NO アーチィスト コ      メ      ン      ト 関連アルバム
1 デヴィッド・サンボーン
[DAVID SAMBORN]
(Sax)

1945年、アメリカ、フロリダ州生まれ。人間とは何かきっかけで自分の将来が左右されるかというよい例であると思うが、彼がサックスを始めたきっかけは、幼少時に小児麻痺にかかり、そのリハビリのために医者から勧められてなのである。しかし結果的に見るとやはり元々音楽的才能はあったのであろう。その後、R&Bにのめり込んでいき、ノースウェスタン大学とアイオワ大学で本格的に音楽を学んでいる。今となってはコンテンポラリー・ジャズのサックス奏者の第一人者であるが、その経歴はあの伝説のライヴ”ウッド・ストック”にも出演しているなど、当初はセッション・ユージシャンとしての知名度の方が高かったようである。もちろんその才能と名声から多くのミュージシャンに声をかけられることになったのだと思うが、デヴィッド・ボウイ、ローリング・ストーンズ、イーグルス等々・・・数多くのロック、ブルース系のミュージシャンとの共演が多いことは意外といえば意外かもしれない。70年代後半より本格的にソロ活動に入り、自身のアルバム制作や作曲活動に専念し始めるが、この時期に最近の彼の演奏スタイルが確立され始める頃でもある。セルマー制のアルト・サックスを基本的には愛用しているが、アルト・サックスのタイプを2分すると、おそらく近現代ではこのサンボーンとチャーリー・パーカーの2派になり、必ずやどちらかのタイプに影響されないサックス奏者はいないであろう。その情熱的で歯切れの良く、独特な音色の演奏には、国内外を含めて多くのファンがおり、グラミー賞やゴールド・ディスクなど数多く受賞している。個人的にはマーカス・ミラー(B)と組んで作った曲やアルバムが気に入っているが、「ラン・フォー・カヴァー」や「スネイクス」は度々ライヴやジャズ・フェスティバルでもバージョンを変えて演奏されている。基本的に自身のバンドを固定せず、その時々で自分のスタイルにあったミュージシャンを募り、ツアーを行っている。最近ではエリック・クラプトン率いる”レジェンズ”というバンドへの参加も面白かった。国内では1992年に読売ランドイーストで行われた”ライヴ・アンダー・ザ・スカイ”の時のメンバーが忘れられない。【マーカス・ミラー(B)、オマー・ハキム(Dr)、ディーン・ブラウン(G)、ドン・アライアス(Per)など】


デヴィッド・サンボーン/ヴォイヤー





デヴィッド・サンボーン/アップ・フロント




デヴィッド・サンボーン/ア・チェンジ・オブ・ハート




デヴィッド・サンボーン/ストレ-ト・トゥ・ザ・ハート





デヴィッド・サンボーン/ヒアセイ





深町純/ライヴ


2 ジョン・コルトレーン
[JOHN COLTRANE]
(Sax)

1926年、アメリカ、ノースカロライナ州生まれ。幼少よりクラリネットやサックスを始める。20代前半よりディジー・ガレスビー(Tp)、マイルス・デイヴィス(Tp)、セロニアス・モンク(Key)など数々の名プレーヤーたちとの共演を果たす。チャーリー・パーカー(Sax)やソニー・ロリンズ(Sax)の影響を受けながらも、最終的にはアヴァンギャルド(前衛)にのめり込んでいく。一時は麻薬にとりつかれ、せっかくの大物ミュージシャンとのコネクションも麻薬がきっかけで途絶えようとする時期もあった。それでも幼少の頃からの音楽好きが彼を目覚めさせ、晩年には周囲が見違えるほどの練習の虫になっていたといわれる。しかしその晩年というのもあまりにも早い晩年で、彼は40歳にしてこの世を去ってしまった。天才というのは短命にして多くの名作を残すと言われるが、彼も例外なくその部類に入るであろう。ジャズを聴く傾向として、誰もがマイルスやコルトレーンを通ると思うが、結局、さらにこの2人のアーティストを境に、エリック・ドルフィー(Sax)へ行き着くリスナーと、そこまで行き着けないリスナーとに分かれると思われる。このアヴァンギャルド、いわゆる前衛の境目は、長いジャズの歴史を見てもこの3人にしか分からない、あるいはこの3人でも分からないかなり難解な、いわば大袈裟に言うならば人生そのものを音楽でどのように表現するかという大変難しい問題になってくるであろう。コルトレーンが唯一マイルスともドルフィーとも音楽的見地で接点を共有した人物であることは、私はジャズ界にとって彼が大変意味のあるキーマンであったと言っても過言ではないと個人的には思っている。


ジョン・コルトレーン
/マイ・フェイヴァリット・シングス




ジョン・コルトレーン/ジャイアント・ステップス




ジョン・コルトレーン/至上の愛




ジョン・コルトレーン
/ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード
3 エリック・ドルフィー
[ERIC DOLPHY]
(Sax)
1928年、アメリカ、ロサンゼルス生まれ。その前衛的な演奏スタイルはまさにその後のジャズ界だけでなく、全世界の音楽シーンを震撼させたと言っても過言ではない。絵画の世界でピカソならば、ジャズの世界ではドルフィーとなるであろう。そして2人に共通するものは、当然のこととしてメチャクチャをやっているのではなく、それはそれはしっかりとした基礎を通ってきているということである。ピカソの初期の絵を見るならば、ドルフィーの50年代頃のビッグ・バンドを渡り歩いていた頃の演奏を聴いて欲しい。のちにチャーリー・ミンガス(B)と共演を始めるが、この頃より徐々に前衛に傾向しはじめ、さらにはジョン・コルトレーンと共演した頃には、最もピークに近い彼の持ち味を最大限に生かしたソロが聴けることであろう。36歳という若さで亡くなるが、短命にして名作を数々残しすぎているほど、生き方自体が天才という彼の人生そのものを物語っているようでもある。実は父親の影響で気がついたら小学生の頃、いつもジャズが流れていて、それがいつの間にか前衛的なジャズになっていって、いつしか「これは誰が演奏してるの?」ときいたら「エリック・ドルフィー」という答えが返ってきたのである。曲名やアルバムのタイトルなどそれこそ知る余地もなかったが、子ども心に「すげー・・・」としか言いようのない感想をいつも抱いていた。しかしこれを聴いてしまうとあとにはもう何も聴くものがなくなってしまうのだろうとも思ったりした。究極のジャズ、というよりも、もしかしたら究極の音楽の始まりであり終わりであるような気がした。私にはこれ以上エリック・ドルフィについて多くを語ることはできないし、語ってはいけないとも思う。とにかく一度彼の演奏を聴いてみるべきだ。何か答えが見えてくるであろう・・・。

エリック・ドルフィー/ラスト・デイト




エリック・ドルフィー/アウト・トゥ・ランチ




ジョン・コルトレーン
/ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード




オリヴァー・ネルソン/ブルースの真実
4 ケニー・ギャレット
[KENNY GARRETT]
(Sax)
1961年、アメリカ生まれ。私独自の考えでは”マイルス・ファミリー”=”マーカス・ファミリー”みたいな部分があり、ケニー・ギャレットの名前を最近耳にするようになった人の多くは、おそらくマーカス・ミラー(B)関連のアルバムやライヴではないだろうか?実際にギャレットもマーカスもマイルス・デイヴィス(Tp)に育てられ、巣立ち、知名度を上げたミュージシャンであるということは、彼らには失礼かもしれないが多分にあるであろう。勿論その前にマイルスの目に触れたこと自体が、彼らの才能の素晴らしさであることは言うまでもない。何が言いたいかというと、結局、右の参考アルバムを見てもらえば分かるが、ギャレット参加のアルバムは、自身のリーダー作以外はほとんどがそんなマイルス・ファミリーに関係したミュージシャンとのつながりである(必然的にマーカス・ファミリーとも)。そんな彼の最近での演奏はファンキーかつエネルギッシュな面が目立つが、マイルスと共演する以前には、その基礎ともなる音楽理論や演奏技術など徹底して自ら学び、当時の若手の登竜門的なミュージシャンやバンドとの共演、ビッグ・バンドやいわゆるモダン・ジャス系のプレーヤーとの演奏を多く行っている。ある意味サックス界のエリートであったのかもしれない。廃盤になってしまったが『African Exchange Student』というアルバムはかなり高い評価を得ている。


ケニー・ギャレット/シンプリー・セッド



マーカス・ミラー
/M2〜パワー・アンド・グレイス




マイク・スターン/ジーズ・タイムス




パッチェス・スチュワート/ブロー



5 マイケル・ブレッカー
[MICHAEL BRECKER]
(Sax)

1949年、アメリカ、フィラデルフィア生まれ。兄ランディ・ブレッカー(Tp)と結成した”ブレッカー・ブラザーズ”はそのファンキーかつジャジーな演奏で一世を風靡した。若くしてジョン・コルトレーン(Sax)の影響を受け、それまでのロックに影響されていた演奏スタイルが一気にジャズやフュージョン系へと転身する。そのロックとジャズを融合した演奏スタイルが多くの若者からの支持を受け、今ではさらにファン層は拡大し圧倒的な人気を誇るサックス・プレーヤーの1人となっている。いわゆるセッション系のミュージシャンとしても幅広く活躍し、かつてロックに影響された頃のフレーズが演奏スタイルに面影として残ることなどからか、今でもポップスやソウル系のアーティストからレコーディングを誘われるケースも多い。日本では渡辺香津美(G)が『トチカ』のアルバムを発表したときに彼を起用し、当時の国内外のライブ・ツアーにも同行している。肺活量のせいか、それとも瞬間的な息の吹き方のせいか、とにかく出る音の歯切れの良さと音量・音長はダイナミックかつ大変なインパクトを持つ。一言で言うならば「何を吹かしてもうまい!」というべきであろう。




ブレッカー・ブラザーズ
/ヘヴィ・メタル・ビバップ




ブレッカー・ブラザーズ
/ザ・ ブレッカー・ブラザーズ




マイケル・ブレッカー
/テイルズ・フロム・ザ・ハドソン



6 本田雅人
[MASATO HONDA]
(Sax)

1962年、高知県出身。父親が音楽教員であったことなどから、幼少の頃より音楽に興味・関心が強く、小学校からサックスを始める。大学は国立音楽大学サキソフォン科に進学し、多くのプロミュージシャンを世に排出している同大学のジャズ・オーケストラ”ニュー・タイド”に所属し、当時よりその頭角を現わす。在学時より多くのコンテストで受賞し、その演奏が原信夫の目に留まり、彼のバンドでしばらくリード・アルト・サックスを務める。卒業後はスタジオ・ミュージシャンとして渡辺美里、安全地帯、角松敏生などのサポートをするなどしていたが、90年代に入り伊東たけし(Sax)の後釜として”T-SQUARE”に加入。プレイだけでなく作曲・編曲共に見事その代役を果たすこととなる。しなしながら90年代後半には彼もこのバンドを脱退し、ソロ活動に専念し始める。精力的にソロ活動を行う傍ら、2000年に入っては”FOUR OF A KIND”【塩谷哲(Key)、青木智仁(B)、沼澤尚(Dr)】を結成し、日本フュージョン界に新風を巻き起こすこととなる。小柄な体格ながらメリハリのある力強いアタックでインパクトあるフレーズを吹きまくり、ソフトな演奏も魅力的だがやはりライヴでの迫力あるアドリブは場の雰囲気を一気に呑み込んでしまうくらいのパワーを感じる。


フォー・オブ・ア・カインド/
ライヴ・アト・ブルー・ノート




本田雅人/WHAT IS FUSION




T-SQUARE/夏の惑星

7 渡辺貞夫
[SADAO WATANABE]
(Sax)
1933年、栃木県出身。10代後半にてプロとして国内ジャズ・ミュージシャンとの共演をはじめ、20代後半にバークリー音楽院へ留学。たった3年間ではあったがその間にも多くの一流ミュージシャンとの共演を重ねさらに技術に磨きをかけると共にコネクションを広げる。チャーリー・パーカー(Sax)の影響を強く受けるが、最終的には独自の感性と音楽理論で独特な旋律と特に民族音楽的な音階のジャズを構築するに至る。中でもアフリカに対する思い入れが強く、30代後半よりの作曲活動ではその特徴が色濃く出ている。国内だけでなく世界中の音楽賞を数多く受賞し、世界有数のジャズ・フェスティヴァルにも度々招待されている。また70年代より約20年間続いたFM番組「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」では、自身のオリジナル曲やライブの様子を毎週に渡って放送し続け、ジャズ・ファンだけではなく、ジャズそのものをポピュラーな感覚として広く国民に浸透させていった功績は大きい。もちろんファンの中には根本的なジャズから離れてメジャー路線になってしまったことを悲しんでいる人?もいるかも知れないが、彼の作曲の多くに漂う大陸と地平線を感じさせる、渡辺貞夫そのものの人生観と経験から来る心の広さを感じさせる演奏には、ジャンルを問わない音楽の根本を見いだせるような気がする。私は個人的には前述したアフリカを意識して作った彼の曲を部屋を暗くして聴いていると、自然とリラックスした気持ちになれ、心身共に疲れが癒される・・・。


渡辺貞夫/HOW'S EVERYTHING




渡辺貞夫/オレンジ・エクスプレス





渡辺貞夫/モーニング・アイランド




渡辺貞夫/ムバリ・アフリカ

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