NO アーチィスト コ      メ      ン      ト 関連アルバム
1 マーカス・ミラー
[MARCUS MILLER]
(Bass)
現存するエレクトリック・ベーシストとして頂点に立つ存在と言っても過言ではない。プレイヤーとしてだけでなくプロデューサーとしてもその活躍ぶりは顕著である。彼を一躍有名にしたのはマイルス・デイヴィス(Tp)のお陰であるという見方が強い。もちろん才能があったからこそマイルスのバンドに引き入れられたのだが、無名に近い若手ミュージシャンを発掘し育てることで知られるマイルスとの出会いは、その後の彼のミュージシャンとしての生き方を決定付けたかもしれない。ソロ・アルバム(リーダー・アルバム)も現在までに数多く出しており、どれも質が高く聴き応えがあるのは確かだが、他人の曲やアルバムに参加しているときの方が演奏に緊張感やスリルがあると思っているのは私だけであろうか。自身のマーカス・ミラー・プロジェクトではかつての自分がマイルスに発掘してもらったのと同様に、若手ミュージシャンを積極的に引き連れてツアーを精力的に行っている。とにかく彼のライヴに一度でも行くと分かるが、アルバムを自宅で聴くよりも数段パワフルかつワイルドな演奏を聴くこと(見ること)ができ、そのテクニックもチョッパーだけでなくスラップ、タッピングなど目を見張るものがある。私個人が今でも最強のライヴと思っているのは、1982年の読売ランド・イースト野外スタジオで行われたデヴィッド・サンボーン(Sax)、オマー・ハキム(Dr)、ディーン・ブラウン(G)、ドン・アライアス(Per)という超豪華メンバーで行われたもので、なかでも「ラン・フォー・カヴァー」「スネークス」には度肝を抜かれた。器用な人でバス・クラリネットも特技としており、ライブでは時折吹いてみせる。家族を何よりも大切にしているという一面があり、家族あっての演奏活動であると常に話している。

マーカス・ミラー・プロジェクト
/アウト・オブ・ザ・ワールド



マイルス・デイヴィス
/ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン




マイルス・デイヴィス/WE WANT MILES




マーカス・ミラー/M2〜パワー・アンド・グレイス




マーカス・ミラー/キング・イズ・ゴーン

2 ジャコ・パストリアス
[JACO PASTORIUS]
(Bass)

1951年、ペンシルバニア州生まれ。35歳の若さでこの天才が死んだ報告を受けたときは、ジャズ・ファンならず多くのミュージシャンや関係者にショックを与えたことであろう。直接の死因はいまだに謎の部分があるが、ナイト・クラブの出入りを制止されたことに腹を立てガードマンとの乱闘の末、意識不明になったとか、酒とドラッグに溺れ金がなくなった末にコンビニに強盗に入り射殺されたとか、あるいは元来持病としてあった躁鬱病が原因かとか・・・。天才狂人紙一重という言葉は彼のためにあるような言葉かも知れないが、そんなことはどうでもよく、とにかくベースの革命児、いまだに多くのプロ・ベーシストが彼を尊敬し影響され続けていることを知ればそんなことは本当にどうでも良いことだ。彼は自身のバンドやリーダー・アルバムも多数出しているが、ウェザー・リポートに在籍していたことを忘れることはできない。このバンドでは『ブラック・マーケット』というアルバム制作に最も貢献したといわれるが、『ヘヴィー・ウェザー』の「ティーン・タウン」という彼が作曲した曲は、いまでも度肝を抜かれるプレイである。当初、ジャコはジョー・ザビヌル(Key)【ウェザー・リポートのリーダー】に何度もデモ・テープを送るがザビヌルはそんなテープには聴く耳を持たず2年間も放置されていた。そんなある日、ベーシストのチェンジを考えていたところふと2年前にもらったテープを聴き、当時としてはエレキでフレットレスという音が斬新的で、ザビヌル自身、どうしてこのような音がベースで出るのか信じられず、即採用となったようである。


ウェザー・リポート/ヘヴィー・ウェザー




ウェザー・リポート/ブラック・マーケット




ジャコ・パストリアス/ワード・オブ・マウス




ジャコ・パストリアス
/ ジャコ・パストリアスの肖像

3 リチャード・ボナ
[RICHARD BONA]
(Bass)
ジャコの再来と言われるが、彼自身、ジャコを尊敬し大変な影響を受けていると思われるも、私からすると既にそのテクニックはジャコを遙かにしのぎ、マーカスがチョッパーの天才ならば、ボナはランニング、フィンガーリングにおいて超絶技巧と言ってよいだろう。基本的にはセッション・ミュージシャンであるが、そのセッション数は数限りなく、近年の蒼々たるビッグ・アーティストとの共演はほとんど果たしていると思われるほど、今や人気ナンバー1のベーシストである。国内では渡辺貞夫(Sax)や渡辺香津美(G)が、海外アーティストでは、マイク・スターン(G)、パット・メセニー(G)、デヴィッド・サンボーン(Sax)、マイケル・ブレッカー(Sax)などが、彼とのレコーディングやセッション、ライヴを数多く行っており、その多くが彼を半専属的な位置づけとして自身のバンドに参加させているなど、超多忙なスケジュールをこなしている。彼が他のベーシストとさらに異なる部分は「歌えるベーシスト」という点であり、さらにその歌も言語ともハーモニーとも判断の付かない楽器としてのヴォーカルであることと、それをベース・ソロの時に被せてフューチャーするなど大変な器用ぶりを見せることである。

渡辺香津美/MO’BOPU




渡辺貞夫/サダオ2000




マイク・スターン/ジーズ・タイム



パット・メセニー・グループ
/スピーキング・オブ・ナウ
4 ビリー・シーン
[BILLY SHEEHAN]
(Bass)
タラス、デヴィッド・リー・ロス、MR.BlG、などのロックバンドを渡り歩き、特にMR.BIG時代にはあの超絶技巧のギターのポール・ギルバートを食ってしまうかのような知名度をもたらした。ベースをギターのように弾く男、あるいはギター以上に弾く男と言っても過言ではない。ランニング、チョッパー、タッピング、ハンマリング、ネック・ベンディング、デュアル・アウトプット、4フィンガー・ピッキング、一人多重奏など・・・どれもこれも自由自在にまるでそれはギターの弦の太さと同じように弾きまくる。特注のベースを愛用し、ライヴで見る限りはシールドを2本刺すように作られている。最近ではネックに電飾を施してサービス精神旺盛である。その彼が一体何を一番音楽としてやりたいのか。現時点でも答えが見つからないが、それはナイアシン【ジョン・ノベロ(Key)、デニス・チェンバース(Dr)】というそれまでとは全く違ったヴォーカルなしのジャズ・フュージョン・バンドをトリオで結成し、精力的に自身がリーダーとなって活動していることや、また他にもテリイ・ボジオ(Dr)やスティーヴ・ヴァイ(G)などと言ったプログレ系のセッション・ミュージシャンとの交流を頻繁に持ち始めていることでも元来プログレやインストルメントに興味・関心が強かったのかも知れないと言う感を持たせる。いぜれにせよ彼の本領発揮のプレイを聴きたいのならば、とりあえずはこのナイアシンという超絶技巧バンドのアルバムを聴くことをお薦めする。

MR.BIG1/HEY.MAN




ナイアシン/ナイアシン




ナイアシン/ライヴ




ナイアシン/ハイ・ヴァイアス

5 アンソニー・ジャクソン
[ANTHONY JACKSON]
(Bass)
1952年6月23日、ニューヨーク生まれ。ベースというと4弦というのが当たり前だったが、なんと6弦ベースの第一人者としてすでにそのプレイは有名。ギター同様にその6弦ベースを弾きこなす様は、申し訳ないが恰幅の良い容姿からすると想像もできないような流れるようなフィンガーリングを得意とする演奏で、尚かつ体との比較でおもちゃのように見えるベースが尚のこと魔術のように弾きこなしているような錯覚に陥る。70年代よりニューヨークを拠点にセッション活動を始めるが、ロバータ・フラック(Vo)のバックや、リー・リトナー(G)、アル・ディメオラ(G)などのグループで活動する。80年代からは、ミシェル・カミロ(Key)やデイブ・ウェックル(Dr)らと、フュージョン・スタイルの“フレンチ・トースト”を結成し、スティーブ・カーン(G)のグループにも参加するなどした。その後もミシェル・ペトルチアーニ(Key)、ラルフ・マクドナルド(Per)、マイク・マイニエリ(Vib)らとの共演を果たすなど、他にも著名なミュージシャンとのセッション、レコーディング、ライヴ活動に数多く起用されている。基本的にはセッション・ミュージシャンとしての活躍の場が多く、自身がリーダーとなって活躍することは少ない。

アル・ディ・メオラ/エレガント・ジプシー




深町純/ライヴ




リー・リトナー/ジェントル・ソウツ




サイモン・フィリップス/アナザー・ライフタイム

6 スタンリー・クラーク
[STANLEY CLARKE]
(Bass)
1951年7月21日、フィラデルフィア生まれ。当初、モダン・ジャズに傾倒していたこともあり、ウッド・ベース(アコースティック・ベース)でその才能を発揮していたが、70年代よりファンク、ソウル・ブーム等の影響を受け、一気にエレクトリック・ベースに転向する(とは言うものの、そのバンドの特色や独自の発想で両者を弾き分けている)。70年代前半はチック・コリアの第1期リターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーとなり活躍。その後もジャズ、フュージョン系のセッション・ミュージシャンとして引っ張りだこであり、ソウル、ファンク系のソロをチョッパーなどを入り乱させながらガンガン弾きまくるが、やはりその演奏スタイルの背景には往年のモダン・ジャズで培った基礎が随所にフレーズとして見られ、マーカス・ミラー(B)とはまた違った持ち味のファンク、チョッパー系ベーシストである。マーカスが歯切れの良いメリハリのある音に対して、クラークは多少こもったウッド系の響きの音が特徴であり、新しきの中にも古きを残しているといった感じがする。ジェフ・ベック(G)やジョージ・デューク(Key)との共演、また90年代後半には、アル・ディメオラ(G)、ジャン・リュック・ポンティ(Vio)とRite Of Stringsを結成し、精力的に活動を続けている。

リターン・トゥ・フォーエヴァー/
リターン・トゥ・フォーエヴァー




フューズ・ワン/フューズ




デオダート/ツアラトゥストラはかく語りき



マーカス・ミラー・プロジェクト
/アウト・オブ・ザ・ワールド
7 ロン・カーター
[RON CARTER]
(Bass)
1937年、アメリカ、ミシガン州生まれ。「ミスター・ジャズ・ベース」と言われるほど、ジャズのベーシストのなかのベーシスト。10歳の頃よりチェロをはじめ、高校の頃よりベースに興味を持ち始める。イーストマン音楽院とマン ハッタン音楽院で学位を得るなど、理論派、インテリ派でも知られる。20代よりそのジャズ・ベースに関する才能が開花しはじめ、多くのジャズ・プレーヤーから誘いを受けるが、なかでも60年代のマイルス・クインテッド【マイルス・デイヴィス(Tp)、ハービー・ハンコック(Key)、トニー・ウィリアムス(Dr)】に抜擢されたことは彼を一躍有名にする。その後、ジャズに限らずあらゆるジャンルの演奏を試み、多くのミュージシャンのレコーディングに参加している。ウッド・ベースの弦を縦横無尽に動いていく様は圧巻としか言いようがないが、弦をスライドさせながらの奏法が彼の特徴であるかとも思えば、あまりに激しくフィンガーリングすることで弦とネックによる打音が録音されていることもしばしば。暖かみのある演奏と鋭い攻撃的な演奏の両方を持ち備えている。日本ではジャズをあまり知らなかった人も、ウィスキーのコマーシャルで彼が弾いた曲と演奏シーンが流れ、その曲が収録されたアルバムはかなりの話題を呼んだ。

マイルス・デイヴィス/
マイ・ファニー・ヴァレンタイン





ハービー・ハンコック/処女航海





ロン・カーター/マン・ウィズ・ザ・ベース             
8 桜井哲夫
[TETSUO SAKURAI]
(Bass)
1957年東京生まれ。カシオペアのベーシストとしての知名度が最も高いであろう。慶応大学商学部卒業という高学歴の持ち主でもあるが、在学時に野呂一生(G)と出会いカシオペアを結成する。カシオペアのリズム隊の母体として長年に渡ってドラムの神保彰とその存在感をアピールし続けてきたが、1989年にカシオペアを脱退。以降、ソロ活動や自身のリーダー・アルバムの作成に力を注いでいる。その後、神保彰もカシオペアを脱退し2人で”ジンサク”というユニット系の活動を行い、アルバムも数枚作成する。2000年に入っては海外ミュージシャンのグレッグ・ハウ(G)、デニス・チェンバース(Dr)らとアルバム「ジェントル・ハーツ」を発表し話題を呼ぶ。日本のフュージョン界では元祖チョッパー男と言われるくらい、当時としてはこれほどのチョッパーを弾くベーシストはいないと思われた。その後の国内のベーシストへの影響はかなり大きかったと思われる。ある意味、あのチョッパーの音がないことを想像すると、カシオペアのサウンドを影で支えていた大きな存在であったといえるであろう。

桜井哲夫/ジェントル・ハーツ




カシオペア/アイズ・オブ・マインド




JIMSAKU/ディスペンセイション

9 須藤 満
[MITGURU SUDO]
(Bass)

1964年山形生まれ。中学時代からベースに興味を持ち始め、名門、山形東高校から東京学芸大学教育学部に進学し、数学の教員免許を持っている。在学時に軽音楽部に所属しオーディションによりT-SQUAREに加入。T-SQUARE在籍時は専らライヴのメンバー紹介でこの部分を強調され笑いを取った。彼の演奏を聴けば分かるが、早くからマーカス・ミラーなどのチョッパー奏法に影響を受け、プロに転向後もその腕に磨きをかけ、東の桜井哲夫(カシオペア)、かたや西の須藤満と言われるくらい、T-SQUAREにとっては無くてはならないリズム隊を築き上げる。2000年にはT-SQUAREを脱退し、ソロ活動やセッション・ベーシストとしてKORE-Chanz、KORENOSなどのサポート・メンバーを務める。長年、T-SQUAREでの同僚であった則竹裕之(Dr)とのチーム・ワークは絶妙で、2人だけのパフォーマンス的な演奏を聴くだけでも十分に聴き応えがある。T-SQUARE時代のアルバムやライヴでもそのような2人だけの掛け合いが間々見られた。


T-SQUARE/夏の惑星




T-SQUARE/LIVE featuring F-1 GRAND PRIX THEME
10 青木智仁
[TOMOHITO AOKI]
(Bass)
1957年生まれ。神奈川県出身。中学時代よりギター、ベースに興味を持ち始める。19歳の時に出場したヤマハのコンテストでベーシスト賞を受賞したことがきっかけでプロとしての活動を始めるようになる。以降、スタジオ・セッション・ミュージシャンとして数多くの曲を録音しており、B's、SMAP、大黒摩季、石井竜也、さだまさし、杏里、SPEED・・・・・・その数は挙げていくときりがないほどである。しかし彼の基本となるベース・スタイルはやはりジャズ、フュージョン系のプレイであり、80年代には角松敏生(G)のプロジェクトへの参加、90年代には渡辺貞夫(Sax)グループで海外ツアーに参加するなど、彼の腕前を高く評価する人は数知れない。90年代後半から2000年にかけては、カシオペアやT-SQUAREの人気を抜く勢いのフュージョンバンド”ディメンション”【増崎孝司(G)、小野塚晃(Key)、勝田一樹(Sax)】のサポート・メンバーとしての活躍や本多雅人(Sax)との共演も数多く、そのつながりで結成されたバンド”FOUR OF A KIND”【本多雅人(Sax)、塩谷哲(Key)、沼澤尚(Dr)】のデビューは衝撃的であった。

ディメンション/ライブ・ミレニアム




ディメンション/6th




フォー・オブ・ア・カインド/
ライヴ・アト・ブルー・ノート

My Favorite Bassist