[01/08/04 SAT.]

東京からイスタンブールへ

 羽田8:05JAL343便で関西空港へ。関西空港でトルコ航空TK49便に乗換え。乗客は定員の半分以下で、ゆったりと座席を使える。中国、ウズベキスタンなどかつてのシルクロードの上空を通過し、イスタンブール・アタチュルク国際空港に19:20着。

 空港から市内への鉄道は建設中のようなので、最寄の鉄道駅までタクシーに乗る。トルコの通貨はトルコリラで、1円=約10,000TLなので、メーターの金額の大きさにドキドキするが、2,600,000TL台=260円程度というところで、国鉄の最寄駅へ。ここから、イスタンブール旧市街にある終点のシルケジ駅まで、およそ30分、600,000TLの均一料金。駅の窓口でジェトンというコインを買って自動改札機に入れる。古めかしい電車に乗るが、自動扉が一部故障しているらしく、ところどころ扉が開きっぱなしのまま走る。

 シルケジ駅へ20:55着。駅の近くに何軒かホテルがあるが、目についたHOTEL FAHRI2に入る。部屋は建物の中の吹抜け部に面していて、景色は見えないがトイレ・シャワー・TV付で、18$。ここに2泊することにした。

 

[01/08/05 SUN.]

ハレムのあるトプカプ宮殿

 朝食後、8時過ぎにホテルを出発。坂道をゆっくり登り、トプカプ宮殿へ。ここは、9時から開場のため、周辺を散歩する。このあたりにも、ホテルは多い。

 9時からチケット発売を開始。700TLなので、トルコの物価水準を考えると結構高額という感じ。入場者ももっぱら欧米、日本などからの観光客。入場後、ハーレムの入り口にすぐ並ぶ。ここは、9:30から別途チケット(400TL)が発売されるが、英語ガイド付で1回あたりの入場制限がある。はじめから並んだおかげで、10:00の最初の入場組になる。

 ハレムは、かつてのオスマン・トルコ帝国のスルタン(皇帝)が居住していたところで、内装などにも贅が尽くされている。岬の小高い丘の上にあり眺望もよい。その他にも宮殿内には宝物などが展示され見所が多い。

スルタンアフメット、アヤソフィア、地下宮殿

 暑くなってきたので、着替えにホテルに戻り、昼食はケバプ(羊の肉を焼いたもの)とビールをシルケジ駅の近くで取る。その後、トラムヴェイ(路面電車)でスルタンアフメットへ。

 スルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)に入るが、ここは礼拝の場。モスク内の装飾も印象深いが、観光客の横では熱心に祈りをささげる人々がいる。

 続いて、かつてのギリシャ正教の総本山だったアヤソフィアへ。オスマン・トルコ帝国時代はイスラム教会となり、尖塔(ミナレット)も付けられたが、今はトルコ政府文化省管理下でキリスト教時代への復元も行われてる。ここは、700TLの入場料。

 すぐ近くの地下宮殿(イェレバン・サライ)に入る。400TL。地下に降りていくと、何百本の柱で支えられた巨大な貯水槽がある。技術力もたいしたものだが、ひんやりとした空気と幻想的な雰囲気に別世界に来たよう。

ガラタ橋を渡り、新市街へ

 ローマ帝国時代の競馬場の跡で、今は公園のようになっているヒポドゥロームを歩き、グランドバザールへ。しかし、日曜で休みのため門も閉められており残念。坂道を下っていくと衣料品の露天商が並ぶ賑やかな地区とイェニ・ジャミィを通り、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋へ。欄干には釣り人が並ぶ。

 橋を渡り終え、地下ケーブルカーのようなチュネルに乗って、新市街へ。ショーウィンドウが並ぶイスティクラル通りを歩く。道の真中を単線のレトロなトラムが走っている。帰りはチュネルに乗らず、徒歩で坂を下り、途中にあるガラダ塔に登る。エレベーター付で400TL。エレベーターを動かす従業員は「高いチケットだ。月曜なら300TLになるのに」と言っていたが、金角湾を挟んだ旧市街とボスフォラス海峡の眺めは素晴らしい。

 再びガラタ橋を渡って旧市街に戻り、トラムヴェイでトプカプまで行き、東ローマ帝国時代に造られた城壁を見る。ここは、イスタンブール郊外へのミニバスのターミナルになっているようである。

 トラムヴェイに乗り、もう一度スルタンアフメット・ジャミィへ。日没の祈りの時間なのか、コーランが響く中、信者が祈りを捧げ、観光客は入場禁止。日も暮れ、暗くなったため歩いてホテルへ。

 

 [01/08/06 MON.]

キエフへの道のり

 朝6:30に食堂に一番乗りして軽く朝食を摂り、シルケジ駅から電車に乗る。約30分弱乗ってイェシルユルト駅で下車し、タクシーで空港へ。8:40TK1457便キエフ行きに搭乗。ほぼ予定の10:40にポリスビリ空港に到着。

 ウクライナへの入国審査の前に外国人は医療保険に滞在期間中は入らなければないため、窓口で$3を払う。滞在日数によって金額が異なるようだ。次いで入国審査。私は東京のウクライナ大使館でトランジット(通過)ビザ(3日間有効)を取った。これだと、バウチャーは不要で、8/69までの期間中は、比較的自由に旅行できる。問題はなかったが、一人一人に入国カードを発行するので一人あたりの時間がかかる。そして、最後に税関。ここでは所持金を聞かれる。そこを抜けるとやっと入国。この間、混んでいたわけではないが約30分。空港の前から、市内へのバスが出ているので乗車。昼間は30分に1本くらいで出ているようだ。市街地に入ると渋滞に巻き込まれ、キエフ駅の近くまで約1時間かかった。料金は10クリブナ。1クリブナ=100コピーカ=約25円。

キエフ駅での乗車券購入

 タラス・シェフチェンコ大通りでバスを下車し、キエフ駅まで歩く。駅前および駅構内は、大規模な工事中で乗車券販売窓口も駅舎の外にコンテナを並べて造った仮設窓口が並ぶ。案内表示もなく、どこで購入すればいいのかわからなかったが、とりあえず、案内窓口らしきものがあるので、そこで列車番号、乗車区間などをロシア語で書いた紙を見せる。英語は通じないが、紙に“43-44kaca”と窓口番号を書いてもらった。

 44番窓口は13時から休憩時間のため対応してくれない。(12:50だったのだが)43番窓口は、二人ほど並んでいるがその後ろへ。しかし、一向に前に進まない。二人のうちの発券をしている(ポーランド方面らしい)のだが、いくつもの書類に記入したり、コンピューターの端末を叩いたり、手持ちの現金残高を数えなおしたりした上で、やっと乗車券を発行。1件あたり20分程度かかるようだ。その間にも割り込み?をするつもりかどうかわからないが、私の後から来た人も窓口に声をかけたりしている。

 やっと私の番に。先ほどの乗車区間などを書いた紙とパスポートを見せる。同様に20分近くかかって、発券。ウクライナ西部のリヴィウまで、夜行の二等寝台で50.08クリブナ=1300円。この間、約40分。一仕事を終えた気分。

 荷物を預けようとしたが、一時預かり所がどこにあるかわからず、荷物を背負ったまま市内へ。(後で駅正面の地下に預かり所があるのがわかったが)

ぺチェールスカ大修道院

 地下鉄に乗車、まだソ連時代のモニュメントのようなものも残っているようだ。トロリーバスを乗り継ぎ、ぺチェールスカ大修道院へ。地下鉄は窓口でジェトンというおもちゃのようなプラスチックの硬貨を購入し自動改札に入れる。トロリーバスは、キオスクか車内でチケットを購入してパンチする。いずれも、50コピーカ。

 トロリーバスの終点で下車し、修道院に入る。16クリブナ。門のそばの聖三位一体教会に入り、色彩が印象的な壁のフレスコ画を見るが、カトリックの寺院とは違った雰囲気。続いて、二百数十段の階段で大鐘楼に登る。3クリブナ。ここからの眺めは素晴らしく、キエフ市街地から、ドニエプル川、その向う岸のニュータウンまで視界が開ける。修道院が河畔の台地の上にあることがわかる。

 院内には博物館がいくつもあるが、残念ながら時間がなくすべてをみることができない。広い院内の南側の坂を下り、地下墓地へ。黒い服の修道僧の姿も目立つ。地下墓地は、地下に掘られた洞窟内に修道僧が葬られたもの。狭い通路をろうそくを持ちながら歩くと、ミイラ状になった遺骸が安置されている。

市内を歩いた後、リヴィウ行き夜行列車へ

 再びトロリーバスに乗り、ネザレージュノスティ広場へ。しかし、広場は掘り返しなどの全面的な工事の最中。坂を登り、ウラジーミル通りに出て、黄金の門を見た後、ソフィア大聖堂へ。キエフに現存する最古の教会だそうで、壁面や床は当時のものが残っている。

 夕刻となった聖ミハイル修道院では、勤め帰りなのか多くの信者が立ち寄っていく。アンドレイ教会の脇のアンドレイ坂を下っていくと民芸品の露天が並び、見ているだけでも楽しい。ポディール地区にあるカフェでビールとボルシチの夕食。7クリブナ。

 ドニエプル川の船着場のあたりから地下鉄に乗り、キエフ大学の近くで下車。公園もあり緑も多い地区。大学の校舎の赤い色が印象的。歴史的由来があるそうだ。再び地下鉄で一駅乗りキエフ駅へ。

 20:20頃着くが、21:00発の列車がどのホームからでるのか表示が見当たらずわからない。20分近く構内を歩くうち、駅前に小さな黒板を発見。列車番号とホームが書いてある。発車10分前にホームに上がるともう列車は入線していて、各車両の前で車掌が立っている。乗車券のどこに寝台番号が書いているかわかりにくいが、小学生くらいの子供に教えてもらう。

 車室は二段式の4人様コンパートメント。同室はインドのビジネスマン。ビハール州の貿易会社の駐在員でキエフに家族と暮らしており、列車でリヴィウに商談に行くそうだ。定刻21:00に発車後、車掌がシーツのレンタル料を取りに来る。5.5クリブナくらい。紅茶のサービス(有料)もある。23時頃に就寝するが、堅くて閉まらない窓から入ってくる風が冷たく寒い。シーツ一枚しか上掛けがないので、服を着てしのぐ。

[01/08/07 TUE.]

リヴィウ駅から市内へ

 リヴィウ駅にほぼ定刻6:28着。構内の電光掲示板によれば、気温は15℃。構内のトイレ(50コピーカ)で洗顔した後、荷物を預ける。気がかりな、次の目的地ハンガリーへの夜行列車の乗車券を入手しなければいけないが、例によって窓口や案内表示は不十分でキリル文字で書かれているので、どこで買えばいいのかわからない。手近な1階の窓口で行先などを書いた紙をみせるが、残念ながら英語も通じないので何を言っているかわからない。駅員をつかまえて、インツーリストはと聞くと二階を指差すので、階段を上ってきれいな待合室と窓口があるフロアに行くが、窓口は8時からのようなので駅前を歩いたりしながら時間をつぶす。8時に再度窓口を訪れたが、どうもここではないらしい。女性職員の一人が紙に“kaca15,17”と書いてくれたのでそこを探す。やっと2階の端に窓口があるのを発見。ここでもキエフ駅と同様発券に時間がかかる。ハンガリー東部の主要都市デブレツェンまで、$30程度。9:00に乗車券を買い終え、市内へのトラムに乗る。45コピーカ。

リヴィウ市街を歩く

 ゴトゴト走るトラムに20分近く乗りリヴィウ市街へ。ドミニカ聖堂と武器博物館の近くで下車。教会が多い街だが、キエフの正教の建物とは異なるものが多い。リヴィウはポーランドの領土だったこともあり、カトリックの影響も強いらしい。14世紀から立っているというアルメニア教会に入る。壁一面に描かれた絵が印象的。石畳の道を歩き、マーケットを見て、オペラ・バレエ劇場のあるスヴァボーディ大通りへ。ここは公園のようになっており、ベンチもあるので小休止。気温もどんどん上がって暑くなってきた。

 再びトラムに乗って、民族建築・風俗習慣博物館へ。ここは、実際に使われていた木造建築の家屋、教会、学校、水車小屋などが丘陵の森の中に移設されている。家族連れが目立つ。来た道を戻りトラムの走る通りを渡って坂を下るとリチャキフ墓地へ。静かで涼しい。古い墓はキリスト教の様式だが、ソヴィエト時代のものは社会主義リアリズムというのだろうか武骨な感じの像があるものが目立つ。しかし、最近立てられたものは、キリスト教によるものに戻っているようだ。墓地の前からトラムに乗り、旧市街に戻る。

 北東にある小高い丘にある展望台へ向かう。交通手段がないので、ひたすら坂道を歩いて登る。街を一望できるが、やはり旧市街の眺めが素晴らしい。丘を下り薬局博物館へ。ここは今でも薬局として営業しているが古い調合器具が並んでいる。名物の“鉄ワイン”を買ってみる。(まだ飲んでいないが)

 市庁舎のあるリノック広場を歩き、大聖堂へ。ここは、カトリックの教会らしい。信者が訪れては、祈っていく。この聖堂の向かい側には、書店がいくつも並ぶ一角があり、ここで地図を購入。すぐ近くのカフェで夕食を取った後、聖アンドレイ教会に入ると正教の礼拝の最中で、多くの信者が集まっている。教会の近くには市場と城壁がある。そのあたりを歩いていると20時近くなり日が暮れ始める。駅に向かうトラムに乗る。

夜行列車でハンガリーへ

 リヴィウ駅は大型の電光掲示板で列車の発着するホームが表示されるので助かる。私の乗る列車は、21:15発のモスクワ始発ブダペスト経由ベオグラード行。3段式3人用のコンパートメントで、洗面台、エアコン付。同室はウィーンの大学で経営学を学んでいるというウクライナの学生。夏休みを両親のもとで過ごし、3日間かけてウィーンに戻るそうだ。キリル文字だけでわかりにくい税関申告書の記入を手伝ってもらうなど親切にしてくれる。

 未明を過ぎたあたりで列車が止まり、係官が乗ってきてパスポートのチェック。荷物も開けて調べられるが、問題はない様子。少し動くと列車は止まり、台車の交換が行われる。これは、ロシア(ソ連というより旧ロシア帝国時代から?)とヨーロッパの線路の軌間が異なるため、乗客を客車に乗せたまま車体を持ち上げて固定し、台車をはずして付替えるらしい。1時間以上かかるようだが、この間は外にも出られず、トイレは使用禁止になってしまい少々つらい。

 

[01/08/08 WED.]

国境を越えてハンガリーへ

 段々夜が空けていくが列車は少し遅れ気味の様子。農村地域を走るが人々が起き出して働き始めている。このあたりは、第二時世界大戦までスロバキア領だったらしい。すっかり明るくなってから、列車は線路の両側に鉄条網のあるところに停車した後、ゆっくりとティサ川を渡る。ここから、ハンガリー。

 ハンガリー西部の主要都市デブレツェンに到着。予定の7:20より2時間以上遅れ9:35着。フュゼシャボニー行きの列車は9:40発なので、ホームを探して急いで乗換える。少し遅れて発車した列車は、プスタと呼ばれる平原をゆっくり走る。途中の駅は駅名の看板一枚だけで駅舎もホームもないところもある。国立公園のあるホルトバージのあたりでは、トウモロコシ、ヒマワリの畑や羊の放牧地がひろがる。ティサフュレドを過ぎ、終点のフュゼシャボニーに定刻の11:58に少し遅れて到着。駅近くの銀行で両替。1フォリント(FT)=約0.5円。スーパーで買い物をした後、駅構内のカフェでビールを飲んで、12:55発のエゲル行を待つ。列車は定刻に到着。ポーランド国鉄PKPの客車で、エゲルへは20分弱。乗客も多い。

エゲル市内を歩く

 エゲル駅から市街までは緩やかな上り坂。15分ほどでハンガリー国内第2の大きさという大聖堂に着く。ここから先は、観光客も多く、道端にはカフェ、土産物屋などが並ぶ。ハンガリー名物のパプリカを使ったグヤーシュというスープを昼食に取った後、ホテルを探す。HOTEL KORONAに泊まることにする。テラス付の部屋で朝食付で11,045FT。三日ぶりにシャワーを浴び、さっぱりして市街へ。

 かつてはここまでトルコが占領したことがあり、その名残であるイスラム教のミナレット(尖塔)を見てから、エゲル城址へ。ここはトルコとの戦場であったらしい。丘陵地帯であり起伏に富んだ眺めが見られる。市街を横断し、美女の谷に向かう。団体客も含め谷のワインをめざして歩く人も多いが、歩いて30分程度かかる。

 このあたりはワインの産地で、美女の谷には、崖に横穴を掘ったワインセラーが並ぶ。番号が振られているが60軒くらいあるようで、なかには観光客めあてにレストランになっているところもあるようだ。基本的には、ワインを瓶か1リットル単位で売ることが各セラーの商売のようだが、そのための無料の試飲やグラス単位の販売もしている。18時を過ぎたので閉まっているところが半分以上だったが、私も5軒くらいで飲んで、調子に乗って赤ワインを2リットルほど買ってしまった。樽型の容器に2リットルで700FT。しかし、この容器はキャップの締りが悪く、少し傾けると中身が漏ってしまう。(結局、ハンガリー国内では飲み切れず、ミネラルウォーターのボトルに詰め替えて日本に持ちかえったが)

 ホテルにいったん戻り、ワインを置いてから市街のレストランで夕食。ビール2杯とウィンナーシュニッツェルで1,640FT。帰りがけに通った中心部の学校の中庭では、野外の舞台で演劇も行われていた。(やや前衛的?

[01/08/09 THU.]

ブダペストを経由し、エステルゴムへ

 ホテルで朝食を取り駅に向かう。エゲル駅発9:13の列車で来たときと同様にフュゼシャボニーで乗換え、首都ブダペストへ。1,182FT。ブダペスト東駅に11:52着。市内交通の10回回数券を購入。950FTで、メトロ、トラム、バスなどの市内交通が、1120FTのようなのでお徳。チケットを改札機に差し込んで打刻をし、エスカレータでホームに下ると係員が乗客を片っ端から検札している。きちんと乗車券を持っていないと結構罰金を取られるらしい。デヤーク広場で乗換え、ブダペスト西駅で下車。ここは商業施設もそばにありとても賑やか。駅近くのブダペスト市営交通が経営するHOTEL METROに宿泊する。9,900フォリント。

 ブダペストは6年ぶりで2度目、前回は23日で市内の中心部は回っているので、ドナウ川沿いの古都エステルゴムに行くことにする。ブダペスト西駅13:15発のレールバスで、53kmを「野を越え山越え〜♪」といった感じでゆっくり走るローカル線。14:39エステルゴム駅着。駅前のバス停の時刻表は剥がされていつ来るかわからず、歩こうと思ったらバスがやってくる。これに乗ると丘の上の大聖堂まで楽に行ける。

 大聖堂は内部も素晴らしいが、中にある宝物館には聖イシュトバーン(ハンガリー建国の王様?)の骨などがある。(キリスト教でもこういうものはありがたいものなのだろうか?)さらに長い階段で大聖堂に上ることができる。ここからの眺めは、ドナウ川を真下に対岸のスロバキアの街ストゥロヴォもよく見える。さらに大聖堂の地下には墓地があり、ここはローマ法皇ヨハネパウロU世も訪れたそうだ。

 大聖堂の横には、12世紀頃の王宮の遺跡が残されている博物館へ。昔の硬貨鋳造の仕組みがわかるような展示などもある。その側では、日本の華道など伝統文化を紹介するイベントが行われている。4日ぶりに日本人に会う。その他にも日本人の団体客も大聖堂を訪れていた。(少々お疲れのようでしたが)

 大聖堂のある丘を下り、ドナウ河畔へ。対岸のスロバキアの町とを結ぶ渡し舟が定期的に出ており、国境検問所があるが、その近くにあるマーリア・ヴァレーリア橋は、第二次世界大戦のときにナチス・ドイツに中央部分が破壊されたそうだが、EUの援助もあるようで、半世紀以上を経て再びつなぐ工事がすすめられている。もうすぐ、船を使わずに両国を行き来することができるようになるのだろう。

 帰りはバスターミナルから、ブダペスト・アルパード橋バスターミナル行のバスに乗る。1時間10分で鉄道よりやや早いが、料金は少し高い。バスターミナルは、地下鉄駅に隣接しており、すぐに乗換え。デヤーク広場駅で降り。6年前に食事したレストランに行ってみる。店も広くなったが、雰囲気も当時の庶民的な雰囲気から変わったが、値段も上がったようだ。1フォリントが約1円→0.5円になったが、全体的にフォリントでの物価は4倍くらい上がっている感じがする。インフレもあるのだろうのだろうが、日本円との関係では2倍くらいになった感じ。パプリカをたっぷり使ったハンガリー料理を食べる。

夜景の美しい王宮へ

 夕食後は歩いて、ドナウ河畔のくさり橋のたもとへ。日が暮れ始め、くさり橋に付けられたライトが点灯。対岸の王宮のライトアップも始まる。くさり橋は、現在、歩行者の通行ができないようなのでバス16番に乗り、橋をわたりブダ地区の王宮の丘の上へ。観光客がいっぱい。王宮は現在、博物館になっているが、ハプスブルグ時代の遺産。対岸のペスト地区の夜景もいい。丘の上にあるマチャーシュ教会、漁夫の砦を歩いた後、ミニバスでモスクワ広場へ。ここからは、ホテルがある西駅までトラムが走っている。ドナウ川を渡り西駅へ着くが、22時を過ぎたためか、地下道も人通りが少なく、ややデンジャラスな雰囲気。警官が麻薬取締りなのか、数人で取調べ中。急ぎ足でホテルに戻る。

 

[01/08/10 FRI.→’01/08/11 SAT.]

帰国

 ホテルで朝食後、西駅構内のハンガリー国鉄の売店で時刻表menetrendを購入。地下鉄3号線に乗り、終点コゥバーニャ・キスペストに行き、空港行きのバスに乗換え。約20分でフェリヘジ空港に着く。空港内には店は多くなく、みやげもの(例えばトカイワインなど)は市内で買ったほうが価格的にもいいようだ。10:45TK1436便イスタンブール行きに搭乗。イスタンブールでは3時間位接続待ちして、17:15発関西空港行TK48便に乗る。行きと違いほぼ満席。関空には定刻より遅れ10:30過ぎに到着。14:45発羽田行JL344便まで時間をつぶす。羽田から自宅へ。

 

 

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