂へ。

統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)と戦争証跡博物館

 統一会堂は一昨日は公式行事のためか入れなかったので、見逃したくなかったところ。英語かベトナム語のガイドがつくようで、私以外は欧米人が10人くらい集まったところでアオザイを来た女性職員に引率され、英語での説明を受ける。日本の首相官邸がどうなっているのかわからないが、閣議、国内外の賓客を迎えた部屋、執務室、作戦室、居室部分がある。さらに地下にも攻撃に備えて、執務室、作戦室、ラジオ放送ができる送信施設まである。ここが、解放戦線に占拠されたのが1975年4月30日。当時、官邸に突入した戦車が屋外に展示されている。

 すぐ近所にあるベトナム証跡博物館へ。ベトナム戦争当時に使われた兵器、政治犯が投獄されたトラの檻と呼ばれる独房、悲惨な戦場の写真、枯葉剤による被害などが展示されている。日本の写真家、石川文洋、中村悟郎さんの写真も日本語のコメントつきで展示されているほか、日本のベトナム反戦運動のポスターなども展示されている。見ているうちに当時の悲惨さに涙が出てきた。今、アフガニスタンでアメリカによる軍事作戦という事実上の戦争が行われているが、同じことが繰り返されているのだろうか。そんなことを考えながら、閉館間際の17時過ぎまでじっくり見る。

 今日がホーチミン市内で過ごす最後の日。ドンコイ通りの書店で越日小辞典(約270円)を購入、夕食を取り、ホテルで預けていた荷物を受け取る。ホテルから空港へタクシーで向かう。約15分で40,000ドン。空港には20時に着くが、0:30出発の便なので22時まで構内に入れない。仕方なく、売店でビールを買って飲みながら、本を読んで時間をつぶす。21時を過ぎると大阪行きに乗る日本の団体客がバスで次々とやってくる。22時過ぎに構内に入り、て搭乗手続きをする。構内の免税店はあまり多くなく、市内の店に比べ高めのような気がする。

[2002.1.29 Tue.]

日本に帰国

 0:30発、JAL750便に搭乗、約5時間で成田へ。朝食のサービスもあるため、2時間程度しか眠れない。8時前に成田に到着、乗客全員が検疫所で質問票を書かされる。8:12発の京成電車に乗り、10時半に自宅着。シャワーを浴び仮眠を取って、14時過ぎに出勤。(この後、20℃近い気温差のせいか、クーラーで寝冷えをしたせいか風邪を引く)

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