NO アーティスト コ      メ      ン      ト 関連アルバム
イエス
[YES]
 1968年、イエスとしてデビューする。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、EL&Pと共にプログレ四天王と呼ばれる。オリジナルメンバーは以下の通り。
  ・ジョン・アンダーソン(リード・ヴォーカル)
  ・クリス・スクワイア(ベース、ヴォーカル)
  ・トニー・ケイ(キーボード)
  ・ビル・ブラフォード(ドラムス)
  ・クライヴ・ベイリー(ギター・ヴォーカル)
 その後、ギターをピーター・バンクス、そして一番のキーマンとなるスティーヴ、ハウにチェンジ。ギターはスティーヴ・ハウの時代(第3期〜第8期)が最も長くなる。さらにもう一人のキーマン、キーボードのリック・ウェイクマンが第4期より加入。この2人の加入が最も全盛期となる時代を作る。またビル・ブラフォードはその後、キング・クリムゾンに加入してしまうので、ここでアラン・ホワイトを第5期より迎える。
 どのアルバムも甲乙つけがたいと言いたいが、ファンによっては好き嫌いがはっきりするアルバムも多いかもしれない。初期〜中期にかけては大曲が多く、特にライヴでは延々に渡る演奏も披露することはしばしば。
 特徴はと言うと一人ひとりの超絶技巧はプログレバンドでは当たり前のこと。このバンドの大きな特徴は私はハーモニー、アカペラだと思っている。特に最近のものは録音技術も上がったせいだと思われるが重厚さが増してきているように思う。
 代表作には「危機」をはじめ中期の頃の作品をあげるファンも多いと思うが、ミーハー路線となった80年代以降の『ロンリー・ハート』を含むアルバム「90125」や「ビッグ・ジェネレイター」を支持するファン層の方が最近は増えているかもしれない。
イエス/危機




イエス/イエスソングズ




イエス/90125




イエス/ビッグ・ジェネレイター
 キング・クリムゾン
[KING CRIMSON]
 1969年結成。オリジナルメンバーは以下の通り。
   ・ロバート・フリップ(ギター)
   ・グレッグ・レイク(ベース、ヴォーカル)
   ・イアン・マクドナルド(キーボード)
   ・マイケル・ガイルズ(ドラムス)
   ・ピーター・シンフィールド(作詞・作曲)
 ファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』はビートルズの『アビ−ロード』を抜いてトップに躍り出る。以降、現在に至るまで活動停止期間を含めてメンバーチェンジを繰り返しながら、プログレ・ロックの王道を突き進んでいる。
 メンバーチェンジで有名なところは、第5期のドラムスのビル・ブラフォード、ベース&ヴォーカルのジョン・ウェットンであるが、この時期を黄金期と呼ぶファンも多いことだろう。
 1974年に活動停止するが、1981年にはエイドリアン・ブリュ−(ギター、ヴォーカル)やトニー・レヴィン(ベース)が加入しキング・クリムゾンは再結成される。
 プログレであるが緻密な計算された曲構成は全員のテクニックはもちろん代表曲「21世紀の精神異常」「レッド」「太陽と戦慄パート2」に見られるように、パワフルかつ斬新的なイメージで常に他のプログレバンドへの挑戦を試みていることは間違いない。プログレ四天王の中で最も抽象的な表現にこだわっているとも思われるが、ロバート・フィリップを中心に決してそこから脱却しようとしない、妥協しない点がこのバンドの最大の特徴でもあり王者たるべき所以だと思われる。
 個人的には特にライヴでヴァイオリンを多用した演奏を取り入れているが、デヴィッド・クロスやエディ・ジョブソンがその大役を依頼されていることも見逃せない。
キング・クリムゾン/U.S.A 


キング・クリムゾン
/クリムゾン・キングの宮殿




キング・クリムゾン/太陽と戦慄




キング・クリムゾン/レッド
ピンク・フロイド
[PINK FLOYD]
 
 1965年に、ロジャー・ウォーターズがリージェント・ストリート工芸学校で建築学を学ぶ仲間、ニック・メイスンとリック・ライト、そして高校時代からの友人ロジャー・キース・”シド”バレットを誘ってバンドを始めたのが、ピンク・フロイドの始まり。ピンク・フロイドという名前の由来は、ジョージア州出身の2人のブルース・シンガー、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの名前からとった。
 オリジナルメンバーは以下の通り。
    ・シド・バレット(ギター、ヴォーカル)
    ・ロジャー・ウォーターズ(ベース)
    ・リチャード・ライト(キーボード)
    ・ニック・メイスン(ドラムス)
 のちにリーダー格であったシド・バレットが病に倒れ、代替としてシドの友人でもあったデイブ・ギルモアをフランスから急遽呼び寄せる。バンドはそれでも苦境を乗り越え、さらなる転身を成し遂げていく。
 
プログレ四天王の中でも特にアルバム・タイトル、曲名、さらに歌詞に現代社会への風刺や皮肉を込めた曲が多いのが特徴。他の3つのバンドと比較して根底にブルース・ロックの源流があるが、曲構成や斬新さに引けを取らないばかりか、さらなる特徴は曲中にいろいろな楽器ではない音【例えば動物、風などの自然の音、お金、マシンなど】を取り入れることで、先程も述べた現代社会への皮肉や風刺を間接的であるが直接的とも捉えられる伝え方をリスナーにしてくる。その辺はアルバム『アニマルズ』や「マネー」という曲を聴くとすぐに分かるであろう。
 ライヴは壮大なスケールのステージで多くの仕掛けがある中で行われ、そのライヴ会場自体が一つのピンク・フロイド教という宗教集団の雰囲気に包み込まれていることは、このバンドに洗脳されたファン層の信仰度を垣間見ることができる。おそらくメンバーのほとんどが建築学科出身と言うことで、セットのほとんどは彼らによるデザインであったと思われるが、その採算を度外視したセット費用も彼らにとっては稼いだお金をそこに注ぎ込むことで、ある意味、音楽以上の欲求をそこで満たしていたのかもしれない。
 名盤は挙げるときりがないが、ビルボード誌の全米ポップチャート、アルバム部門のベスト100に、連続725週チャート・インという驚くべき記録を作った『狂気』をはじめ、『神秘』『ウマグマ』『原子心母』『おせっかい』そして多少ミーハー路線になった頃の『ザ・ウォール』 などがお勧め。
 現在は再結成するもシド脱退後のリーダー格、ロジャー・ウォーターズが参加していないため、いろいろと問題は大きい。
 
ピンク・フロイド/原始心母



ピンク・フロイド/狂気



ピンク・フロイド/アニマルズ



ピンク・フロイド
/おせっかい



ピンク・フロイド/ザ・ウォール
 ディープ・パープル
[DEEP PURPLE]
 1968年、”ラウンド・アバウト”というバンドが母体となって、そこにメンバー・チェンジでヴォーカルのロッド・エヴァンス、ドラムのイアンペイスが新規加入してバンド名を”ディープ・パープル”と改める。
 オリジナルメンバーは以下の通り。
  ・ロッド・エヴァンス(ヴォーカル)
  ・イアンペイス(ドラムス)
  ・リッチー・ブラックモア(ギター)
  ・ジョン・ロード(キーボード)
  ・ニック・シンパー(ベース)
 この第1期パープルは「ハッシュ」のヒットでいきなり順調な出だしとなるが、同時期にデビューした”レッド・ツェッペリン”に触発され、オーケストラとの共演をするなどクラシック的な要素が強かった思考をハード・ロック路線へと変更。
 この路線変更のために第2期パープルはヴォーカルのロッド・エヴァンス、ベースのニック・シンパー解雇し、替わりにイアン・ギラン(Vo)、ロジャー・グローバー(B)を加入させる。この第2期に作られたのが「イン・ロック」「ファイアー・ボール」「マシン・ヘッド」、そしてこれらの曲を元に行ったツアーの様子を収めた「ライヴ・イン・ジャパン」である。曲としても『スピード・キング』『チャイルド・イン・タイム』『ハイウェイ・スター』『スモーク・オン・ザ・ウォーター』など、後世に名を残す名曲がずらりと揃っている。私的にはこの第2期パープルが全盛期であったと思う。
 その後、メンバー間の不仲説など囁かれる中で、イアン・ギランとロジャー・グローヴァーが脱退。後任にデビッド・カヴァーデイル(Vo)、グレン・ヒューズ(B、Vo)を迎え第3期パープルが発足される。この第3期ではアルバム「紫の炎」が名盤として語り継がれ、名曲『バーン』『ミステリー・テッド』『ユー・フル・ノー・ワン』などが収録されるも、新メンバーとの音楽性の相違などからリッチー・ブラックモアが脱退。
 第4期は後任にトミー・ボーリン(G)を迎える。しかしながらアルバム「ラスト・コンサート」を聴いても分かるように、もうこのメンバーでのパープルの形は往年の頃とは全く姿形どころかパワーもテクニック違っており、特にドラッグに冒されたトミー・ボーリンのプレーはメチャクチャで、それに追随するかのようにベースのグレン・ヒューズも堕ちていった。結局、このようなことから1976年にディープ・パープルは解散する。
 しかし奇跡が起こり、1984年に黄金期であった第2期パープルのメンバーで再結成されるが、またしても音楽的な考え方の違いや不仲により、この後、再三に渡るメンバー・チェンジが繰り返され、ギタリストだけでもジョー・サトリアーニ、スティーヴ・モーズ、、ヴォーカルもイアン・ギランが出たり入ったり、その間、ジョー・リン・ターナーが歌ったり、最終的にはキーボードのジョン・ロードがとうとう脱退し、現在ではドン・エイリーが替わりを務めている。
 いずれにせよ話題性の多いバンドであるということは、それだけ知名度もあるからであり、今後もこのおじさんバンドの行方を温かく見守っていきたい気はする。
 おそらくリッチー・ブラックモアとジョン・ロードの影響からだと思うが、全体的にはソロを含めクラシック的要素の強いバンドであったような気がするが、それにも関わらずライヴでの全員の即興プレーはジャズのアドリブに通じるものがあった。
ディープ・パープル/イン・ロック




ディープ・パープル/マシン・ヘッド




ディープ・パープル/紫の炎




ディープ・パープル/嵐の使者




ディープ・パープル
/ライヴ・イン・ジャパン




ディープ・パープル
/ブラック・ナイト〜24カラット




ディープ・パープル
/メード・イン・ヨーロッパ




ディープ・パープル
/パーフェクト・ストレンジャーズ




ディープ・パープル
/ノーバディズ・パーフェクト




ディープ・パープル/紫の聖戦
レインボー
[RAINBOW]
 
 1975年、ディープ・パープルの音楽性における考え方の違いから脱退したギタリストのリッチー・ブラックモアが、かねてから自分の音楽性を追求したいという思いを胸に結成したバンド。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・リッチー・ブラックモア(ギター)
   ・ロニー・ジェイムズ・ディオ(ヴォーカル)
   ・クレイグ・グルーバー(ベース)
   ・ミッキー・リー・ソウル(キーボード)
   ・ゲイリー・ドリスコール(ドラムス)
 1作目のアルバム「銀嶺の覇者」から、リッチーがこだわったクラシック的(バロック的)な要素とロックを混在させた、美しくメロディアスな曲作りが目立ち、続く2作目の「虹を翔ける覇者」、3作目の「バビロンの城門」までその路線は続く。
 その2作目より早速メンバーチェンジが始まり、ベースにジミー・ベイン、キーボードにトニー・カレイ、そしてドラムスにコージー・パウエルが入る。2作目の「虹を翔ける覇者」は大曲が多く、曲中にはバロック調のギター・ソロやキーボード・ソロがふんだんに盛り込まれている。さらにコージーのツイン・バスも聴き応えがある。
 3作目の「バビロンの城門」は『ロング・リヴ・ロックン・ロール』『キル・ザ・キング』などの名曲が入っている。
 しかしこれ以降、リッチーがもう一つ課題としていた歌謡曲路線への挑戦が、さらなるメンバー・チェンジを引き起こす。
 ディープ・パープル時代より同じような考えを持っていたベースのロジャー・グローバーの起用、さらにキーボードにはドン・エイリー。この2人の加入で一気にポップ路線(歌謡曲路線)に加速していったことにヴォーカルのロニ・ジェームス・ディオが嫌気をさして脱退。後任にはグラハム・ボネットが加わる。
 このメンバーで制作された4作目の「ダウン・トゥ・アース」はまさに歌謡曲調と言って良いあまりにも急激なポップ路線への変化となり、賛否両論あったが、結果的には市場として成功を収める。それでもこの頃よりドラムスのコージーがやはり音楽性の急激な変化に不満を抱き脱退する。
 結局この後もドラムスはボブ・ロンディネリ→チャック・バーギ、ヴォーカルはグラハム・ボネット→ジョー・リン・ターナー→ドゥギー・ホワイト、キーボードはドン・エイリー→デイヴ・ロゼンサル→ポール・モリス、ベースもロジャー・グローバー→グレッグ・スミスと目まぐるしくメンバー・チェンジが繰り返される。
 4作目以降の実質のキーマンはロジャー・グローバーであったが、結果としてバンドのポップス化におけるメジャー制はその後の「アイ・サレンダー」「闇からの一撃」「ストリート・オブ・ドリームス」を見ても分かるように市場産業としては成功したのである。
 1984年に活動を休止し、リッチーはまたディープ・パープルの再結成に懲りずに参加するが、結局はすぐに脱退することとなり、1995年にレインボーを再結成するも、リッチー自身が年のせいか?はたまた若い奥さんをもらったせいか、バンド思考よりはアコースティック路線に今度はなびいていく。今後のリッチーの動きに関してはそれがレインボーの復活と関係してくるかは興味深いところであるが・・・。
レインボー/銀嶺の覇者




レインボー/虹を翔ける覇者




レインボー/バビロンの城門




レインボー/オン・ステージ




レインボー/ダウン・トゥ・アース




レインボー/アイ・サレンダー




レインボー/闇からの一撃




レインボー
/ストリート・オブ・ドリームス
レッド・ツェッペリン
[LED ZEPPELIN]
 
 1968年、ブリティッシュ3大ギタリストを生んだヤード・バーズ(後のレッド・ツェッペリン)の最後のギタリスト、ジミー・ペイジがヤード・バーズの分解に直面し、新ヴォーカリストを捜していたとき、ホブスト・フィールドというバンドで歌っていたプラントの歌声を聴き、即座に加入を求め、そこへプラントの紹介でドラムのジョン・ボーナムも加入。ベースのジョン・ポール・ジョーンズは以前よりセッション・ミュージシャンとして親交がありすでに確保されていた。この当初は新生ヤード・バーズと呼ばれていたバンドが、バンド名改めレッド・ツェッペリンとなる。
 ライヴだけでなくスタジオ録音でもミスが多いとけなす者もいるが、当時よく比較されたディープ・パープルとは完全に相反するものを持ち備えたバンド。
 4人の個性はそれぞれがバラバラなようで実に上手くマッチしており、ジャンルに囚われず幅広い音楽をバンドに取り入れようとした実にユニークかつ斬新的な発想を持つギターのジミー・ペイジ、陰でツェッペリンの音楽性を支えてきた一見地味なベース兼キーボード・プレーヤーのジョン・ポール・ジョーンズ、誰にもまねをすることができない重厚でパワーとドライブ感のある音を出すドラマーのジョン・ボーナム、そして絶叫型でありながらも甘く、高音域に渡って発声するヴォーカルのロバート・プラント。このスーパー・プレーヤーが織りなすライヴは圧巻である。
 ハード・ロックの分野に分類されるも、全アルバムを聴いていただくと分かるが、上述したように非常に多くの分野の音楽を取り入れ、民族音楽風な曲なども、ミス・マッチにならないように自分たち流に上手くアレンジしてしまっている。要するにあらゆる分野の曲を自分たち流に作曲・演奏できたことになる。
 言わずと知れず代表曲は『天国への階段』であるが、この曲を支持する人はロック界に限らずクラシック界などからも絶賛を浴びている。
 解散のきっかけとなったのは、ドラムスのジョン・ボーナムが泥酔の末、汚物を喉に詰まらせて死亡したこととされているが、それが1980年であった。
 以来、『天国への階段』は2度と演奏されないと言われているが、果たしてその封印が解かれるときは来るのであろうか・・・。
レッド・ツェッペリン/T


レッド・ツェッペリン/U


レッド・ツェッペリン/V


レッド・ツェッペリン/W


レッド・ツェッペリン/聖なる館


レッド・ツェッペリン
/フィジカル・グラフィティ


レッド・ツェッペリン/プレゼンス


レッド・ツェッペリン/永遠の詩
  (ビデオ・映画化
       「狂熱のライヴ」)


レッド・ツェッペリン
/イン・スルー・ジ・アウト・ドア


レッド・ツェッペリン
/最終楽章(コーダ)
ポリス
[POLICE]
 1977年結成。ポリスはプログレ思考のドラマー、スチュワート・コープランドがまずは新しいバンド作りのためにスティングを誘うが、スティングの条件はジャズ的センスを持つレゲエ・ロックを弾けるギタリストがいることが条件であった。いろいろなライヴ・ハウスを見ていく中で目に付いたギタリストがアンディ・サマーズであった。この3人によって強力なスーパー・レゲエ・ロック・バンド、ポリスが出来上がり、ファーストアルバムよりその快進撃が活動休止まで続く。
 結成当時、私はまだ高校生であったが、ラジオから流れてきた彼らの曲を初めて聴いて「すごい!」「今まで聴いたことがないロック!」という2つの強烈なインパクトが今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。そしてアナウンサーが「3人で演奏している」というのを聞いてさらにおったまげた!
 この3人の個性とテクニックはまさにこのポリスを結成するために必要とされ、またこの3人だからこそこれだけの演奏ができたと言うことにもなる。誰1人欠けても当然この音楽はできないが、あえて1人のキーマンをあげるならばやはりドラムのスチュワート・コープランドであろうか。なざならばあの軽快でドライブ感あるドラム・ワークと、特にハイハットを多用した細かなパラティドルのようなレゲエ調のリズムの取り方は、もしあれが他のドラマーであったならばこのポリスの音源もここまで斬新なレゲエ・ロックにはならなかったと推測する。
 1983年以降は活動を停止し、それぞれがソロや自身のバンドを結成して現在も活動を続けている模様。
ポリス/アウトランドス・ダムール



ポリス/白いレガッタ



ポリス/ゼニヤッタ・モンダッタ



ポリス/ゴースト・イン・ザ・マシーン



ポリス/シンクロニシティー



ポリス/LIVE
トト
[TOTO]
 1978年に若手スタジオ・ミュージシャンを中心に結成されたアメリカのロックバンド。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・デヴィッド・ハンゲイト(ベース)
   ・ボビー・キンボール(ヴォーカル)
   ・スティーヴ・ルカサ(ギター、ヴォーカル)
   ・デヴィッド・ペイチ(キーボード、ヴォーカル)
   ・スティーヴ・ポーカロ(キーボード、ヴォーカル)
   ・ジェフ・ポーカロ(ドラムス、パーカッション)
 以上の名前を聞いてびっくりする人はなかなか音楽通の人。これらのメンバーによってどれだけの日本人歌手やプレーヤーがわざわざロスまで行ってスタジオ録音したことか。
 一人ひとりの卓越したテクニックは言うまでもなく、超絶技巧とまで言った方がよいかもしれない。
 ジャンルはロックであるが、結果的には幅広くどんな音楽でもお茶の子さいさいでやってしまう。特にスティーヴ・ルカサやジェフ・ポーカロはジャズやフュージョンの分野までセッションを多くの著名なミュージシャンたちとこなしており、アルバムも多く残している。
 ヒット曲も数多く『アフリカ』『ロザーナ』などは私から言わせるとミーハー路線かはたまた歌謡曲か・・・。グラミー賞も受賞している。
 他のバンドに比べるとそれほどもめごとが多い?バンドとは思わないが(一時、ポーカロ兄弟に牛耳られているという話もあったが)、それでもメンバー・チェンジは数度に渡ってあった。
 最も大きなメンバー・チェンジは天才ドラマー、ジェフ・ポーカロ(シャッフルの天才児)が農薬散布中に不慮の事故で死亡し、その後任となったサイモン・フィリップスだが、彼のテクニックもジェフに劣らず物凄い。一番出入りが多いのがヴォーカルだが、ファーギー・フレデリクセン→ジョセフ・ウィリアムズ(ジョン・ウィリアムズの息子)→ジャン・ミシェル・バイロン。現在は一度脱退したボビー・キンボールが再加入。そしてベースがポーカロ兄弟のマイク・ポーカロ。また新たにキーボードを1人増やしグレッグ・フィリンゲインズが2005年に加入している。
 メンバー紹介の通り、ヴォーカリストがいるにも関わらず、誰もが演奏しながら歌うことができる凄い人たちなので、今までの曲の半分前後は専属ヴォーカル以外が歌っているケースが目立つ。
 とにかく器用で驚異的なテクニックを持ったプレーヤーの集まりであることには間違いない。
TOTO/宇宙の騎士


TOTO/ハイドラ


TOTO/ターン・バック


TOTO/聖なる剣


TOTO/アイソレーション


TOTO/ファーレンハイト


TOTO/ザ・セブンス・ワン


TOTO
/キングダム・オブ・デザイア


TOTO/マインド・フィールズ


TOTO/アブソルートリー・ライヴ


TOTO/ライヴ・フィールズ


TOTO
/ライヴ・イン・アムステルダム
イーグルス
[EAGLES]
 1971年にリンダ・ロンシュタットのバック・バンドとして集まったメンバーが中心となって結成される。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・グレン・フライ(ギター、キーボード、ヴォーカル)
   ・ドン・ヘンリー(ドラムス、ヴォーカル)
   ・ランディ・マイズナー(ベース、ヴォーカル)
   ・バーニー・レドン(ギター、ヴォーカル等弦楽器類)
 一般的にはウェスト・コースと・サウンドとしての位置付けだが、後半になるに従ってハード・ロック的要素が強まってくる。しかし基本的には曲調はスローなバラードものと軽快で乗りの良いロック系のものが多く、両者のバランスを良く計算して曲作りがされている印象が強い。またほぼ全ての曲においてコーラス(ハーモニー)を重要視しており、全員がリード・ヴォーカルを取れるほどのメンバーの強みでもある。
 さらに大きな特徴としては歌詞である。代表作『ホテル・カリフォルニア』にも見られるように、非常に哲学的で社会風刺を込めた歌詞が他の曲にも目立つ。これは当時60年〜70年代にかけてのアメリカ社会や世界的な世論の移り変わり、現象を表現せずにはおられなかったという彼らの主張でもあり、特にベトナム戦争がその背景にあったことは否定できないであろう。曲の美しさや乗りの良さだけでなく、このような歌詞の内容がファンを魅了した材料の一つであると言っても過言ではないと思う。
 一度は1981年に活動を停止するが、1994年に再結成され日本にも何度か公演に来ている。
 他のバンド同様メンバー・チェンジを繰り返しながら、結果的にはアメリカン・ロックの王道を突き進んでいくこととなるが、そう言った意味では商業ロックとして分類されても仕方ない面もあるであろう。
 3作目よりドン・フェルダー(ギター・ヴォーカル)を加えるが、このことにより事実上バーニー・レドンが追い出される形となった。しかしバンドの形態としてはギターやヴォーカルを多く重ねた厚みのあるサウンドがほしかっただけに、直ぐさまジョー・ウォルシュ(ギター、キーボード、ヴォーカル)を加える。またベースのランディ・マイズナーも1978年に脱退、後任にティモシー・シュミットを加える。
 しかしこれだけ大所帯のバンドで、尚かつ実権はドン・ヘンリーとグレン・フライが握っていたにもかかわらず、最低限のメンバーチェンジで済んでいるように思う。

イーグルス/ファースト




イーグルス/ならず者




イーグルス/オン・ザ・ボーダー




イーグルス/呪われた夜




イーグルス/ホテル・カリフォルニア




イーグルス/ロング・ラン
10 エアロスミス
[AEROSMITH]
 1970年にヴォーカルのスティーヴン・タイラー、ギターのジョー・ペリーを中心に結成されたハード・ロック・バンド。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・スティーヴン・タイラー(ヴォーカル、ハーモニカ)
   ・ジョー・ペリー(ギター)
   ・レイモンド・タバーノ (ギター)
   ・トム・ハミルトン(ベース)
   ・ジョーイ・クレイマー(ドラムス)
 ただし実質はデビュー前にギターのレイモンド・タバーノはブラッド・ウィットフォードと交替している。
 泥臭いハード・ロックと言って良いのだろうか。ブルース的な要素も兼ね備えたバンドであると思うが、やはりどの曲を聴いても比較的重たく泥臭いという表現が似合う。個人的には特に有名になった曲などではギターのバッキングに特徴を感じる。もちろんヴォーカルのスティーヴン・タイラーの口の大きさはインパクトが強い。
 デビュー以降はある程度順調なスタートを切っていくが、途中でメンバーのドラッグ問題や人間関係などで低迷していく。このパターンだとそのまま堕ちていくことも多いのだが、このバンドの凄いところはその問題を解決すべくまた80年代後半より復活し、現在もばりばりの現役として活躍するだけでなく、世界中を駆けめぐってライヴ活動も精力的に行っている。
 『ウォーク・ディス・ウェイ』『バック・イン・ザ・サドル』『ドリーム・オン』などが代表曲。
 また映画「アルマゲドン」(タイラーの娘リブ・タイラーが出演)のテーマ曲を担当し、新たなファン層を獲得。ある時期を境にスティーヴン・タイラーの歌い方もラップ的な要素が入ってくるなど、商業路線を意識していることに一部には不評説もあるが”ロック界の君臨”という言葉を付けられるほどの実力派バンドなので、それもある意味売れすぎの皮肉と取れるかも・・・。
エアロスミス/野獣生誕


エアロスミス/飛べ、エアロスミス


エアロスミス/闇夜のヘヴィ・ロック


エアロスミス/ロックス


エアロスミス/ドロー・ザ・ライン


エアロスミス/ナイト・イン・ザ・ラッツ


エアロスミス/パンプ


エアロスミス/ゲット・ア・グリップ


エアロスミス/ナイン・ライヴス


エアロスミス/ライヴ・クラシックス


エアロスミス/ライヴ・クラシックス U
11 ヴァン・ヘイレン
[VAN HALEN]
 1978年デビュー。名前の通りエドワード・ヴァン・ヘイレン(弟、ギター)、アレックス・ヴァン・ヘイレン(兄、ドラムス)の兄弟が中心となって結成されたバンド。しかしバンド名は何度も変名。今の名前になったのはヴォーカルのデヴィッド・リー・ロスとベースのマイケル・アンソニーを加えてから1975年頃より使用。現在までヴォーカルのみメンバー・チェンジを繰り返す。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・エドワード・ヴァン・ヘイレン
    (ギター、キーボード、ヴォーカル)
   ・アレックス・ヴァン・ヘイレン(ドラムス)
   ・デヴィッド・リー・ロス(ヴォーカル)
   ・マイケル・アンソニー(ベース、ヴォーカル)
 エドワードのギター・テクニックは、デビュー当時からライト・ハンド奏法、ハンマリング・オン、プリング・オフを多用する度肝を抜かれるようなプレーの連続であった。これらの奏法は今でこそ多くのギタリストが行うが、当時としては驚異的であり、さらに驚くことに当初はドラマーを目指しており、逆に兄がギターを演奏する予定だったというのも面白い話だ。
 兄のドラム・プレーは正直、高く評価されていないが、その理由は特にライヴでのリズムの乱れにあり、今となっては格段の進歩を遂げ、ツー・バスまで踏めるようになっているが、それでもリズム・キーパーは実はベースのマイケルであるという見方が強い。
 ドラムの音質もバンドの特徴と言えば特徴だが、タムやバスドラの張り方がテンションが高く、今一つ重みを感じないのと同時に、そうかと言ってハイハット、シンバル・ワークも曲にもよるが全体的に単調で私は聴き慣れるまでに時間がかかった。
 しかしながらバンド全体としてのまとまりや特徴はファースト・アルバムより色濃く出て、曲の完成度も当初から高かった。それにプラスしてやはりこのバンドの看板であるエドワードのギター・プレイが常に光っていたので快進撃に陰りはなかった。このバンドが最初はマイナー・レーベルからしか契約が来なかったと言うのだから信じられない。最たる恩人は実はキッスのベーシスト、ジーン・シモンズが早々とこのバンドの才能を見抜き、デモ・テープ制作などにだいぶ援助をしてくれたらしい。
 問題の多いヴォーカル陣であるが、野獣的なデヴィッド・リー・ロスの歌い方やパフォーマンスに多くのファンも多いのだが、その後、メンバー・チェンジで加入するサミー・ヘイガーへの評価の方が一般的には高い。その理由は2つあり、まずは音域の問題。デヴィッドとサミーを比べると、その音域は圧倒的にサミーの方が幅広く、そのためにサミー加入後はエドワードの作曲もかなり束縛が少なくなり、思うように作曲できるようになったという。さらにもう一つの理由はサミーのギター・テクニックである。専属のキーボードのいないこのバンドはライヴではどうしてもエドワードがキーボードを弾かざるを得なかった。名曲『ジャンプ』がその典型。そのためにエドワードは思うようにギターを弾けなくなっていたが、それをカヴァーするがごとくサミーのギター・テクニックは十分なものであった。
 バンド全体としてはアルバムを出すに連れポップス路線となり、サミー加入後益々それが強くなる。キーボードの使い方がある意味曲調を大きく変化させたのかもしれない。曲の完成度はもちろん高くなり、今まで以上に一般受けをするようになるが、私個人はやはり荒削りであったかもしれないけど、初期の頃の単純な編成と攻撃的な曲作りが今でも痛烈な印象として残っている。
 サミー以外にも短命ではあったがゲイリー・シェローンがヴォーカルを約3年ほど務めた時期があった。
ヴァン・ヘイレン/炎の導火線



ヴァン・ヘイレン/伝説の爆撃機



ヴァン・ヘイレン/暗黒の掟



ヴァン・ヘイレン/戒厳令



ヴァン・ヘイレン/ダイヴァー・ダウン



ヴァン・ヘイレン/1984



ヴァン・ヘイレン/5150



ヴァン・ヘイレン/OU812



ヴァン・ヘイレン/F@U#C%K



ヴァン・ヘイレン
/ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ



ヴァン・ヘイレン/バランス
12 クイーン
[QUEEN]
 1973年より活動を開始。クイーンはギターのブライアン・メイとドラムのロジャー・テイラーが学生時代より作っていたバンドに、後任のヴォーカリストとしてフレディを引っ張り込み、さらに最後にベースのジョン・ディーコンが加入して出来上がる。
 当初、フレディのルックスについてはかなりの不評説が流れ、バンドとしてもあまりパッとしなかったが(しかしドラムス担当のロジャー・テイラーはルックスに定評がある)、日本公演を機に一気に世界中にヒットすることとなる。彼らにとって生涯日本は忘れられない国となった。
 このバンドの大きな特徴としては、コーラスやアカペラなど声楽に対して非常に執着した曲作りをしており、その典型が『ボヘミアン・ラプソディ』と言えるであろう。
 またギターのブライアン・メイがハンド・メイドのギターを使用していることは有名だが、これがさらにクイーンのバンドの音質を特徴づけるものとなっている。アルバムを聴いてもらうと分かるように、他のどのギター・プレイヤーの音色とも違い、独特なこもった音質にディストーションをかけて、しかもライヴでのパフォーマンスはピックがコインとお決まりであった。
 日本では近年クイーンの曲を使ったドラマやコマーシャルが増え、新たな次世代のファン層が第2次ブームを引き起こしているが、世界的にも『ウィ・ウィル・ロック・ユー』『伝説のチャンピオン』などが大ヒットし、ミュージカルにも『ウィ・ウィル・ロック・ユー』が誕生した。
 1991年、ヴォーカルのフレディ・マーキュリーがエイズによる合併症でカリニ肺炎にかかり死亡し、その後の活動について懸念されていたが、解散はせず2005年に後任のヴォーカリストとして、元フリーやバッド・カンパニーのヴォーカリストであったポール・ロジャースを迎え、新生クイーンとして活動することを正式に発表した。
クイーン/戦慄の王女



クイーン/シアー・ハート・アタック



クイーン/オペラ座の夜



クイーン/世界に捧ぐ



クイーン/ライヴ・キラーズ



クイーン/ザ・ゲーム



クイーン/メイド・イン・ヘヴン



クイーン/グレイテスト・ヒッツ
13 アイアン・メイデン
[IRON MAIDEN]
 1980年、デビュー。ベースのシティーヴ・ハリスによって作られたヘヴィ・メタル・バンド。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・ポール・ディアノ (ヴォーカル)
   ・デイヴ・マレイ (ギター)
   ・デニス・ストラットン(ギター)
   ・スティーヴ・ハリス(ベース)
   ・クライブ・バー(ドラムス)
 何が一番インパクトが強いかというと、このバンドのアルバムのジャケット。全てがホラー的なジャケットで最初は何を考えているのかと思った。しかしそのうちにこのバンドが目指すことややりたいことがわかりはじめ、今ではジャケットもある意味このバンドのシンボルではないだろうか。
 曲調が日本人受けをするような、外国の演歌的なフレーズがツイン・リード・ギターでメロディアスかつハーモニックに演奏され、今ではそれをメイデン節と誰かが名付けたようだが、まさにこのバンドのカラーがそう言う観点で出来上がっている。
 聴き始めは”ださい”とか”くさい”というフレーズに少々戸惑う時期もあるだろうが、それを乗り越えるとこのフレーズが癖になるのが不思議だ。
 取り立ててそれ以外は大きな特徴はないものの、日本を含め、諸外国においても根強いファン層が未だに後を絶たない。
 このバンドもどちらかというと結構メンバー・チェンジを頻繁に繰り返している様子がある。
 ギターは、デニス・ストラットン→エイドリアン・スミス→ヤニック・ガーズ。ヴォーカルは、ポール・ディアノ→ブルース・ディッキンソン→ブレイズ・ベイリー→ブルース・ディッキンソン 。ドラムスは、クライブ・バー →ニコ・マクブレイン。
アイアン・メイデン/鋼鉄の処女





アイアン・メイデン/キラーズ





アイアン・メイデン/頭脳改革





アイアン・メイデン/パワー・スレイヴ





アイアン・メイデン/死霊復活
14 ジューダス・プリースト
[JUDAS PRIEST]
 1969年結成。息の長いヘヴィ・メタルバンドとして知られる。特に初代ヴォーカリストのロブ・ハルフォード(と言っても一時的な脱退で現在は復帰)の5オクターブも出る驚異的な音域はこのバンドの目玉。さらにツイン・リード・ギターによるソロやバッキングもこのバンドの看板。さらにさらにドラムスがツー・バスを踏むサイモン・フィリップス、レス・ビンクスなど、当時としてはあまり類を見ないバンド編成だったのも魅力の一つだった。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・ロブ・ハルフォード(ヴォーカル)
   ・グレン・ティプトン(ギター)
   ・ケン・ケネス・ダウニング【K.K.ダウニング】(ギター)
   ・イアン・ヒル(ベース)
   ・ジョン・フィンチ(ドラムス)
 アルバムを重ねるごとにヘヴィさやテクニック、曲構成などが格段とアップしていくが、唯一難点を述べるとすれば歌詞がダサい。と言っても当時のハード・ロック、ヘヴィ・メタルにありがちであったが、演奏や曲調を重視する反面、歌詞の内容についてはとりあえず後からくっつけたようなものであったり、歌詞が先行したとしても結局は各楽器の演奏を重要視する傾向があったと思われる。つまり曲の格好良さや場合によってはステージングの見栄えがよければそれで良かったのかもしれない。
 上述したように息の長いバンドであるが、その割にはメンバーチェンジが少なく済んでおり、ドラムスだけが目まぐるしくチェンジされている。ジョン・フィンチ→アラン・ムーア→サイモン・フィリップス→レス・ビンクス→デイヴ・ホーランド→スコット・トラヴィス。
 また1990年に脱退したヴォーカルのロブ・ハルフォードが2003年に復帰するまでは、ティム"リッパー"オーエンズが代役を務めていたが、ロブほどの好評かを得られず、結果としてはプリーストが衰退して行った時期かもしれない。
 私が聴き入った時期は初期のプリーストで、個人的には「ステンド・グラス」「殺人機械」そしてライヴ版の「イン・ザ・イースト」が好みだが、その後発表された「復讐の叫び」「背徳の掟」「ペイン・キラー」がヘヴィメタ界では大傑作と言われている。
ジューダス・プリースト
/運命の翼


ジューダス・プリースト
/背信の門


ジューダス・プリースト
/ステンド・グラス


ジューダス・プリースト
/殺人機械


ジューダス・プリースト
/イン・ザ・イースト


ジューダス・プリースト
/ブリティッシュ・スティール


ジューダス・プリースト
/復讐の叫び


ジューダス・プリースト
/背徳の掟


ジューダス・プリースト
/ターボ


ジューダス・プリースト
/ペイン・キラー


ジューダス・プリースト
/プリースト・ライヴ
15 U2  1980年デビュー。アイルランド出身のロック・バンド。反戦や平和、人類愛、政治的メッセージなどを歌詞に多く取り上げた反社会派バンド。しかしアナーキズムとは違い、はっきりとしたメッセージ性を常に世論に投げかけている。1987年にリリースしたアルバム「ヨシュア・トゥリー」が全世界で大ヒット。2000万枚以上を売り上げる。
 基本的にメンバー・チェンジは行っていない。
   ・ボーノ(ヴォーカル、ギター)
   ・ジ・エッジ(ギター、コーラス)
   ・アダム・クレイトン(ベース)
   ・ラリー・マレン・ジュニア(ドラムス)
 曲調は彼らの思想も関係していると思われるが、特に前期からマイナー系で攻撃的な曲が多く、「ニュー・イヤーズ・デイ」のようにベース・ラインに特徴を見出す曲も少なくない。またドラムも曲によっては個性的な叩き方をしており、「サムデイ・ブラディ・サンデイ」などがそれに当てはまる。さらにギターにおいてはディストーション系ばかりかと思えば、透明感のあるディレイを利かせた弾き方も駆使することもしばしば。
 全体的に曲想自体に4人の個性が上手く融合してこのバンドの特徴は大いに出ているが、それにしてもやはりこのバンドを取り上げないわけにいかない理由は思想的な面である。音楽でも美術でも政治や社会と戦っていく姿勢は常に芸術家として失いたくない。このバンドの背景にあるものはやはりアイルランドとイギリスにおける歴史である。
 しかし残念なことに近年プロデューサーによる指示かどうかは分からないが、商業ロックに走っていく傾向があり、シンセ・ポップと呼ばれるジャンル?に転向していくが、初期や中期の頃のファンからすると、90年代以降はただのテクノ、ディスコ調としか取れない2番煎じのような曲調で”どうしてここまで変わってしまったか・・・?”という印象の方が強い。儲けすぎてしまったのだろうか・・・。
U2/ボーイ





U2/WAR(闘)





U2/焔





U2/ヨシュア・トゥリー





U2/魂の叫び





U2/ズーロパ
16 ローリング・ストーンズ
[ROLLING STONES]
 1962年デビュー。今でもブルース・ロックを基調とした現役バリバリのおじさんバンド。結成に当たってはことごとくヴォーカルのミック・ジャガーに説得されてオリジナル・メンバーが以下のように集まる。
   ・ミック・ジャガー(ヴォーカル)
   ・キース・リチャーズ(ギター、ヴォーカル)
   ・ブライアン・ジョーンズ(ギター、パーカッションなど)
   ・ビル・ワイマン(ベース)
   ・チャーリー・ワッツ(ドラムス)
 デビュー以来、ドラッグやメンバーの人間関係などで多少の浮き沈みやトラブルはあったものの、比較的スムーズにその地位を獲得し、常にビートルズの対抗馬として不良派?ロック・グループと言われ続けてきた。時にはビートルズを押さえて全英1位になることもしばしば。そのビートルズが解散してからは敵なしとまで言われるほどのスーパー・グループと言っても過言ではないであろう。
 泥臭いブルース、R&Bを基調とした曲作りは最初は英国内だけでしか評価されなかったが、名曲『サディスファクション』で一気に全米を揺るがすこととなり、結果的にこれを機会に世界的な知名度をあげていくこととなる。
 ミックが作ったバンドではあったが、実質のリーダーはブライアンで彼の存在は大きかった。しかしそのブライアンがドラッグに溺れてメンバーから解雇され(その後、自宅のプールで変死)、その替わりにミック・テイラーが加わる。結果としてミック・テイラーの音楽性はバンドによい影響を与え、この時期がストーンズの全盛期であると言う人も少なくない。
 しかしこのテーラーも皮肉なことにドラッグに溺れ脱退する。後任にはジェフ・ベックの名前もあがったらしいが最終的にはロン・ウッドが加入する。またこのロンの加入がこれはこれでプラスに働き、アルバム「ミス・ユー」に見られるようなディスコ調の曲調が新たなファン層を拡大することとなった。
 80年代に入ってからは、儲けすぎてしまったのか、はたまたやるだけのことをやりつくしてしまったのか、ほとんどアルバム制作をしなくなり、その分、ライヴ活動を精力的に行うようになってきた。そのような背景からか93年にはオリジナル・メンバーのビルも脱退してしまう。ビル脱退後はジャズ系ベーシストのダリル・ジョーンズを頻繁にライヴでは起用している。
 時代のせいにしたくない、あるいはしてはいけないとよく言われるが、ストーンズの歴史はまさにその時代、その時代を適切に表現してきたように思う。
 メンバーのキースは皮肉に取ったようだが、2003年にミックだけが?英国からナイトの称号をもらったが、そんなもの受け取るようじゃあ・・・というコメントが反骨精神をのぞかせてくれて少し嬉しかった。
ローリング・ストーンズ
/ザ・ローリング・ストーンズ


ローリング・ストーンズ
/アウト・オブ・アウア・ヘッズ


ローリング・ストーンズ
/ベガーズ・バンケット


ローリング・ストーンズ
/レット・イット・ビリード


ローリング・ストーンズ
/スティッキー・フィンガーズ


ローリング・ストーンズ
/メイン・ストリートのならず者


ローリング・ストーンズ
/イッツ・オンリー・ロックン・ロール


ローリング・ストーンズ
/ラヴ・ユー・ライヴ


ローリング・ストーンズ
/エモーショナル・レスキュー


ローリング・ストーンズ
/刺青の男


ローリング・ストーンズ
/アンダー・カヴァー


ローリング・ストーンズ
/ダーティー・ワーク


ローリング・ストーンズ
/フラッシュ・ポイント
17 パワー・ステーション
[POWER STATION]
 1984年頃、結成の話が持ち上がる。きっかけはデュラン・デュランのベーシスト、ジョン・テイラーが、あまりにも商業ロック化していくバンドの在り方、バンドをアイドル化しようとするプロデューサーとの意見の食い違いから、以前よりソウルフルでファンキーなロック・バンドを結成したいという考えのもと、同メンバーのギタリスト、アンディ・テイラーを誘って別プロジェクトを考案しようと企んでいたことが現実となる。
 このファンキーさをさらに現実にするためにはどうしてもファンキーかつソウルフルでタイトなドラムを叩く人材がほしく、元シックのドラマーであったトニー・トンプソンを手に入れる。そして最終的に英国内でソウル・ミュージックを流行らせたヴォーカリスト、ロバート・パーマーを加入させることでここに前代未聞の新しいジャンルのスーパー・バンドが結成された。
 まさにジョン・テイラーが望んでいたソウルフル、ファンキー、ハードさが融合されたこのバンドはいきなり大ヒット曲『サム・ライク・イット・ホット』を引っさげて衝撃的なデビューを飾る。私もこの曲を聴いたときには度肝を抜かれ、なぜか”やられたあ!”という感じを持ったことを今でも忘れない。またカヴァー曲ではあったが『ゲット・イット・オン』も彼らなりのアレンジで十分楽しめるものだった。
 しかし、このプロジェクトは残念なことにもともと1枚のアルバム制作のために作られたバンドであったため、もうその音を2度と聴くことができなくなってしまった。
 実はその後、ジョン・テイラー抜きで再結成を試みるが、もうあの1作目のような独特のサウンドを求めることはできなかった。
 そしてもう一度あの音をと!と思ったファン(私もだが)にとって致命的なニュースは偶然にも2003年にヴォーカルのロバート・パーマーが心臓発作、ドラムスのトニー・トンプソンが癌で亡くなり、さらにこのバンドの最も偉大な陰の貢献者であるプロデューサーのバーナード・エドワーズ(やはり元シックのベーシスト)までもがこの2人よりも先に他界していた。
 と言うことは、どんなにオリジナル・メンバーでの再結成を切望しても、もう2度とそれはできないということなのである。
パワー・ステーション
/ザ・パワー・ステーション

18 クリーム
[CREAM]
 1966〜1969年に活躍した短命なトリオのバンド。しかしながらその伝説は今も語り継がれている。
 終始、以下のメンバーで活動。
   ・エリック・クラプトン(ギター、ヴォーカル)
   ・ジャック・ブルース(ベース、ヴォーカル)
   ・ジンジャー・ベイカー(ドラムス)
 短命なバンドだけにアルバムはライヴ版も含めて10枚に満たない。しかしその数枚のアルバムの中に名曲が凝縮されている。
 ブルース・ロックを基調とし,そこにジャズの即興性をプラスした当時としては新しい形のロック、ブルース系バンド。結果的にその後のハード・ロックに多大なる影響を与えることとなる。
 スーパー・グループでいつしかビートルズに唯一対抗できるバンドとも囁かれたにもかかわらず短命で終わってしまった理由は、良くありがちな人間関係、特にジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーはかなりの不仲であったらしい。そういうクラプトンもクリーム以前にはあのヤード・バーズ初代ギタリストとして活躍していたにもかかわらず、やはりそこを意見の不一致から脱退。ほぼ直後にクリームを結成している。良く言えば?個性の強い3人であったのだろう。
 それにしても数枚のアルバムではあるが名曲は数知れない。「サンシャイン・オブ・ユアー・ラヴ」「クロス・ロード」「ホワイト・ルーム」。 またライヴでは前述した即興演奏が炸裂し、スタジオ録音の数倍の長さに渡る演奏もしばしばであった。そう言った意味ではライヴ版が最もお勧めのアルバムであり、逆を言うと彼らが最もやりたかった演奏と言うことにもなるであろう。

クリーム/フレッシュ・クリーム



クリーム/カラフル・クリーム



クリーム
/クリームの素晴らしき世界



クリーム/グッバイ・クリーム



クリーム/ライヴ・クリーム



クリーム/ライヴ・クリーム Vol.2
19 U.K.  1978年にこのスーパー・バンド、U.K.の結成についてはマスコミより発表されている。短命なバンドであったが(実際の活動は2〜3年)、私個人はプログレ・ロックとしても商業ロックとしても高く評価している。なんと言っても各メンバーの技術はもちろん、顔ぶれだけでも恐れ入る。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・アラン・ホールズワース(ギター)
   ・ビル・ブラフォード(ドラムス、パーカッション)
   ・ジョン・ウェットン(ベース、ヴォーカル)
   ・エディ・ジョブソン(キーボード、ヴァイオリン)
 そもそもの結成のきっかけは1976年に遡る。ジョン・ウェットンがEL&Pを越えるような3人編成のプログレ・バンドを作ろうと試みるが、ビル・ブラフォードの獲得まではうまくいくものの、当初、元イエスのリック・ウェイクマン(Key)を引っ張り込もうとするが失敗。そうこうしているうちに以前から付き合いのあったエディ・ジョブソンが加入し、ようやくリハーサルに入るが、そこでどうしてもギタリストの必要性を感じ、ソロで活躍していたアラン・ホールズワースを最終的に加入させてU.K.が誕生する。
 このオリジナル・メンバーでの録音は1作目の「U.K.」だけとなるが、ファンの期待通りのアルバムだった。プログレのトップを行くプレーヤーの集まりだけに、何か物凄いことをやってくれるのでは?という見方が大変強かったと思うが、それを見事にクリアした名盤となった。プログレ・ロックにありがちな変拍子はもちろん、1曲目の『イン・ザ・デッド・オブ・ナイト』は4人全てが絶妙なからみを見せる。7/4拍子に乗せたビルの天才的なドラムワーク、そこにアランの非の打ち所のないソロ、そしてそれらをさらに支えるエディとジョンの的確なバッキング。
 この超絶技巧のプレーヤーの演奏が2作目以降も延々と続けばと言う期待とは裏腹に、結果的にその後エイジアを結成するジョンのロック的思考と、ビル、アランのジャズ的思考の食い違いが即座にビル・アランの脱退につながる。後任にはドラマーのテリー・ボジオが加入しただけで、結局はジョンが当初目指していた3人編成のトリオで2作目のアルバム「デインジャー・マネー」を制作することとなる。
 そして最後のアルバムが日本公演のライヴの様子を収めた「ナイト・アフター・ナイト」ということになる。ちなみにこのアルバム・タイトルともなっている『ナイト・アフター・ナイト』は来日する際の飛行機の中で作曲されたと聞いている。
 結局、テクニックがある者が集まっても個性がぶつかり合ってしまい、なかなかうまくいかないという良くあるパターンの代表例となってしまったバンドであった。今あってもスーパー・バンドだと思うのだが・・・。もったいない・・・。
U.K./U.K.








U.K./デインジャー・マネー









U.K./ナイト・アフター・ナイト
20 キッス
[KISS]
 1972年結成。デビュー当時よりメンバー全員がメイクし、派手なマッド・マックス(映画)のような衣装で演奏していることが有名だった。メイクもよく見ると時代と共に少しずつ洗練されたメイクに変わってきている。
 オリジナルメンバーは以下の通り。
   ・ポール・スタンレー (ヴォーカル、リズムギター)
   ・ジーン・シモンズ (ベース、ヴォーカル)
   ・エース・フレーリー (リード・ギター、ヴォーカル)
   ・ピーター・クリス (ドラムス、ヴォーカル)
 メイン・ヴォーカルはポール・スンレーだが、他の全員のメンバーもリード・ヴォーカルを取ることが多く、それぞれのヴォーカル曲がヒットしたこともある。
 バンドの特徴はやはりメイクであるが、それ以外にはステージングで見せるパフォーマンスが凄い。特にジーン・シモンズは火を噴いたり、血糊を吐いたり、ギターを壊したり・・・。またピーター・クリスのドラム・セットもタムだけで10個以上ついており、今でもあれだけ大所帯なドラム・セットを持ち歩くドラマーは少ないであろう。曲に合わせて火薬を仕掛けて爆発させることもしばしば(花火みたいなもの)。
 所謂、商業ロックを地でいったバンドだけに賛否両論多く、ファン層も大人よりは子どもの方が多かったという説もあり、また曲調もちょうどロック・キッズが覚えやすくコピーしやすい単純な構成にしているところが逆に受けた感がある。ギターなどはソロ以外はただコードをディストーションをかけて鳴らしているだけのことが多かった。(もちろんソロもかなり簡単に作っていたがツイン・リードにしてハモる部分などには格好良さが見られた)
 メイクについてはいつになったらメイクをはずし素顔を見せるのだろうと、プロレスラーのマスクのように思われていた時代があったが、とうとう80年代以降にその素顔を見せるようになった。
 メンバー・チェンジは最初にドラムスのピーター・クリスが脱退。以降、エリック・カール→エリック・シンガー。継いでリード・ギターのエース・フレーリー が脱退。以降、ヴィニー・ヴィンセント→マーク・セント・ジョン→ブルース・クリックとなる。オリジナルから替わっていないのがジーン・シモンズ、ポール・スタンレー。
 知名度という点での全盛期はやはり初期の「アライヴU」辺りまでか・・・。以降、メンバー・チェンジにより曲調も変わってきたし、音質もヘヴィではあるが洗練されすぎてしまった?きれいな音質にまとまりすぎてしまって、往年のキッス・ファンにとっては楽器や録音もあまり良くなかった昔の音の方が懐かしいのでは・・・。
 今でもあの『デトロイト・ロック・シティ』のイントロ部分は忘れられない衝撃的な出会いだった。
キッス/ホッター・ザン・ヘル



キッス/アライヴ



キッス/デストロイヤー



キッス/ロックン・ロール・オーヴァー



キッス/ラヴ・ガン



キッス/アライヴU



キッス/ダブル・プラチナム



キッス/リック・イット・アップ



キッス/リヴェンジ



キッス/アライヴV
21 ドゥービー・ブラザーズ
[DOOBIE BROTHERS]
 1970年、ギターでヴォーカルのトム・ジョンストンが知人よりドラムスのジョン・ハートマンを紹介され、まずは活動開始。その後、すぐにデイヴ・ショーグレン(ベース)とパトリック・シモンズ(ギター、ヴォーカル)が合流して正式にドゥービー・ブラザーズと名乗る。この4人がオリジナル・メンバー。
 ウェスト・コースト・サウンドとしてイーグルスと並ぶ代表格であるが、最終的にバンドはかなり大所帯のしかもツイン・ドラムのバンドへと膨らんでいく。メンバー・チェンジを繰り返し結果的に総勢で12名がこのバンドに関わる。
 ただしサウンドの特徴もリーダー格のトムが病に倒れ、代替で加わるマイケル・マクドナルドが中心となって動き出すと、徐々にジャズ色が強くなり、この頃より初期のサウンドからかなりかけ離れてくる。しかしそれはそれで新たな方向性を見出し、失敗という結果にはつながらない。それでもマイケルの色濃くなったこのバンドでオリジナル・メンバーがことごとく脱退していき、1982年には一度解散する。
 しかし、このバンドは多くの人間が関わったにもかかわらず、それほど複雑な人間関係は出来上がらず、いやな解散の仕方をしなかったため、1989年にはファンが想像するよりも短期間のブランクで再結成する。再結成時のメンバーも新たなメンバーは加わらず、それまでこのバンドに関わって活動してきたメンバーが集まった。
 再結成時のメンバーは以下の通り。
   ・トム・ジョンストン(ギター、ヴォーカル)
   ・ジョン・ハートマン(ドラムス、ヴォーカル)
   ・パトリック・シモンズ(ギター、ヴォーカル)
   ・タイラン・ポーター(ベース、ヴォーカル)
   ・マイケル・ホザック(ドラムス)
   ・ボビー・ラカインド(パーカッション、ヴォーカル)
 この後のメンバー・チェンジは、ラカインドが病気で他界。ハートマンとポーターが脱退し、替わりにやはり元メンバーのキース・ヌードセン(ギター)とジョン・マクフィー(ドラムス)が加わる。またライヴではマイケル・マクドナルドも駆けつけることがあり、何度も言うがこれだけの人間が関わっているにもかかわらず、珍しく人間関係はよい。
 それでもバンド自体の特色は初期のアルバムが一番ドゥービーらしいであろう。それが証拠に今でもライヴでは「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」「ロング・トレイン・ランニング」「チャイナ・グローヴ」などのヒット曲を彼ら自ら演奏するのであるから。
ドゥービー・ブラザーズ
/トゥールーズ・ストリート



ドゥービー・ブラザーズ
/ザ・キャプテン・アンド・ミー



ドゥービー・ブラザーズ
/ドゥービー天国



ドゥービー・ブラザーズ
/スタンピード



ドゥービー・ブラザーズ
/ドゥービー・ストリート



ドゥービー・ブラザーズ
/運命の掟



ドゥービー・ブラザーズ
/ミニット・バイ・ミニット



ドゥービー・ブラザーズ
/サイクルズ



ドゥービー・ブラザーズ
/ロッキン・ダウン・ザ・ハイウェイ
 〜ザ・ワイルドライフ・コンサート
22 ジャーニー
[JOURNEY]
 1973年、サンタナ(G)のバンドで活躍していた若きギタリスト、ニール・ショーン(当時まだ20代前半)とキーボーディストのグレッグ・ローリーが中心となって結成されたアメリカのロック・バンド。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・ニール・ショーン(ギター、ヴォーカル)
   ・グレッグ・ローリー(キーボード、リード・ヴォーカル)
   ・エインズレー・ダンバー(ドラムス)
   ・ロス・ヴァロリー(ベース、キーボード、ヴォーカル)
   ・ジョージ・ティックナー(ギター)
 記録的なアルバムを数多く残し、それ故に商業ロックと皮肉られた言い方をされることもあるが、各自のテクニックは勿論、曲作りに関しても有無を言わさず上手いので仕方ない。
 ただし爆発的に売れ始めるのは、4枚目のアルバム「インフィニティ」よりメンバー・チェンジしたヴォーカルのスティーヴ・ペリーが加入し、継ぐ5作目「エヴォリューション」よりドラムスのスティーヴ・スミスが加入してから。
 さらに次から次と出すアルバムがヒットし「エスケイプ」「フロンティアーズ」は圧巻。シングル・カットも片っ端からチャート・インする。特に『エスケープ』『オープン・アームズ』『セパレート・ウェイズ』などは傑作と言われる。実はこの2枚のアルバムの大ヒットには新たなメンバーチェンジ、キーボーディストのジョナサン・ケインが加わったことが関係し、彼とスティーヴ・ペリー両者の作曲能力がこのバンドの最強と言われる時代を作った。
 しかしスティーヴ・ペリーがその後ソロ活動には入り、これがまた当たってしまうが故に、バンドは少しずつ空中分解していく。1986年の「レイズド・オン・レディオ」発表後(実はこのアルバムも既にニール、ペリー、ジョナサンの3人で作ったようなもの)活動を停止する。
 その後、10年間のブランクを経て全盛期のメンバーで再結成されるが、それも1枚のアルバム作成後、ヴォーカルがスティーヴ・オージェリー、ドラムスがディーン・カストロノヴォに替わる。ただしファンの間ではこの新メンバーになってもアルバムのできは良いという評判が高い。
 特筆すべきことは、やはりこのバンドの立て役者は実はギターのニール・ショーンであり、彼のギター・ワークなくしてこのバンドのヒットはなかったであろう。長短に関わらず彼のソロは隙がないほど完璧なソロで、バッキングに関してもその才能はソロと同等の価値があると思われるほどセンスに優れている。ペリー、ジョナサンを評価する人は多いが、10代でサンタナに認められ、いきなり大抜擢されたニールの存在は、常にこのバンドを支えていたのである。

ジャーニー/インフィニティ



ジャーニー/エヴォリューション



ジャーニー/ディパーチャー



ジャーニー/ライヴ・エナジー



ジャーニー/エスケイプ



ジャーニー/フロンティアーズ



ジャーニー/レイズド・オン・レディオ



ジャーニー/トライアル・バイ・ファイア



ジャーニー/アライヴァル
23 エイジア
[ASIA]
 1981年に、イエス、キング・クリムゾン、EL&P、UKなどのプログレ・バンドに在籍していたメンバーが一挙に集められて作られたプログレ・スーパー・バンド。とは言うものの、商業ロックを当初から意識して作られたバンドなので、プログレとは名ばかりで、どちらかというとポップス路線の聴きやすい曲が多く、プログレ・バンドに見られるような大曲はない。どの曲もコンパクトに美味しいところだけを凝縮した大変上手い作りになっている。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・ジェフリー・ダウンズ(キーボード、ヴォーカル)
   ・スティーヴ・ハウ(ギター、ヴォーカル)
   ・カール・パーマー(ドラムス、パーカッション)
   ・ジョン・ウェットン(ベース、リード・ヴォーカル)
 とにかくファースト・アルバム「エイジア」より噂以上の力量を見せつけられる。これ程までに捨て曲がないアルバムも久しぶりである。同様に「セカンド・アルバム「アルファ」もほぼ非の打ち所がない。
 このバンドもメンバー・チェンジが目まぐるしく、特にオリジナル・メンバーは確かにスーパー・プレーヤー揃いだが、それだけに各自の個性も強く、結果的に新生エイジアと呼ばれる段階では、ジェフリー・ダウンズがただ一人オリジナル・メンバーとして最後まで残る。
 個人的にはジョン・ウェットンが抜けた段階で、実質このバンドの全盛期は終わってしまったように思う。ギターのスティーヴ・ハウも出たり入ったりを繰り返すが、テクニックはあるものの、音楽的な方向性を示すほどの影響力は、ジェフリー・ダウンズの方が上であったであろう。
 このバンドのアルバム・タイトルは洒落というか全て凝って作られており、「ASIA」「AQUA」「ALFA」「ASTRA」「ARIA」「ARINA」など、バンド・ネーム同様、Aで始まりAで終わるタイトルとなっている。
エイジア/エイジア



エイジア/アルファ



エイジア/アストラ



エイジア/アクア



エイジア/アリア



エイジア/アリーナ



エイジア/ライヴ・モスクワ

My Favorite Players and Groups