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マイルス・デイヴィス
[MILES DAVIS]
(Trumpet)
 1926年〜1991年、アメリカ,イリノイ州生まれ。画家で言うならピカソに相当するのか・・・。一般的にピカソは抽象画家として知られているが、しかし彼のデッサン力や初期の若かりし頃の作品を見れば分かると思うが、その基礎力はずば抜けたものがある。その後、青の時代を通して徐々にキュービズムに変遷していくが、マイルスも全くと言って良いほど同じような変遷を経て、同じ芸術の分野である音楽を開拓していった。彼を抜きにして今の音楽会は語れないであろう。ある意味ジャズやフュージョンだけではなく、あらゆる分野の音楽を開拓したと言っても過言ではない。
 チャーリーパーカーに影響を受け、モダンジャズ界きっての天才児というスタートとともにビー・バップに傾倒していくが、それにも満足できなかった彼は常に新しいものを求めて、つい最近では死後に分かったことであるが、あのジミ・ヘンドリクスにも影響を受けていたという話が話題を呼んだこともあった。
 正直、後半になるに連れミーハー路線に走ったと言われても仕方のない部分はあったが、絵画で言うならば余計な描写はせず端的な鋭い線で言いたいことを表現するのと同様に、彼もまた技術に走らず、音数を減らし、むしろアドリブに頼る演奏を重視したことが自身の音楽を確立すると共に、若手ミュージシャンの育成にも大いに貢献されたことは否定できない。マーカス・ミラー(B)、ケニー・ギャレット(Sax)、マイク・スターン(G)などはまさにマイルスがその才能を引き出してくれたと言って良いであろう。日本人でも渡辺香津美(G)や神保彰(Dr)がオファーを受けていたが断ったことは有名。
 アルバムや演奏としては長時間の演奏に渡る「パンゲア」「アガルタ」をはずすことはできないが、いつまで経っても出てこないマイルスがようやく出した1音に観客がドッとどよめくあの瞬間はぜひ聴いてもらいたい。初期のスタンダードでも良いものがたくさんあるが、中でも映画「死刑台のエレベーター」のサントラ盤を担当したことは異例でもあり興味深い。
 個人的には「スター・ピープル」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」「ウィ・ウォントゥ・マイルス」「トゥトゥ」などが好みだが、後半良く用いられたミュート奏法はその後の若手トランペッターにはだいぶ影響を及ぼしているようであるがあまりそれを特徴としてとらえることが良いかどうかは疑問である。
 若い頃の薬物中毒から克服したことは有名だが、薬をやらないといいものが生まれないと言う考え方については、彼に限らず当時のジャズ・ミュージシャンたちには何か勘違いがあったように思うのは私だけであろうか・・・。
キャノンボール・アダレイ
/サムシング・エルス




マイルス・デイヴィス
/ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン




マイルス・デイヴィス
/WE WANT MILES




マイルス・デイヴィス/パンゲア




マイルス・デイヴィス/アガルタ

マイルス・デイヴィス/トゥトゥ
2
ランディ・ブレッカー
[Randy Brecker]
(Trumpet)
 1945年、アメリカ、フィラデルフィア生まれ。私たちの記憶には弟マイケル・ブレッカーとの兄弟共演のアルバムが多く目に浮かぶが、2人ともそもそもはスタジオ・ミュージシャンとしての地位を築いてから公にソロあるいは兄弟での活動に入る。もちろん兄弟別売り(失礼)にても多々アルバムを発表したりセッションをこなしてきているが、兄ランディに関しては、クラシックからスタートして学生時代にジャズに浸透し数々の受賞を経て、ニューヨーク行きを決意する。
 ジャニス・ジョップリン、スティーヴィー・ワンダー、アート・ブレイキーなどとのセッションがまずはきっかけとなり、セッション・ミュージシャンとしてかなり多忙な日々を送ったことは事実。その後も今は亡きジャコ・パストリアス(B)のモダン・ビッグ・バンドでも活躍する。
 ランディに限らずこの兄弟のプレイの特徴はソリッドでハードを売りにしている反面、スローな曲でもしっかりと聴きどころは押さえている。また旋律にも特徴があり、高音域〜低音域をかなりの高低差で吹きまくる音階は一度聴くとその格好良さに取り付かれるファンも少なくない。
 しかしやはりなんと言ってもこの2人の集大成は”ブレッカー・ブラザーズ”というハードでパワフルな演奏満載のスーパーバンドであることは間違いないであろう。最近ではスマップのアルバムにも参加しているらしい・・・。

ブレッカー・ブラザーズ
/ヘヴィ・メタル・ビバップ

ブレッカー・ブラザーズ
/シトラップハンギン



ブレッカー・ブラザーズ
/ザ・ ブレッカー・ブラザーズ

ロバータ・フラック
[ROBERTA FLACK]
(Vocal)
 1939年、アメリカ生まれ。黒人ミュージシャンのなかでは珍しく、音楽の正式教育を受けている。幼い頃よりピアノに親しみ、大学ではクラシックを専攻、オペラ歌手などについての声楽も学んだ。
 私は元来ヴォーカル曲はあまり好きではないので、これと言って聴き込んだ歌手はいない。しかも日本語の歌となると妙に耳につくので、英語の歌をそれがまるで楽器の一種であるかのように聴くことは多かった。
 フラックの話と少し遠ざかるが、キッス、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンなどなど。往年の70年代から80年代にかけてのロックは全てそのヴォーカルは楽器の一部として聴いていた。演奏自体の方が心地よくヴォーカルはあくまでもおかずにすぎなかった。
 そんな私が30歳過ぎたときにこれほどまでに心を打つ歌手がいたとはと思ったのがロバータ・フラックであった。彼女の代表曲は言わずと知れずコーヒーの宣伝でも知られる「優しく愛して〜KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG〜」であるが、これにはまってしまったのが某テレビ局の物まね番組でゲストとして出てきたときで生の歌声を聴いて思わず涙してしまった。
 ということで実は彼女のその他の歌もベスト版に収録されているものしか聴いたことはないのだが、まあ魂を揺さぶる歌手の一人であることには違いないであろう。私自身、独断と偏見でヴォーカル曲を聴きまくっているわけではないので、他にもソウル、ファンク、ジャズ系の歌手でまだまだ人の心の奥底に染み渡るような歌を歌う人はたくさんいると思うのだが、あえてここでは彼女をあげてみた。
ロバータ・フラック
/ベスト・オブ・ロバータ・フラック
山下達郎
[TATSURO
  YAMASHITA]
(Vocal)

 1953年生まれ。シンガー・ソング・ライターというべきか?はたまたアレンジャー、音楽プロデューサーというべきか・・・。竹内まりやの夫であることは有名。ヴォーカル曲に関しては上のロバータ・フラックのところで触れているので省略するが、彼の場合は芸術の域に達しているのであえてとりあげたい。
 とにかく1人でヴォーカルからギター、ドラム、ベース、キーボードなど何もかもやってしまう器用さは持って生まれた才能の素晴らしさをただただ羨ましく思うが、さらにそのアルバム制作にあったってのアイディアの豊富さやパフォーマンス精神には脱帽する。
 特に知られているのは、国内の第1人者とも言われている一人アカペラの多重録音であるが、今では当たり前の手法も当時としては画期的であっただけでなく今聴いても鳥肌ものである。
 私が彼のこだわりで気に入っていることのもう一つには、スタジオ録音やライブ・ツアーで引き連れている長年の気のあったベテランミュージシャンたちである。特にキーボードの難波弘之、ドラムスの青山純の起用にこだわり続けている姿勢は、彼の音楽性がある意味まだまだデジタルではなくアナログ精神であることの証明ではないかと思う。真のミュージシャンはいまだにアナログであるべきだというのが私の信念である。
 彼の著名な曲についてはあえて触れる必要もないと思うが、「クリスマス・イヴ」はもちろん「ボンバー」「スパークル」「ライド・オン・タイム」「ユア・アイズ」「ラブランド・アイランド」などあげるときりがない。

山下達郎/フォー・ユー




山下達郎/ライド・オン・タイム




山下達郎/ビッグ・ウェイヴ




山下達郎/メロディーズ
ジャン・リュック・ポンティ
[JEAN LUC PONTY]
(Violin)
 1942年、フランス生まれ。彼の作品に出会ったのは中学生の時。輸入レコード屋へ行ったときにヴァイオリンでジャズ、フュージョンをやると言うことに興味を持ち、この人のライブ版を買ったのが収集の始まり。しかし国内版はほとんど発売されておらず、以降も結局輸入盤屋さんを転々とする中でようやく最近までに約10枚近い作品を手に入れることができた。
 どうやら最初はフランク・ザッパのグループで活躍していたようであるが、そのせいか演奏によってはかなりプログレっぽいフレーズや表現をすることがある。
 他のヴァイオリニストでは後期U.K.のエディ・ジョブソンやジェフ・ベックのライヴ・ワイヤーに参加しているスティーヴ・カインドラーが有名だが、ソロ・ヴァイオリニストとしてはポンティが最も成功しているのではないかと思われる。
 彼の曲は日本でも一時、夜のニュース番組で「EGOCENTRIC MOLECULES」が使用されていたり、BGMとしてどこかで流れているケースも少なくない。お勧めは「ジャン・リュック・ポンティ・ライヴ」「イマジナリー・ヴォイエージ」「オーロラ」などである。

ジャン・リュック・ポンティ/ライヴ




ジャン・リュック・ポンティ
/イマジナリー・ヴォイエージ




ジャン・リュック・ポンティ
/コズミック・メッセンジャー
大野雄二
[YUJI OHNO]
(Composer)
 1941年、静岡生まれ。慶應義塾大学卒。大学在学時より作曲・編曲の勉強をする傍ら、自らもジャズ・ピアニストとして活躍を始める。
 私が彼の音楽性にはまっていったのが間違いなく角川映画「犬神家の一族」。以降「人間の証明」「野生の証明」など角川映画の看板とも言える作・編曲家となるが、おそらく世間に知名度を与えたのは映画「ルパン三世」の音楽であろう。
 彼独特の作曲方法にはもちろん旋律的なこともあるが、オーケストラとジャズ的ニュアンスの融合が最も大きな特徴ではないかと個人的には思っている。楽譜を見たことがないのでそれらしいことは言えないが、たぶんどのサントラ盤においてもアドリブを各ミュージシャンに任せている部分は多分にあると思われる。もちろんその中でテーマや決めの部分が存在するが、そのアドリブ的な要素がまた何度も同じ曲を聴いていても飽きさせない要素であるということは言えるであろう。
 以下の久石譲とも同じことが言えるが、彼の曲は彼が作曲したと分かっていなくとも、大抵コマーシャルやBGMで流れると大野雄二の作曲だろうと言う予想がつく。透明感の中に幾重にも重なる音の膨らみが時には軽快感、時には重厚感を限りなく演出するが、どの曲においても音に対する切り口が鋭く、リスナーの予想を裏切らない曲の展開・構成に次の作品への期待がさらに膨らむ作曲家である。
大野雄二/犬神家の一族




大野雄二/人間の証明

大野雄二
/LUPIN THE THIRD JAZZ
7 久石 譲
[JOE HISAISHI]
(Composer)
 1950年、長野県生まれ。国立音楽大学卒。私が彼の音楽に取り付かれたのは映画「風の谷のナウシカ」のイントロの曲を聴いたときから始まった。癒し系と言われてしまえばそれまでだが、環境音楽?ヒーリング・ミュージックの分野になるのか・・・?しかし以降、彼の作品を聴いていくと決してどの分野にも属さない、そして彼は的確に与えられたテーマや条件を元に作曲していると言うことにすぐに気付いた。
 ナウシカ以降、私はまるで彼の作品を買いあさるように「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」などなど、宮崎駿映画のサントラ盤を中心に収集を始めた。と同時にいつしか彼は北野武映画の音楽も手がけるようになり、一般的にはどちらのインパクトが強いのか・・・?とにかく「ソナチネ」のあの旋律は美しさの中に戦慄を憶える圧巻とも言える作曲ではないだろうか。作曲方法は比較的ピアノの単音的な音階や楽器の単独性を強調するものが多いと感じている。
 彼の音楽にはまるとコマーシャルやいろいろな番組のBGMなどでも「彼が作曲したな」というのがすぐに分かるほど特徴がある。そのような中で重厚でオーケストラを完全に利用した作曲が「もののけ姫」のエンディングであるが、私はこの時に彼がどんな曲にも対応できる片寄りのない作曲家であると言うことを再認識した。ソロアルバムも多く出しているようであるが、今では日本はもとより世界的な日本を代表する作曲家と言っても過言ではないであろう。
久石譲/風の谷のナウシカ




久石譲/もののけ姫




久石譲/ソナチネ
イアン・ギラン
[IAN GILLAN]
(Vocal)
 1945年8月19日生まれ。彼の声を初めて聴いたのは小学生時代に父親がラジオから流れてくる最近のロックのヴォーカリストの声を聴いてどう思うか?と聴かされたのがたぶんディープ・パープル時代のギランの声だったのであろう。父親はきっとあの絶叫型のヴォーカルに最近の若者が傾倒していっていることに少々不満を持っていたのかもしれない。同様な大御所にはやはりブリティッシュ・ロック界のレッド・ツェッペリンのヴォーカリスト、ロバート・プラントがいるが、ギランの絶叫には負ける?のではないだろうか・・・。特にライブのチャイルド・イン・タイムでの絶叫はすざまじい・・・。
 上述してしまったが、彼を一躍有名にしたのは第2期パープル時代であったと思うが、その代表作とも言える「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「ハイウェイ・スター」などはアルバム『マシン・ヘッド』を聴くとそのすごさが分かるであろう。ただし本来のファンから言わせるとアルバム『イン・ロック』が最高のできであるという人も少なくない。
 パープルの黄金期を支えたギランもバンドの確執から脱退後、自己のイアン・ギラン・バンドを結成したり、ブラック・サバスに一時的に加入するなどその技量は引く手あまたであったが、結果的に再結成後のパープルに出たり入ったりを繰り返しながらも落ち着いた?ようであるが、今後もどんなトラブルが彼を待ち受けているかは分からない・・・。
ディープ・パープル/イン・ロック



ディープ・パープル/マシン・ヘッド



ディープ・パープル
/ライブ・イン・ジャパン



イアン・ギラン・バンド
/ヒロシマ 1977
ロバート・プラント
[ROBERT PLANT]
(Vocal)
 1948年8月20日生まれ。知名度は言うまでもなくブリティッシュ・ロック界の2大ハード・ロック・バンド、レッド・ツェッペリンのヴォーカリスト。ツェッペリン解散まで専属ヴォーカリストとして活躍。一方のディープ・パープルのヴォーカリスト、イアン・ギランとよく比較される。イアン・ギランと同様、絶叫型のヴォーカルと言われるが、声質はプラントの方が滑らかで、聴きやすい?かもしれない。
 ブリティッシュ3大ギタリストを生んだヤード・バーズ(後のレッド・ツェッペリン)の最後のギタリスト、ジミー・ペイジと出会うのは、ペイジがヤード・バーズの分解に直面し、新ヴォーカリストを捜していたとき、ホブスト・フィールドというバンドで歌っていたプラントの歌声を聴き、即座に加入を求め、そこへプラントの紹介でドラムのジョン・ボーナムも加入。ベースのジョン・ポール・ジョーンズは以前よりセッション・ミュージシャンとして親交がありすでに確保されていた。この当初は新生ヤード・バーズと呼ばれていたバンドが、バンド名改めレッド・ツェッペリンとなる。
 プラントと言うよりはこのバンド自体の特性として、ライヴでのパフォーマンスや演奏にスタジオ録音とは違ったアドリブ性を多く取り入れることから、プラントの歌声もアルバム「永遠の詩」を聴くと彼の最盛期とも言える歌声を聴けるであろう(解散後は喉をダメにした?という説もあることから)。
 不幸なことに息子を亡くすが、死亡説にはプラントやツェッペリン・メンバーが黒魔術に携わっていたことがよく噂に上るが、その真意は定かではない。このことに関してはツェッペリン解散のきっかけとなったドラマーのジョン・ボーナムが、泥酔の末、喉に汚物を詰まらせて死亡したと言うことも黒魔術のせいにする話が一部ある。
レッド・ツェッペリン/U



レッド・ツェッペリン/W



レッド・ツェッペリン/プレゼンス



レッド・ツェッペリン/永遠の詩
  (ビデオ・映画化
       「狂熱のライヴ」)



レッド・ツェッペリン
/イン・スルー・ジ・アウト・ドア
10 フレディ・マーキュリー
[FREDDIE MERCURY]
(Vocal)
 1946年9月5日生まれ。1991年11月24日、エイズによる気管支肺炎で他界。45歳でこの世を去った。ブリティッシュ・ロック・グループ、クイーンのヴォーカリストであったことは言うまでもない。
 ペルシャ系インド人の両親に生まれ、5歳の頃からピアノを習う。このピアノが後にあの名曲『伝説のチャンピオン』や、その他クイーンでの活動において数多くの弾き語りに役立つこととなる。
 クイーンはギターのブライアン・メイとドラムのロジャー・テイラーが学生時代より作っていたバンドに、後任のヴォーカリストとしてフレディを引っ張り込み、さらに最後にベースのジョン・ディーコンが加入して出来上がる。
 当初、フレディのルックスについてはかなりの不評説が流れ、バンドとしてもあまりパッとしなかったが、日本公演を機に一気に世界中にヒットすることとなる。彼らにとって生涯日本は忘れられない国となった。
 今となってはフレディのヴォーカルは他に類を見ない独特な歌いこなしでファンを魅了するどころか、フレディの死後21世紀になっても新たな若い次世代のファン層が彼を崇拝し始めている。
 確かにライヴでのパフォーマンスや全身タイツという衣装には、当初誰もが戸惑ったと思うが、それも後に彼がゲイであることを告白することで納得?したかもしれない。(しかし彼は完全なるゲイではなく、しっかり女性も愛し、同棲の経験もあった)
 イアン・ギラン、ロバート・プラントが絶叫型であるならば、フレディの歌い方は確かに絶叫もあったが、むしろ情緒的で抑揚がありユニークな一面もあった。クイーンのバンド思考がコーラスやアカペラなど他のロックバンドと比較するとヴォーカルにこだわっていた部分も大きかったかもしれない(『ボヘミアン・ラプソディ』がその代表)。これについてはドラムのロジャー・テイラーが聖歌隊に関わっていたことなどもあるであろう。
 生前はもちろん死後も彼の歌唱力に影響されているロック・シンガーは多い。
クイーン/戦慄の王女



クイーン/シアー・ハート・アタック



クイーン/オペラ座の夜



クイーン/世界に捧ぐ



クイーン/ライヴ・キラーズ



クイーン/ザ・ゲーム



クイーン/メイド・イン・ヘヴン



クイーン/グレイテスト・ヒッツ
11 スティング
[STING]
(Vocal、Bass)
 1951年10月2日生まれ。元々ジャズ・ベースを弾きながら歌うヴォーカリストであったが、1970年代から80年代半ばにかけて活躍したイギリスのレゲエ・ロック・バンド、ポリスで一躍その名前を売り出す。ソロ活動になってからはグラミー賞も受賞している。
 ポリスはプログレ思考のドラマー、スチュワート・コープランドがまずは新しいバンド作りのためにスティングを誘うが、スティングの条件はジャズ的センスを持つレゲエ・ロックを弾けるギタリストがいることが条件であった。いろいろなライヴ・ハウスを見ていく中で目に付いたギタリストがアンディ・サマーズであった。この3人によって強力なスーパー・レゲエ・ロック・バンド、ポリスが出来上がり、ファーストアルバムよりその快進撃が活動休止まで続く。
 活動停止後はソロ活動にはいるが、結構、そのパターンになると1人1人がソロ・アルバムを出しても今一パッとしないことが多いのだが、このスティングだけは違った。ソロになってもポリス活動時以上に名声を上げていき、数々の名盤を残している。
 普通のエレクトリック・ベースだけでなく、時にはアップライト・ベースを弾きながら器用に歌う彼の声質は、独特なハイ・トーンで洗練されたものである。
 その根底にはやはりジャズにこだわり続けてきたという精神が、特にソロ活動になってからのアルバム制作やライブ活動で、多くの著名なジャズ・ミュージシャンを起用していることからも分かる。例えばライヴ・アルバム「ブリング・オン・ザ・ナイト」では、オマー・ハキム(Dr)、ダリル・ジョーンズ(B)、ブランフォード・マルサリス(Sax)、ケニー・カークランド(Key)という蒼々たるメンバーを使っている。このアルバムだけでも必聴である。
 他には、国際的な人権保護運動家、熱帯雨林保護運動家などの一面があり、自然をこよなく愛し、人類愛をテーマに音楽だけではなく幅広く活躍しているところに、彼の人間としての素晴らしさを見出すことができる。
ポリス/アウトランドス・ラムール


ポリス/白いレガッタ


ポリス/ゼニヤッタ・モンダッタ


ポリス/シンクロニシティー


ポリス/ポリス・ライヴ


スティング/ソウル・ケージ


スティング/ブルータートルの夢


スティング/ブラウン・ニュー・デイ


スティング
  /ナッシング・ライク・ザ・サン


スティング
  /ブリング・オン・ザ・ナイト
12 ミック・ジャガー
[MICK JAGGER]
(Vocal)
 1943年7月26日生まれ。イギリスのロック・バンド、ローリング・ストーンズのリード・ヴォーカリスト。俳優、作家などの一面も持つ。
 私は個人的な話になってしまうが、ビートルズを通らずにロックを知るようになり、未だにビートルズに関しては著名な曲しか知らない(もちろんメンバーの4人が誰かと言うことはよく知っているが)。
 そのビートルズに対抗するがごとく不良派ロック・グループとして現れた(位置付けられた?)のがローリング・ストーンズとよく聞く。しかしまさにそれは当てはまると言っても良いと思うが、ビートルズが所謂ロックン・ロールを生みだしたのに対して、ストーンズは泥臭いリズム・アンド・ブルースを基調とするロックである。歌詞の内容もそれはそれは反社会性に富むものもあれば、××なものもある。
 それもそのはず。ローリング・ストーンズの結成に当たっては、幼馴染みのミック・ジャガーとキース・リチャーズ(G)が18歳にしてそのお互いのロックン・ロール魂とリズム・アンド・ブルースの精神に共感し、以来延々とおじさんになってもそれを貫き通しているのであるから。
 私は最初ミックの歌い方がどうしても好きになれず、偉大なヴォーカリスト、そして偉大なグループと知りながらも、ストーンズを聴くことをあえて拒んでいた時代があった。しかし面白いもので年を取るに連れてそのミックの味のある歌い方や何とも言えぬこもって下回りが悪く、それ故に歯切れの悪いトーンの歌声が、まさにストーンズの看板でもあり、ストーンズらしさを出すヴォーカリストは彼しかいないと30歳過ぎにして悟ることとなった。
 しかしながら初期の頃と現在を聴き比べてみると、彼なりに工夫を凝らしてきた後が伺えるのも確かで、それはまさに赤ん坊と中年のおじさんくらいの隔たりを今では実感できる。それを単なる人間としての成長と捉えるか、それとも彼あるいは彼らの思想的背景の中で毒々しい歌い方をせざるを得なかったのかは分からない。
 いずれにせよミック・ジャガーに関して言うならば、どの時代のどの曲を聴いても全てに味のある歌い方を感じることができ、そう言う点ではどのアルバムを買っても損はないと思う。ストーンズ初心者にはベスト版は勿論だが、ライヴ版の方がより一層このバンドが目指しているものがよく分かるのではないだろうか・・・。



ローリング・ストーンズ
/ローリング・ストーンズ


ローリング・ストーンズ
/ローリング・ストーンズ2


ローリング・ストーンズ
/レット・イット・ブリード


ローリング・ストーンズ
/イッツ・オンリー・ロックン・ロール


ローリング・ストーンズ
/ラヴ・ユー・ライヴ


ローリング・ストーンズ
/エモーショナル・レスキュー


ローリング・ストーンズ
/刺青の男


ローリング・ストーンズ
/アンダー・カヴァー


ローリング・ストーンズ
/フラッシュ・ポイント
13 スティーヴ・ペリー
[STEVE PERRY]
(Vocal)
 1949年、アメリカ、カリフォルニア州生まれ。20歳前から将来は音楽活動をしたいと思い、レコーディングのアシスタントなどをしながら並行してバンド活動を行う。
 ジャーニーのヴォーカリストというイメージが強いが、ジャーニーに加入するのは1977年、そしてアルバムとしては4枚目のインフィニティより参加となる。
 小柄ながらパワーがあり、伸びのある高音域の声はジャーニーとしてだけでなく、ソロとしてもその魅力をアピールすることとなり、結果的にソロ活動の成功が、1987年のジャーニー脱退劇にもつながった部分がなきにしもあらずである。
 しかしまさにジャーニーの黄金期を作ったヴォーカリストであり、4作目のインフィニーティ以降のアルバムの成功は、ぺりーなしでは考えられなかったかもしれない。
 1996年にジャーニーが再結成するが、1枚のアルバム録音に参加しただけで、その2年後には再び脱退してしまう。
 個人的な見解から言わせてもらえば、確かに一時的にはソロ活動で成功するも、それはあくまでも一時的なものであって、ジャーニーの成功があったからこその結果であると思えて仕方ない。実力はあるが、バンドの中に位置付けられるヴォーカリストとして、やはりその良さが発揮されるように思える。
ジャーニー/インフィニティ


ジャーニー/エヴォリューション


ジャーニー/ディパーチャー


ジャーニー/ライヴ・エナジー


ジャーニー/エスケイプ


ジャーニー/フロンティアーズ


ジャーニー
  /レイズド・オン・レディオ


スティーヴ・ペリー/ストリート・トーク
14 ジョン・ウィリアムズ
[JOHN WILLIAMS]
(Composer)
 1932年、アメリカ、ニューヨーク生まれ。私だけではなく映画に興味・関心が高い人は、ジョージ・ルーカスお抱えの作曲家というイメージが強いのではないだろうか。
 その輝かしい経歴は驚くほどのもので、2006年現在、アカデミー賞ノミネート45回は現役の映画人の中で最も多く、歴代2位。うちアカデミー賞 5回(作曲賞 4回・編曲賞 1回)、またノミネート止まり40回は史上最多である。さらにエミー賞2回、グラミー賞18回、ゴールデン・グローブ賞4回などなど。またオリンピックにおいても3回楽曲を提供している。
 また1980年〜93年まで、ボストン・ポップス・オーケストラの指揮者を務め、現在でも名誉指揮者の座にある。
 彼を一躍有名にしたのが、1975年の「ジョーズ」におけるアカデミー作曲賞、グラミー賞のダブル受賞であるが、なんと言ってもその後の「スター・ウォーズ」シリーズでの作曲があまりにも有名。
 電子楽器がはびこる中、映画音楽にもその波が押し寄せているというのに、あえてジョージ・ルーカスなど著名な映画監督はオーケストラにこだわった重厚な音楽を好むが、確かに映画の内容にもよるが、あの大画面(スクリーン)に負けない迫力あるオーケストラの音は、どんなに文明が進んでも、代えることのできないサウンドとして生き続けるであろう。
 余談になるが、元トトのメンバーでヴォーカルだったジョセフ・ウィリアムズは彼の息子である。
屋根の上のヴァイオリン弾き

ポセイドン・アドヴェンチャー

タワーリング・インフェルノ

ジョーズ

スター・ウォーズ(全シリーズ)

未知との遭遇

スーパーマン

レイダース

E.T

インディー・ジョーンズ(全シリーズ)

ジュラシック・パーク

シンドラーのリスト

プライベート・ライアン

ハリーポッター(全シリーズ)

My Favorite Players