NO アーチィスト コ      メ      ン      ト 関連アルバム
1 チック・コリア
[CHICK COREA]
(KEYBORD)

1941年6月12日アメリカ・マサチューセッツ生まれ。音楽一家に生まれ幼少の頃よりある意味英才教育を受けていたようなもの。名実ともに全てのジャンルのキーボーディストの中でトップの座に居ると言っても過言ではない。'60年代にマイルス・デイヴィス・グループへの参加で脚光を浴びたという言い方を多くされるが、逆にマイルスがチック・コリアのお陰でフュージョンという新しい分野の開拓に成功したという見方もある。独特のフレーズやコード進行、作曲・編曲などその才能には限界がなく、多くの名演奏、名アルバムを残している。20世紀に残したいジャズベスト10の堂々1位を獲得したのも、リターン・トゥ・フォーエヴァー時代のそのままのタイトルである「リターン・トゥ・フォーエヴァー」である。またマイルス同様に若手育成・発掘に貢献し、特に80年代に結成されたエレクトリック・バンドでは数々の新進気鋭の若手ミュージシャンを起用し、現在でも彼らは世界のトップ・ミュージシャンとして活躍している。比較的ラテン色の強い作曲が目立つが、作曲として知名度が高い曲は「スペイン」「ラ・フィエスタ」「ウィンドウズ」などがある。近年はジャズだけでなくアコースティックなライブや、オーケストラとの共演も企画するなど積極的に新分野開発を行っている。

チック・コリア/リターン・トゥ・フォーエヴァー




リターン・トゥ・フォーエヴァー
/ライト・アズ・ア・フェザー




チックコリア・エレクトリック・バンド
/ビニース・ザ・マスク




チックコリア・エレクトリック・バンド/1st

2 ハービー・ハンコック
[HERBIE HANCOCK]
(KEYBORD)
11歳の若さでシカゴ交響楽団と共演を果たすという類い希なる逸材。まあ俗に言う天才の部類とは彼のことを言うのであろう。言わずと知れず10代にしてジャズ界に進出し、ジャンルに関わらずあらゆる方面で活躍するが、元来、音楽と電子工学で修士号を取得していることなどからしても、彼自身がエレクトリック・ブームを自ら予感していただけでなく作り出そうとしていたことはあまりにも計画的だったのかも知れない。エリック・ドルフィーやマイルス・デイヴィスなどの大物ミュージシャンとの活動もさることながら、アルバム『ヘッド・ハンターズ』での「カメレオン」はあまりにも当時としてはショッキングな電子音であったに違いない。ノーマルな作品では「処女航海」も有名であるが、80年代頃からはアルバム『フューチャー・ショック』の「ロック・イット」で分かるように、世界中がロックやソウルでひしめき合ってヒット曲を作るのに誰もが四苦八苦していた時代であるというのに、いとも簡単に斬新的なエレクトリック奏法(ターン・テーブルなどを駆使)で世界中のトップに躍り出るなど、才能の宝庫とはまさに彼のことを言うのであろう。そのような証拠となる一つには映画『ラウンド・ミッドナイト』でアカデミー賞を獲得するということなどからも垣間見ることができるであろう。

ハービー・ハンコック/処女航海




ハービー・ハンコック/ヘッド・ハンターズ




サオウンド・トラック/ラウンド・ミッドナイト




ハービー・ハンコック/フューチャー・ショック

3 ジョー・サンプル
[JOE SAMPLE]
(KEYBORD)
クルセイダーズのメンバーとして活躍したことはあまりにも有名。以来、脱退後もソロやセッション・ミュージシャンとして精力的に活動を続ける。70年代を中心に制作された当時のジャズ、ソウル系のアルバムには必ずと言って良いほど、キーボーディストとして彼の名前が載っている。90年代から2000年代にかけてもソロ活動だけではなく、マーカス・ミラー(B)、エリック・クラプトン(G)などとアルバムを制作したりツアーに参加するなど、若手ミュージシャンの間に入りながらも彼の持ち味を生かした渋く、かつファンキーな演奏を繰り広げている。メローかつスリリングの両面を持ち備えた貴重なキーボーディストである。

クルセイダーズ/ストリート・ライフ




ジョー・サンプル/サンプル・デイズ
4 ゴンサロ・ルバルカバ
[GONZALO RUBALCABA]
(KEYBORD)
1963年、キューバ、バハマ生まれ。超絶技巧はと言われるピアニスト。幼少の頃より家族の影響でピアノやパーカッションをはじめ、そのリズム感やラテン的な乗りは自然と身に付いたものであるが、羨ましいとしか言いようがない。音楽家として最も重要となる音感とリズム感を自然と持ち備えただけに、彼の演奏は多くのプロ・ミュージシャンの耳に留まり、いつしかプロとしての道を歩むようになるが、最も鮮烈なデビューとも言える大一歩目は89年のモントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏と言われている。以降、多くのセッションやレコーディングは勿論だが、自身のバンドを従え精力的にライヴ活動やアルバム制作を行ってきている。一言で言うならその力強くかといって滑らかな指の動きと音の持って行き方が特徴であるが、やはりラテンシブな演奏は誰にも負けないと言えるだけの一際目立った自信とエネルギッシュさがみなぎっている。一度聴いてみるとその歯切れの良いリズムと演奏の痛快さが分かるであろう。

チャーリー・ヘイデン/ノクターン





ゴンサロ・ルバルカバ/ラプソディア
5 ヤン・ハマー
[JAN HAMMER]
(KEYBORD)

1948年、チェコ、プラハ生まれ。4歳よりピアノをはじめ、14歳でジャズのレコーディングを行う。プラハ・アカデミーでさらに作曲・ピアノを学び、プラハ音楽祭出演、ウィーン音楽コンクールで優勝、最終的にはバークリー音楽院に入学し、卒業後は一段と磨きをかけて音楽会に殴り込みを多々かけていく。作曲・編曲に優れ、自らのバンドや指揮によるライヴも多く開くが、ギター・キッズやロック・フュージョン系のファンにはおそらくジェフ・ベック(G)との共演が最も知名度の高い活動としてインプットされていることであろう。アルバム『ワイアード』『ゼア・アンド・バック』『ライブ・ワイアー』など、一時のジェフ・ベックの活動には欠かせない存在であったことは間違いない。もしかしたら彼の存在がなければあそこまでジェフ・ベックが有名になったかどうかと言うことも過言ではないかも知れない。大変多才な才能の持ち主でジェフ・ベックのアルバムの中ではキーボード以外にドラムを叩くこともしばしばあった。一般的には映画『マイアミ・バイス』のサントラで彼の名を知ることになった人も多いのでは・・・?


ジェフ・ベック/ワイアード




ジェフ・ベック/ゼア・アンド・バック




ジェフ・ベック・ウィズ・ヤン・ハマー・グループ
/ライヴ・ワイアー

6 塩谷 哲
[SATORU SHIONOYA]
(KEYBORD)

1966年東京生まれ。東京芸大音楽学部を中退し、あの世界的に活躍したカルロス菅野率いる”オルケスタ・デ・ラ・ルス”の専属ピアニストを任される。デ・ラ・ルスでは国連平和賞受賞、グラミー賞にノミネートされる。ラテン色の強い演奏が目立ったせいか、それをきっかけにカルロス・サンタナ(G)などのラテン系ミュージシャンとの共演も数多くこなしてきた。その後も渡辺貞夫、坂田明、小曽根真ほか様々なジャンルの音楽家と共演している。デ・ラ・ルス解散後は同リーダーであったカルロス菅野が声をかけて作った”熱帯ジャズ楽団”などでもその腕前を惜しみなく披露している。作曲・編曲にも優れ自身のバンドやソロ活動など多才な一面を見せる。近年、最も注目を浴びたユニットが”フォー・オブ・ア・カインド”【沼澤尚(Dr)、青木智仁(B)、本田雅人(Sax)】で、個性あふれる4人の超絶技巧ミュージシャンの集団はアルバムは勿論、ライヴでもすざまじい演奏を繰り広げている。ラテン的なソロも魅力的だが、スローな曲やソロ・プレイでのアルファー波の出る流れるような演奏は仕事疲れでガチガチになった頭の中を洗脳してくれるにはもってこいである。


フォー・オブ・ア・カインド
/ライヴ・アト・ブルー・ノート




フォー・オブ・ア・カインド
/フォー・オブ・ア・カインド2




熱帯ジャズ楽団/ライヴ・イン・ヨコハマ
7
ジョン・ロード
[JON LOAD]
(KEYBORD)

言わずと知れず、あのハード・ロック・バンド”ディープ・パープル”のキーボーディスト。その過激な演奏により酷使された腕が腱鞘炎になったことはあまりにも有名。パープル解散後”ホワイト・スネイク”をデヴィッド・カヴァーディール(Vo)、イアン・ペイス(Dr)らと結成するが、90年代よりパープルを再結成する。70年代パープル時代の作曲・編曲はリッチー・ブラックモア(G)と彼のものが大半を占めるが、その中でも彼のアレンジは細かな部分でパープルの音楽構想を支えてきたに違いない。古くさい音と言われてしまえばそれまでだが、当時としては電子オルガンにディストーションをかけたような濁った音は、まさに”ハード・ロック”の”ハード”というイメージに限りなく近かった。しかも当時のブリティッシュ・ロックの人気を二分した”レッド・ツェッペリン”には基本的にはキーボーディストがいなかった(ただしベースのジョン・ポール・ジョーンズが弾くこともあったが)。このようなことからもパープルの音の厚みを常に支え続けてきた彼の役割は大変大きかった。と同時に当時のロック・バンドにありがちであったヴォーカル部分よりももしかしたらソロ・パートの方が遙かに長いのではないかと言う曲構成上、ジョンのキーボード・ソロは他のバンドと比較してもハードかつメロディアスで圧巻であった。特に有名なソロは「ハイウェイ・スター」「バーン」ではないだろうか。この手のバンドのソロの特徴は、ライヴの度にソロが違う、つまりアドリブ奏法でジャズ的な要素をふんだんに盛り込まれたことなども、私の場合は出されるライヴ・アルバムを片っ端から買ってしまう原因ともなった。


ディープ・パープル/マシン・ヘッド




ディープ・パープル/ライヴ・イン・ジャパン




ディープ・パープル/イン・ロック




ディープ・パープル/バーン




ホワイト・スネイク/サーペンス・アルバス
8
矢野顕子
[AKIKO YANO]
(KEYBORD、VOCAL)
東京生まれの青森育ち。青森と言えば太宰治、寺山修司・・・。何か共通するインスピレーションがあるようにも思われるほど独特な世界を持つプレーヤー。3歳でピアノをはじめ、高校時代よりセッション・ミュージシャンとして活躍するというある意味天才肌。もともとソロ活動を中心にピアノで弾き語りをするプレーヤーであるが、その独特な歌い方と音の使い方にはかなりの定評がある。最も興味深いことは某国営放送で以前、彼女の特集をしたとき、彼女がアドリブで弾き語った歌を芸大生が譜面にするということをやっていたが、結局、譜面にできない部分が幾つか出てきたことである。プレーヤーであり作曲家である坂本龍一の妻であることは有名だが、今思うと”KYRYN・BAND”や”イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)”【坂本龍一(Key)、高橋幸宏(Dr)、細野晴臣(SynB)】のサポート・メンバーとして参加していたこと等がきっかけだったのだろうか・・・。”KYRYN・BAND”では「I'LL BE THERE」、”YMO”では「在広東少年」のヴォーカルがとても印象的である。”YMO”の海外ツアーでは同じくサポート・メンバーで同行した渡辺香津美(G)の方が目立ってしまったという経緯があったが、彼女が飛び跳ねながら演奏したり歌ったりしていた様子も、香津美の次に人気があったと聞いている。最も知名度のある彼女自身の曲はベスト10入りした「春咲小紅」ではないでしょうか?個人的にはアルバム『ごはんができたよ』も好きですが・・・。
矢野顕子/ひとつだけ




渡辺香津美/ワン・フォー・オール




渡辺香津美/キリン




イエロー・マジック・オーケストラ
/FAKER HOLIC
9 坂本龍一
[RYUICHI SAKAMOTO]
(KEYBORD、COMPOSER)
1952年、東京生まれ。東京芸術大学大学院卒。20代にしてすでにスタジオ・ミュージシャンとして活動をはじめ、渡辺香津美(G)率いる”KYLYN BAND”に参加するなど、日本のフュージョン・シーンの走りを築く。その後、アルバム『千のナイフ』でソロ・デビューし、ほぼ同時期に言わずと知れずあの世界的なテクノ・ブームを巻き起こしたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)【高橋幸宏(Dr)、細野晴臣(SynB)】を結成。また作曲家としての定評も高く、数々の映画音楽、コマーシャル・ソング、そして時には他のミュージシャンへの曲の提供など幅広く作曲活動を行っている。その作曲家としての知名度の火付け役ともなった映画『戦場のメリー・クリスマス』は、まさに彼が単なるヒット曲メーカーではなく、一音楽家としての威厳ある地位を築いたものとなり、その確たる証拠となったのが映画『ラスト・エンペラー』でのアカデミー賞作曲賞受賞であった。YMO時代を含め映画音楽などに共通する作曲上の特徴は、単純性や繰り返しの中にも実は複雑なコード感が漂っていたり、繊細でマイナー系たっぷりの曲であるにもかかわらず、分厚く重厚なサウンドであったりという、聴き手からすると入りやすく聴けば聴くほど奥が深いという、実は完全に計算され尽くした曲構成になっているところが、さすが芸大出の”教授”(あだ名)と呼ばれるだけのことはあると、ただただ敬服するのみ。自分が作曲した映画にも俳優としてちゃっかり出演しているところがまた憎いところでもある。

坂本龍一/戦場のメリー・クリスマス




坂本龍一/ラスト・エンペラー




イエロー・マジック・オーケストラ
/ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー




イエロー・マジック・オーケストラ
/FAKER HOLIC
10 ライル・メイズ
[LYLE MAYS]
(KEYBORD)
1953年、アメリカ、ウィスコンシン州生まれ。彼については多くを語れないのが残念であるが、何故かというとほとんど彼に関係したアルバムがパット・メセニー(G)との共作だからである。つまり言いかえると”パット・メセニー・グループ”のキーマンと言うことにもなる。メセニーとは大学時代のジャズ祭で知り合ったようであるが、以降、お互いに吸い込まれるかのように引き合い、音楽に対する共通の考え方や感性がかなりピタッと一致しているようである。ここでフェイヴァリット・キーボディストとして取り上げたのは、そんな彼の演奏が再三触れているように”パット・メセニー・グループ”を根本から支える中心人物であることと、おそらく彼がいなければこのグループは今のように大成していなかったであろうと言う私の独断と偏見の考え方からである。しかし”パット・メセニー・グループ”を好んで聴いているファンはきっと私が思うこの意味が分かるのではないかと思う。この2人の類い希なる逸材による演奏技術がマッチしてこそ”パット・メセニー・グループ”はあるのであり、今更持ってして彼らの驚異的なリズム感や演奏技術に触れることは必要ないであろう。あの透き通った風のようなサウンドと、ラテンともボサノバとも取れる独特のリズム感は、この2人の絶妙なコンビネーションによって生まれるのであり、この2人にしか出せないサウンドであることは間違いない。
パット・メセニー・グループ/スティル・ライフ




パット・メセニー・グループ/レター・フロム・ホーム




パット・メセニー・グループ/トラヴェラー




パット・メセニー・グループ
/スピーキング・オブ・ナウ
11 小曽根真
[MAKOTO OZONE]
(KEYBORD)
1961年、神戸生まれ。幼少よりピアノをはじめ、小学生時代からマスコミに取り上げられるほどの天才児。父の影響でジャズに興味を持ち始め独学で学ぶが、12歳にしてあの巨匠オスカー・ピーターソンの影響を受け始める。以降、現在に至るまで常に彼の頭には演奏スタイルとしてこのオスカー・ピーターソンの存在がある。15歳にして神戸のジャズ・フェスティバルでソリストとしてデビュー。1980年に渡米しバークリー音楽大学に入学。その後、同大学ジャズ作曲・編曲科部門を主席で卒業。以降、ニューヨークを中心に在住のジャズ・プレーヤーたちと多くの共演を果たす。90年代に入って帰国し、国内での活動を積極的に行うようになる。現在では国内外に捕らわれず精力的に多くのミュージシャンとの接点を大切にしながら、自身の作曲活動やアルバム制作に意欲的に取り組んでいる。前述しているように幼少の頃よりの天才肌からか、彼の演奏一音一音の響きがアルファー波を呼び起こし、個人的にはトリオ編成などの少人数、あるいはソロとしての演奏の方が彼の持ち味を最大限に引き出Sるのかもしれないと感じている。
小曽根真/ウィザード・オブ・オゾネ




小曽根真/パンドラ




小曽根真/ネイチャー・ボーイズ
12 ジョージ・ウィンストン
[GEORGE WINSTON]
(KEYBORD、GUITAR、
 HARP)
 1949年生まれ。ヒーリング系、環境音楽系としての印象が強く、その分野の音楽を聴いて彼のファンになった人は大変多いことであろう。しかし彼はロックやジャズ、R&B、ブルースなどを幼少の頃から聴き、実はそちらの方面の作曲などの方が多いようである。また楽器もピアノ一本と思いがちであるが、器用な人でギターやハーモニカも演奏する。
 日本に限らず世界的に大ヒットしたのが、アルバム「オータム」特にその中の『ロンギング(あこがれ)』であると思うが、この作曲に当たっては、当初よりシリーズものにしようと考えていたようで、その後も「ウィンター・イントゥ・スプリング」「ディセンバー」「サマー」「フォーレスト」などが続編として制作されている。
 いろいろな音楽に影響されてはいるものの、やはり音楽に対するこだわりは並大抵のものではない。ライヴに行ったことがある人はお分かりだと思うが、楽器の音以外はどんな小さな雑音も許さず、裸足で演奏するのである。つまりピアノのペダルを踏む音でさえ気になるようなのだ。
 彼の演奏に限らずヒーリング系、環境系の音楽にはまりたい人は、彼同様、ウィンダムヒル・レーベルに所属するプレーヤーの演奏を聴いてみてもいいかもしれない。
ジョージ・ウィンストン
/オータム


ジョージ・ウィンストン
/ウィンター・イントゥ・スプリング


ジョージ・ウィンストン
/ディセンバー


ジョージ・ウィンストン
/サマー


ジョージ・ウィンストン
/フォーレスト

My Favorite Keybordist