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アース・ウィンド&ファイア
[EARTH,WIND & FIRE]
 1969年、元ラムゼイ・ルイス・トリオのドラマーであったモーリス・ホワイトが中心になって結成されたファンク・ミュージック・バンド。 代表曲に『シャイニング・スター』『ゲッタウェイ』『セプテンバー』『ブギー・ワンダー・ランド』『宇宙のファンタジー』『レッツ・グルーヴ』などがある。大変大所帯なバンドでモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも数多く出演している常連である。
 私が把握している範囲では以下のメンバーが在籍した。
   ・モーリス・ホワイト(ヴォーカル、パーカッション)
   ・フィリップ・ベイリー(ヴォーカル、パーカッション)
   ・ヴァーダン・ホワイト(ベース)
   ・ラリー・ダン(キーボード)
   ・ラルフ・ジョンソン(ドラムス)
   ・アンドリュー・ウールフォーク(サックス)
   ・ジョニー・グラハム(ギター)
   ・アル・マッケイ(ギター、パーカッション)
   ・フレッド・ホワイト(ドラムス)
   ・ソニー・エモリー(ドラムス)
   ・ヤコフ・バン・イスラエル(パーカッション)
 ファンキーさ、ソウルっぽさ、ジャズ的要素などなど、これらが融合し最もうまくからみあって作曲されていた時代が70年代後半であったと思う。この時代に上述したヒット曲も作られており、演奏自体もファンキーでパワフルかつ乗りが良く、おそらくメンバーの年齢的なことやバンドとしてのまとまりが一番あった頃ではないだろうか。今その当時と同じ演奏を試みても、おそらくあれだけ全ての要素が備わった完璧な演奏はできないであろう。
 またこのバンドは確かに全員が凄いのだが、その中でもやはり看板と言っても良いヴォーカルのフィリップ・ベイリーの声質と音域は、同様のヴォーカリストをそう簡単に捜し出すことは難しい。一時、活動休止期間にソロとして活躍するが、その成功はもちろん、フィル・コリンズ(Dr、Vo)とのデュエット曲『イージー・ラヴァー』は全米ナンバー1ヒットとなる。
 個人的には『宇宙のファンタジー』などのヒット曲が入っている「太陽神」というアルバムが、全体的なアルバムのバランスを考えても一番まとまりがあると思っている。
 80年代以降はアルバムを出すも、正直今一つパッとしないどころか、やはり全盛期と比較してしまうので物足りなさを感じる。
 しかしながら驚異的なリズム感を持ち、そう簡単には出せないグルーヴ感をいとも簡単に出してしまう恐ろしいミュージシャンたちの集まりである・・・。
アース・ウィンド&ファイア
/太陽神



アース・ウィンド&ファイア
/エッセンシャル



アース・ウィンド&ファイア
/ライヴ・イン・ヴェルファーレ



アース・ウィンド&ファイア
/太陽の化身



アース・ウィンド&ファイア
/黙示録



アース・ウィンド&ファイア
/魂



アース・ウィンド&ファイア
/天空の女神
イエロー・マジック・オーケストラ
[YELLOW MAGIC ORCHESTRA]
 1978年、衝撃的なデビューを飾る。頭文字をとってYMOとも名乗る(こちらの方が聞き慣れているかも)。今まで聴いたこともないようなコンピュータを駆使した所謂”テクノ・ミュージック”はファースト・アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」より快進撃を続けていき、1983年に突如、彼ら曰く散開(解散ではなく)するまでその人気は海外にまで及ぶ。1993年に一時的に再生(これも彼らの言葉で再結成の意味?)する。
 メンバーは散開まで、細野晴臣(シンセ・ベース、ヴォーカル)、坂本龍一(キーボード、ヴォーカル)、高橋幸宏(ドラムス、ヴォーカル)の固定メンバー。しかし忘れてならないのは陰のキー・マン、コンピュータ・プログラマーの松武秀樹。彼なくしてこのバンドの成功はなかった。彼の存在を知らない人はライヴ・ステージできっと”あのおじさん誰?”という感じであろうが、確かにステージ上でヘッド・ホーンをして、ただ椅子に座っているかのような存在は奇妙だったかもしれない。しかし彼の目の前には常にどでかいコンピュータが何十本ものシールド(コード)とともにあったはず。ライヴでは各メンバーもヘッド・ホーンをしていたが、実はあのヘッド・ホーンはモニターとしてはもちろん、彼らにしか聞こえない受信音が常に流れていた(演奏上の合図とか)。
 またサポート・メンバー(特にライヴで)として活躍したのが、ギターの渡辺香津美、大村憲司(故人)、キーボードの矢野顕子(坂本龍一の奥さん)、橋本一子など。当初、ワールド・ツアーでは渡辺香津美、矢野顕子がサポートするが、プロダクションの関係でアルバムにできず(今となってはその問題をクリアーし、海外ツアーのライヴ版が出ている。特にニューヨーク、ボトム・ラインの録音は圧巻!ただしこの時は渡辺香津美のソロの方が目立っていたかも・・・。矢野顕子も『在広東少年』などを歌うと大受けしていた)、国内ツアーより大村憲司、橋本一子を起用。
 曲調はデビュー当時から少しずつ変化していく。初期はインストルメンタル中心で当然のことながらシンセサイザーを駆使したコンピュータに頼る演奏であり、軽快さが売り物であったが、後期に向かうに従って多少アナログ的な要素が出てきたり、ヴォーカル曲が増えてきた。初期の頃の完全なるテクノ・ポップ系を好むファンは、徐々に彼らの演奏の変化についていけなくなった者もいるかもしれない。逆にそのアルバム毎に徐々に変化する音楽性にまんまとはまって最後までアルバムを買い続けたファンもいることであろう。曲と曲の間に”スネーク・マン・ショウ”や台詞劇を挟んだアルバム「増殖」「サーヴィス」や、そのまま”スネークマン・ショウ”をメインにしたアルバムも出すなど、ユーモアの斬新性にも感心する。
 個人的にはやはり初期の頃のテクノ・ポップがこのバンドを特徴づけ、サウンドとしてもインパクトが残っている。後期は商業色が強くなり(もちろん最初から商業色が強かったが、初期の売りはテクノ・ポップとともに、わざとらしい東洋人の特色を皮肉とユーモアとギャグ・センスで人民服に例えた部分などであった。バンド・ネーム”イエロー”からして皮肉である)、歌謡曲路線になってしまったのが残念なように思う。
 しかし、このバンドは音楽的な意味だけではなく、ファッションや社会性まで世界的に影響を与えた。
YMO
/イエロー・マジック・オーケストラ





YMO
/ソリッド・ステート・サヴァイヴァー





YMO/公的抑圧





YMO/増殖





YMO/BGM





YMO/サーヴィス





YMO/フェイカー・ホリック





スネークマン・ショー
/スネークマン・ショー





スネークマン・ショー
/死ぬのは嫌だ、怖い。
  戦争反対!
ブレッカー・ブラザーズ
[BRECKER BROTHERS]
 1975年にアルバム「ブレッカー・ブラザーズ」でデビュー。名前の通り、兄のランディ・ブレッカー(トランペット)と弟のマイケル・ブレッカー(サックス)によって作られたジャズ、フュージョン、ファンク系バンド。バンドと言っても他のメンバーは固定ではなく、アルバムやライヴ毎に起用されていると言った感じ。
 しかし、そのラインナップは常に蒼々たるもので、デヴィッド・サンボーン(サックス)、ハービー・メイソン(ドラムス)、テリー・ボジオ(ドラムス)、デニス・チェンバース(ドラムス)、ウィル・リー(ベース)、マーカス・ミラー(ベース)、ジェームス・ジナス(ベース)、マウク・スターン(ギター)、ディーン・ブラウン(ギター)、ドン・アライアス(パーカッション)など他にもあげるときりがないほど多くの著名なミュージシャンたちが参加している。これはある意味この兄弟のプレーを信じ、認めているからこそこれだけのミュージシャンが集まると言うことにもなり、逆を言うとこの兄弟が上のメンバーを含め、どれだけ多くのミュージシャンのアルバムやライヴに参加しているかということにもつながる。この2人はスタジオ・ミュージシャンとしても幅広く世界的に活躍している。
 また2人ともそれぞれのソロ活動やアルバム作りをしており、今までにも数多くのアルバムを発表している。
 この2人の存在を決定づけたアルバムが「ヘヴィ・メタル・ビ・バップ」ではないだろうか。スタジオ録音とライヴ録音の両方を織り交ぜたこのアルバムは、とにかく凄いの一言!最初聴いたとき何かそれまで聴いていたジャズ、フュージョン系のバンドが何をやりたいのかはっきりしなかったモヤモヤを一気に吹き飛ばしてくれたかのような気分であった。
 この2人の特徴はやはり何度も言うように、今までにはないタイプのジャズとフュージョン的センス、そしてそれにプラスしてソウルフルでファンクな乗りの攻撃的な演奏がファンを虜にしている。作曲能力にも優れていることは本当に羨ましい限りである。
ブレッカー・ブラザーズ
/ヘヴィ・メタル・ビ・バップ



ブレッカー・ブラザーズ
/リターン・オブ・ザ・ブレッカー・
  ブラザーズ



ブレッカー・ブラザーズ
/ブレッカー・ブラザーズ



ブレッカー・ブラザーズ
/ドント・ストップ・ザミュージック



ブレッカー・ブラザーズ
/ストラップ・ハンギン



ブレッカー・ブラザーズ
/バック・トゥ・バック



ブレッカー・ブラザーズ
/アウト・オブ・ザ・ループ
ナイアシン
[NIACIN]
 1996年、MR.BIGのベーシストであったビリー・シーンが中心となって結成されたトリオの革新的インスト・バンド。同バンドのレコーディングにキーボーディストのジョン・ノベロ(多くのプロデュースも手がけている)が参加したことがきっかけで、このインストルメンタル・ユニットのナイアシンの母体ができあがり、そこにハイ・テクニックでマシンガンのような高速ドラミングを行うデニス・チェンバースが加わる。
 3人ともが高度なテクニックの持ち主なので、それぞれがソロを取っただけでも凄いというのに、この3つ(3人)が融合した演奏はまさに圧巻!特にビリー・シーンのベースはソロの時でなくとも常にバックでソロを弾いているかのようなプレイの連続。ギターがいないので自然とリード楽器はジョン・ノベロのキーボードとなるが、表面的にはキーボードが全面に出ているように思えても、ビリーのベースがギターと同レベルかあるいはそれ以上のインパクトを持って演奏されているので、どの曲もとてもトリオとは思えない出来映えとなっている。
 そこに正確無比とされるマシンガンのようなデニスのドラムが入ってくるので、ビートが利いているだけでなくグルーヴ感も抜群で、他に類を見ないインスト・バンドとなっている。
 音的にはジョンがハモンド・オルガンを多用しているので60〜70年代的な印象を強く受けるかもしれないが、しかしそこにロック、ジャズ、フュージョンのセンスを併せ持ったビリーのベースとデニスのドラムが被ってくるので、それによって全く新しいタイプのイントルメンタルが出来上がっている。
 ライヴでのプレーを見れば、さらにこのバンドの凄さをまざまざと見せつけられることになるだろう。ビリーのネックに埋め込んだ電飾が何とも言えずおちゃめでかわいい・・・?!
ナイアシン
/ビリー・シーン・プロジェクト





ナイアシン/ハイ・バイアス





ナイアシン/ディープ





ナイアシン/タイム・クランチ





ナイアシン/オーガニック





ナイアシン/ライヴ
カシオペア
[CASIOPEA]
 1976年、当時ヤマハが主催していたアマチュア・バンド・コンテスト「EAST WEST」で上位進出を果たし1979年にデビューした日本を代表するフュージョン系バンド。コンスタントにアルバム制作を行い、1年に1枚以上を上回る制作枚数。
 メンバーの変遷は以下の通り。
   ・野呂一生(ギター)
   ・向谷 実(キーボード)
   ・櫻井哲夫(ベース)→鳴瀬喜博
   ・佐々木隆(ドラムス)→神保 彰→日山正明→熊谷徳明
    →サポート:神保彰
 という訳で現在の正式なメンバーは3人。あくまでもドラムスの神保はサポート・メンバーであり、89年にベースの櫻井と脱退後、ソロ活動や他のバンド、ミュージシャンとのセッションを中心に活動している。
 デビュー当時からハイ・テクニックのインスト・バンドとして注目され、商業的にも成功するが、一時期海外進出を意識してかヴォーカル曲を取り入れた頃があり、その時期はそれまでのファンを落胆させ若干低迷するも、再び不死鳥のごとく蘇り、現在も中年パワーで日本のフュージョン・シーンを引っ張っている。
 後にライバル?となるスクエアがデビューし、常に比較されながらしっかりとカシオペアのファン層を維持してきたが、スクエアと比較した時、カシオペアの方がメジャー系の曲が多いように思われる。また曲調も軽く、その要因としてはギターの野呂のコーラス系の音色やカッティング、また神保のドラムの快速で軽快なリズムとスティックさばきが大きな特徴としてあげられる。
 代表曲はなんと言っても未だにこの曲のイントロを聴いただけでライヴ会場が大きな歓声でざわめく『朝焼け』であろう。個人的には神保、櫻井が脱退後に全曲一発取りをしたというアルバム「ザ・パーティー」に、アルバムの出来映えもさることながらその録音事情を知ったこともあり驚いた。
カシオペア/ギグ25

カシオペア/ハレ

カシオペア/カシオペア・ライヴ

カシオペア/サン・サン

カシオペア/ドラマティック

カシオペア/ミント・ジャムズ

カシオペア/フォー・バイ・フォー

カシオペア/ジャイヴ・ジャイヴ

カシオペア/ダウン・アップビート

カシオペア/カシオペア

カシオペア/サンダー・ライヴ

カシオペア/メーク・アップ・シティ

カシオペア/アイズ・オブ・マインド

カシオペア/クロス・ポイント
T−スクエア
[T-SQUARE]
 1976年に明治大学在学中だった安藤まさひろ(ギター)が中心となり、伊東たけし(サックス、フルート、リリコン)などが加わって結成された日本を代表するフュージョン・バンド。当初は”ザ・スクエア”と名乗っていたが、海外で同名のバンドの存在を知り、”T−スクエア”と改める。今ではカシオペアと並んで国内外問わず高評価を得ており、お互いに人気、実力とも譲らないまでに成長した。1978年にアルバム「ラッキー・サマー・レディ」でデビュー。当時のメンバーは今でこそ名前が知れてきたミュージシャンもいるが、実は全員が無名の新人。大学のビッグ・バンドや自身のバンドで活動していたものの、このスクエアで正式にプロ・デビューした。
 オリジナル・メンバーは以下の通り。
   ・安藤正容【リーダー】(ギター・・・明治大学)
   ・伊東 毅(サックス、フルート、リリコン・・・日本大学)
   ・御厨裕二(ギター)
   ・宮城純子(キーボード、ヴォーカル・・・国立音楽大学)
   ・鷺巣詩郎(ソリーナ、シンセサイザー・・・國學院大學)
   ・中村裕二(ベース)
   ・河合誠一(ドラムス、パーカッション)
   ・仙波晴彦(パーカッション、ヴォイス・・・東京芸術大学)
 この当時は全く無名の新人バンドが精力的にアルバム制作を重ねるに連れ、現在のような誰もが知るメジャー・バンドとなるが、その基盤ともなるべきバンドの特徴を作り出したのはやはりデビュー当時より多くの作曲を手がけたリーダーの安藤まさひろである。
 カシオペアが軽快でメジャー系の曲が多いのに対し、スクエアは音的には重厚で(とは言っても乗りが重たいという意味ではなく)、マイナー系の曲調が目立つ。楽器やパートで比較すると、まずはサックス、リリコンのパートがカシオペアにはいないので、この部分のインパクトは最も強い。ギターの安藤の音も伸びのあるディストーション系が比較的多く、またドラムスもメンバー・チェンジが多かったが、特に中期以降活躍した則竹の音はドラムのチューニング自体がカシオペアの神保よりも低めで、ロック・ビート色の強いジャズ、フュージョン系のスタイルである。
 カシオペア同様にCMやBGMで散々曲は使われてきているが、最も知名度のある曲はやはりF1のテーマで知られる『トゥルース』であろう。
 デビュー以降、このバンドに関わったメンバーは以下の通りである。
  ・キーボード・・・久米大作、和泉宏隆、松本圭司、河野啓三
  ・サックス、フルート、リリコン・・・本田雅人、宮崎隆睦
  ・ベース・・・田中豊雪、須藤 満
  ・ドラムス・・・長谷部徹、則竹裕之、板東 慧
T-スクエア/トゥルース


T-スクエア/夏の惑星


T-スクエア/イエス、ノー


T-スクエア/メガリス


T-スクエア/ザ・スクエア ライヴ


T-スクエア/T-スクエア ライヴ
 フューチャーリング F1グランプリ


T-スクエア/マジック


T-スクエア/ロックーン


T-スクエア/ラッキー・サマー・レディ


T-スクエア/脚線美の誘惑


T-スクエア/ナチュラル


T-スクエア/ウェイヴ


T-スクエア/スポーツ


T-スクエア/アドヴェンチュアー


T-スクエア/うち水にレインボー


T-スクエア/メイク・ミー・ア・スター
ディメンション
[DIMENSION]
 1992年に結成されたフュージョン・バンド。
 メンバーは以下の通り。
  ・小野塚晃(キーボード)
  ・増ア孝司(ギター)
  ・勝田一樹(サックス)
 他にサポートメンバーとして、ベースに青木智仁、ドラムスに石川雅春を起用することが多く、他にもライヴではドラムスに神保彰を起用したケースもある(アルバム 13th ディメンション ライヴ・ミレニアム等)。
 とにかくどのアルバムを聴いても”ハズレ”がない。期待を裏切らないバンドである。攻撃的な曲が多いが、その母体ともなるのがサックスの勝田のパワフルかつ情熱的な演奏にある。ギターの増アは攻撃的な一面を持つ反面、メロディアスで滑らかなプレーも忘れない。全体の音のバランスを保っているのがキーボードでアレンジにも優れている小野塚である。この3人が見事に融合し、全員の良さをフルに発揮して出来上がったバンドがディメンションである。
 個人的には1th〜5thアルバムぐらいまでが好みだが、上述した13thアルバムのライヴ・ミレニアムはアルバム全体の構成も良く、またドラムスに神保彰を起用したことなどからも話題性が強い。
 10thアルバムを過ぎた頃からは、打ち込みやリズムマシンを多用するケースが増え、機械的な演奏形態が彼らの良さを打ち消してしまったような面もないとは言えない。
 しかし、このバンドは常に前進することを忘れず、斬新的な演奏スタイルで私たちを驚かせてくれる。短期間で精力的にアルバムを発表していることもあり、今後の活躍も期待される。
ディメンション/2th



ディメンション/4th



ディメンション/5th



ディメンション/6th ライヴ



ディメンション/12th



ディメンション/13th
    ライヴ・ミレニアム
ウェザー・リポート
[WEATHER REPORT]
 1971年に結成されたエレクトリック・ジャズ・バンド。オリジナル・メンバーは以下の通り。
  ・ジョー・ザビヌル(キーボード)
  ・ウェイン・ショーター(サックス)
  ・ミロスラフ・ヴィトウス(ベース)
  ・アル・ムザーン(ドラムス、ヴォイス)
  ・アイアート・モレイラ(パーカッション)
  ・バーバラ・バートン(パーカッション)
 母体となったメンバーは、マイルス・デイヴィス(TP)の元である意味その名声を手にしたザビヌル、ショーターと、ハービー・マン(F)のバンドに参加していたヴィトウスの3人。しかしながら実質は主導権をザビヌルが握っていくこととなる。
 デビューと同時に賛否両論に分かれたこのバンドの出発は、結果的には世界のジャズ・シーンに多大なる影響を残した。
 ザビヌルが求めていたものは前衛的かつファンキーで即興性を重要視したサウンドで、そのこだわりが幾度ものメンバー・チェンジを繰り返した原因でもあるだろう。
 しかしそのこだわりのメンバー・チェンジが、見事にこのバンドの個性を色濃くしてこととなり、特にファンク性にこだわったことから、ベーシストやドラマーの起用は的中する。
 ベースのジャコ・パストリアスや、ドラムスのピーター・アースキン、オマー・ハキムは、このザビヌル、ショーターの双頭バンドを喰ってしまうほどのテクニックと即興性に富んでいた。
 1986年の解散までを追ってみたとき、黄金期はいつか?と言われれば、75年のジャコ加入後から彼が在籍していた時と応える人も多いかもしれないが、ザビヌルやショーターにとっては、そのように言われることを好まないかもしれない。もちろんそれはこのバンドはジャコのバンドではないからである。
ウェザー・リポート/スィート・ナイター



ウェザー・リポート
/ブラック・マーケット



ウェザー・リポート/ヘヴィ・ウェザー



ウェザー・リポート/プロセッション



ウェザー・リポート/ドミノ・セオリー



ウェザー・リポート
/スポーティン・ライフ



ウェザー・リポート
/ライヴ・アンド・アンリリースド
熱帯JAZZ楽団
 全米ビルボード誌ラテン・チャート部門で11週連続首位をキープし、国連平和賞受賞、グラミー賞ノミネートなど世界的に有名となったラテン・サルサ・バンド”オルケスタ・デ・ラ・ルス”のリーダーであったカルロス菅野(Per)が中心となって、正式には1995年に結成されたラテン・ジャズ・ビッグ・バンド。
 カルロス菅野がその人脈と人望により、声をかけたメンバーが一同に終結。カヴァー曲も全てがラテン調にアレンジされ、幅広い年代層からの支持を得ている。精力的にアルバム制作を行うと同時に、ライヴ活動も活気に溢れ、常に満員のファンを魅了し続けている。
 メンバーは以下の通り。
  ・カルロス菅野(Per)     ・美座良彦(Timb)
  ・神保彰(Dr)          ・高橋ゲタ夫(B)
  ・森村献(P)          ・佐々木史郎(Trum)
  ・鈴木正則 (Trum)      ・奥村晶(Trum)
  ・松島啓之(Trum)      ・中路英明(Trom)
  ・青木タイセイ(Trom)    ・西田幹(B.Trom)
  ・近藤一彦(A.sax)       ・藤陵雅裕(A.sax)
  ・野々田万照(T.Sax)     ・宮本大路(B.sax)
熱帯JAZZ楽団
  /LIVE IN YOKOHAMA

熱帯JAZZ楽団/U

熱帯JAZZ楽団/V

熱帯JAZZ楽団/W

熱帯JAZZ楽団/X

熱帯JAZZ楽団/Y

熱帯JAZZ楽団/Z

熱帯JAZZ楽団/[

熱帯JAZZ楽団/\

熱帯JAZZ楽団/]
10 熱帯倶楽部
 2001年、熱帯JAZZ楽団のリーダー、カルロス菅野(Per)が遊び的な要素と熱帯JAZZ楽団にはギタリストがいないことなどから組んだバンド。
 メンバーは1作目と2作目とではギターがチェンジしている。
  ・カルロス菅野(Per)
  ・森村献(Pf),
  ・野呂一生(G)・・・1作目   ・梶原順(G)・・・2作目
  ・神保彰(Dr)
  ・藤陵雅裕(Sax),
  ・美座良彦(Per),
  ・菰淵樹一郎(B)
  ・安則“CHAKA”眞実(V,Cho)
 上述したように遊び的な要素がつまったバンドなので、メンバーも固定するつもりはない?ような感じがある。アルバムも気分で出す?ような感じもする。
 熱帯JAZZ楽団同様、オリジナルとカヴァーを入り混ぜた曲構成でアルバム制作やライヴ活動を行っている。
 ギターがフューチャーされたことにより、熱帯JAZZ楽団とは違ってフュージョン的な要素が強まったことと、曲によってはロックやファンク系のビートの利いたメリハリのある演奏が楽しめる。ラテン・フュージョンと言った感じだろうか・・・
熱帯倶楽部
  /スピリット・オブ・リズム








熱帯倶楽部/ダブル・エッジ
11 安全地帯
 1982年デビュー。メンバー全員が北海道出身のロックバンド。当初は井上陽水のバックバンドをやっていたが、正式に安全地帯というバンド名でデビューする。
 多くの人がオリジナルメンバーだと思っている以下のメンバーだが、実はデビュー曲の「萌黄色のスナップ」まではドラムスが違っていた。(大平市治)
  ・矢萩渉(ギター)
  ・六土開正(ベース)
  ・玉置浩二(ヴォーカル、ギター)
  ・田中裕二(ドラムス)
  ・武沢豊(ギター)
 名曲「ワインレッドの心」に代表されるように、このバンドの特徴は透明感のある音質と、そこに不思議とマッチするハードで伸びのあるディストーション系のギターワークだが、とにかく私はこのバンドの演奏を初めて聴いたときに、日本のバンドにもこれほどまでに演奏技術が高く、いわゆるスタジオ・ミュージシャン系の演奏ができるバンドがあるとはと、ただただ驚かされ一聴してすぐにファンとなった。
 しかし考えてみればそれもその筈である。仮にもあの音にうるさい井上陽水のバックバンドを務めていたわけであるから、そのレベルの高さはお墨付きである。
 アルバムは1th、2th、3thと出すに連れて質を増していくが、いわゆるデビュー当時の刺々しさは徐々になくなり、それが少し残念にも思う。それでも彼らのパワーと溢れんばかりの才能を再認識したアルバムが、3枚組で発売された”安全地帯X”であるが、このアルバムを境に多くのことをやり尽くした感が出始めたことは否めない。
 作曲、編曲の中心となっていたのはもちろん玉置浩二であるが、やはり安全地帯の良さはこのバンドのメンバーでないと味わえないと言うのが本音である。
 それは安全地帯が活動を一時停止し、玉置自身がソロ活動に入るも、正直、どの曲もどのアルバムも絵に例えるならば抽象画を捨てたピカソのようなふ抜けたものばかりだった。
 個人的にはかなり完成度が高く、アルバム構成も良い3thアルバムが好みだが、今聴いても1曲目の「Yのテンション」から終始耳を離せない曲順は圧巻である。
安全地帯/T




安全地帯/U




安全地帯/V 抱きしめたい




安全地帯/X




安全地帯/ライヴ エンドレス




安全地帯/ライヴ




安全地帯/
   ワン・ナイト・シアター 1985
12 チック・コリア
エレクトリック・バンド
[CHICK KOREA
ELEKTRIC BAND]
 1986年結成。チック・コリア(Key)が当時まだ無名に近い新人アーティストを発掘して、新生リターン・トゥ・フォーエヴァーとも言うべき鉄壁のバンドを作る。
 その無名の新人とは今でこそソロでも十分活動を行うことができる、デイヴ・ウェックル(Dr)とジョン・パティトゥッチ(B)である。その2人の凄さを早々と見抜いて起用したチックは、2作目、3作目とアルバムを製作する段階で、さらにそのメンバーを強力に固めていく。
 1thアルバムではギターにカルロス・リオス、スコット・ヘンダーソンを起用しているが、2ndアルバムからは、ギターにフランク・ギャンバレ、そして新たにエリック・マリエンサル(Sax)を加入させる。
 デビュー・アルバムから衝撃的なエレクトリック・サウンドを炸裂させるが、その母体ともなるべき驚異的なリズムは、やはりデイヴとジョンの強力なリズム隊からなる。それだけでも凄かったのに、2作目以降、ギャンバレとエリックが加わったのだから、鬼に金棒とはこのことである。
 しかしながらサウンドは大曲志向のチックにより、徐々に雄大ではあるが何か物足りなさを感じる曲構成となっていき、このメンバーならではのリズミックかつファンクで、鋭利でスリリングな切れ味の良いサウンドは、いつしか聴けなくなってくる。
 それにしても、このメンバーは各自がそれぞれリーダーとして1本立ちできるほどのテクニックと才能を持つことから、ソロ活動(各自のバンド)の方がその持ち味をさらに堪能できるかもしれない。
チック・コリア・エレクトリック・バンド
 /チック・コリア・エレクトリック・バンド


チック・コリア・エレクトリック・バンド
 /ライト・イヤーズ


チック・コリア・エレクトリック・バンド
 /アイ・オブ・ザ・ビホルダー


チック・コリア・エレクトリック・バンド
 /インサイド・アウト


チック・コリア・エレクトリック・バンド
 /ビニース・ザ・マスク


チック・コリア・エレクトリック・バンド
 /ペイント・ザ・ワールド


チック・コリア・エレクトリック・バンド
 /トゥ・ザ・スターズ

My Favorite Players and Groups