1枚の写真から・・・  

信じられないマイ・ドキュメンタリー

みなさんはたった1枚の写真から人捜しを始めたことがありますか?しかも外国で・・・


 1995年12月。この話は私の新婚旅行騒動から始まる。
 32歳で結婚した私はそれが遅いか早いかは別として、昔から新婚旅行は国内でと決めていた。
 理由は簡単なことで、私の家族は昔から外国へ行ったことがない。そして何故かというと私が小さいときから

 (1)外国は危険なところ
 (2)飛行機が飛ぶのはおかしい
 (3)お金がかかる

 この3拍子は貧乏な絵描きの家族にとっては十分すぎるほど海外へことごとく行かないための言い訳になっていた。
 ということで、私は30歳過ぎまで国内線ですら飛行機に乗ったことがなく、新婚旅行も真面目に飛行機に乗らずに済む近場の熱海か箱根で良いと思っていた。

 しかし、実際問題としてうちのかみさんは違っていた。というより今考えると当たり前に思うが、この国際化時代に30歳過ぎまで外国に行ったことがないと言うのも、私ぐらいの年齢層では珍人類に入るかも知れない。しかも国内線にすら乗ったことがないというのは・・・。(しかし未だにうちの両親は70歳過ぎるが外国へ行ったこともなければ、おそらく今後も行くことがないだろう.。もちろん飛行機にも乗ったことがない)
 
 結局、「熱海、箱根」と言っていたら本気で怒られ、それならばと私が出した条件が以下のものである。

 (1)安全な国
 (2)英語圏の国
 (3)日本と時差のない国
 (4)長時間、飛行機に乗らなくて良い国

 そして結果的にこの4つの条件を満たした国がオーストラリアであった。

新婚旅行は国内で・・・

人生観が180度変わった旅に

 オーストラリアの旅は結果的には大変快適なもので、人間というのは何事も経験しないうちに文句を言ってはいけないなとつくづく感じた。

 快適さの一つには妻が英語の教師であったことはラッキーであった。私もあそこまで英語がベラベラに話せるとは思わなかった。何度か向こうで騙されそうになったり、トラブルに巻き込まれそうになったときにも、しっかり英語で対処できた彼女の語学力には恐れ入った。

 それはともかくとして、やはり一番感動を与えたものは現地の景色やそして何故だろうか?向こうの人たちの大変暖かい気遣いや優しさであった。それと同時に日本と時間の流れが違うこと。慌ただしくなく、空気が重苦しくなく、それ故人間一人ひとりにもゆとりが見られる。

 これはまさに私にとってはカルチャー・ショックであった。そしてその時「何故もっと早くに、そしてもっと若いうちに外国へ行かなかったのだろう・・・」という後悔の言葉さえ出てきた。
 なぜならこの年になってもこれだけのインパクトを受けると言うことは、もっと若い10代、20代で来ていれば、もっと良い意味でショックを受け、さらに吸収するものも多く、もしかしたら私の人生も変わっていたかも知れない、それくらいにも思ったのだ。
 この時以来、私は声を大にして子どもたちには言っている。「お金は後で稼いで返せばいい。親に借金してでも外国へ若いうちに行くべきだ」と。

 この時、私達夫婦が訪れた場所は
 (1)パース
 (2)ブリスベーン
 (3)エアーズロック【アリス・スプリング】
 (4)ケアンズ【グレート・バリア・リーフ】

 特に私が気に入った町はパースであったが、ここには住んでも良いと思った(今でもそう思う)。そう思ったのは私だけではなく、あの旅行家、兼高薫さんも「世界一美しい都市」と絶賛している。
 私はこの新婚旅行を機に、この後、むさぼるように数年連続で毎年海外旅行を決行するが、カナダ、クロアチア、ニューヨーク、イタリア、ドイツなどなど。確かにどこの国もどこの町も良かったが、でもやはりパースが一番気に入っている。

いよいよその出来事が・・・

 さて、このドキュメンタリーのテーマである事件がいよいよ起きようとしている。
 事件は前述した私の大変気に入った町”パース”で起きる。

 パース市内から約30分ほど歩いたところに”キングズ・パーク”という有名な公園がある。小高い丘の上に作られたこの公園からは市内が一望でき、特にパース市内にそびえ立つ高層ビル群が不思議と自然にマッチして目に映るから、これも日本と外国の環境都市計画の違いからか・・・。

 ここでのんびりと公園内を見学した後は、やはり知らず知らずのうちに歩いて疲れていたのか、さすがに帰りはバスに乗って市内までと思っていたら、駅前までなら無料のバスが出ていることを知った。
 これはラッキーと思い、バスの運転手に「このバスはパース駅近くまで行きますか?」と尋ねると「うん、行くよ!」との答えだったので飛び乗った。ところが・・・

 さて皆さんは外国では日本のように親切に電車やバスの車内で次の駅名、停留所名をアナウンスしないということを知っていましたか?私達はてっきりアナウンスが流れるものと思いこみ、いつまでもいつまでも乗っていたのです。

 段々様子が変だと気付いた頃には、もうバスの車内には私達夫婦しか乗っていませんでした。しかも歩いても30分ほどだったのにすでにバスには1時間以上も乗っていたのです。
 そしてバスはいつの間にか終点へ・・・

 そこはパース市内からかなり離れた田舎町のように私達には思えました。後で聞いたらその辺の土地は100坪で家とプールがついて約500万円(日本円です)というではないですか。

 私達はその終点で運転手さんに声をかけました。「あの〜・・・駅はまだですか?」驚いたのは運転手さんです。「お前たち、まだ乗っていたのか?駅はとっくに過ぎたよ!」
 ガー〜ン・・・・・・
 「じゃあ、どうしたらいいですか?」私達はすかさず聞きました。するとその親切な運転手は「ここにいても次のバスは1時間以上もないよ。もし良かったらこのバスは新しい出発地点まで行き、そこからまた駅の方に向かう。それでよかったらこのまま乗っていても良いぞ!」と言うので、私達はそのご厚意に甘えてそうさせてもらいました。

どこまで親切なんだ!

 次の出発点まで私達を運んでくれたこの運転手は、出発までまだ時間があるからと、なんとガイドブックを開いてパース市内の観光案内をしてくれた。
 「ここはいいぞ!ここは是非行っておく方がいい!」なんか私達がミスしたというのに全然そんなことは気にせず、いろいろとそれ以外にも話をしてくれた。
 そして「今度はどこで降りたらいいか言うから安心しな。」と言い、バスは再びパース市内へ向かって走り出した。

 この時から私達夫婦は降りるときにはできる限りのお礼をしたいと思い、パース駅前までバスが着くのをひたすら待った。ところが・・・!

 ところが、この運転手さんは途中の停留所で次の運転手さんと交替してしまったのだ!しかもその時に次の運転手に
「この2人は間違って終点まで行ってしまったんだ。パース駅まで行ったら教えてあげてほしい。お金は取るな!」と言って振り向きざまに手を振るとにこりと笑ってそのまま行ってしまった。

 私達はお礼を言うタイミングを逸してしまい、ただただ
「あっ!・・・あ、あぁ・・・」と言うしかなかった。しかしとっさに私はカメラのシャッターを切っていた。その親切な運転手を一生忘れないようにと・・・。

話は3年後に・・・





 結局、その後、この親切な運転手のことが気にはなっていたものの、私達も新婚旅行の残りの行程があったため、とりあえずはその予定を消化して無事帰国した。
 私にとって初めての海外旅行は、当初の不安や先入観、偏見などはどこへ行ってしまったのだろうと言うくらい、大変有意義なものとなり、大収穫となった。

 この翌年、お陰様でカナダへ行くことができ、トロントからナイアガラ、そしてバンフへ行き、あのバンフ・スプリング・ホテルへ泊まり、レイク・ルイーズやカナディアン・ロッキーを満喫し、最終的にはヴァンクーバーから帰国した。

 この2年間で大量に溜まった写真の整理を徐々に始めていると、あの懐かしい写真が出てきた。オーストラリアの親切な運転手である。
「この人、今頃どうしているかなぁ・・・」そんな会話を夫婦でしていた。

 そして海外旅行がやみつきになりかけ、さらに翌年はどこへ行こうかと計画を始めていた頃、とんでもない無謀な計画が持ち上がった。
「この人、探しに行ってみる?」
 たった1枚の写真からである・・・。しかも日本国内ではなくオーストラリアに・・・。でも私達夫婦には無駄足に終わっても良いという気持ちが強かった。それくらいあの時の嬉しい気持ちと何もお礼ができなかった気持ちが一緒になって、この無謀な2度目のオーストラリア旅行、名付けて”人捜し旅行”を計画せざるを得ない気持ちで一杯だった。


予想もしない困難を来す・・・!


 1998年8月。その無謀なオーストラリア旅行が決行される。
 
 パースでいよいよその運転手捜しをするに当たって、まずはバス案内所へ行き、
「この写真の人を知っていますか?」と尋ねた。すると「ここではちょっと分からないから、駅前のバス停にある各会社の事務所へ行ってくれ」と言われた。

 次にその事務所へ行き、まず1回目のショックな出来事を耳にする。
「この写真のユニフォームを着た会社は3ヶ月前に他の会社と統合されて今ではこの会社はないわ。その服を着ている人もいないかも知れない。詳しいことを知りたければパース市内中央にあるバス総合センターに行くしかないわ」と言われた。
 つまり最悪はこの会社は倒産して従業員も解雇されている可能性があると言うことなのである。

 諦めるにはまだ早い。早速、今度は市内中央のバス総合センターに行ってみた。ここはその名の通りいろいろなバス会社が入り込んでターミナルより次から次とバスが発着している。
 その総合案内所へ行き同じく写真を見せるも
「3ヶ月前のバス会社の統合で大きく運転手は入れ替わっている。それに名前も何も分からないのではちょっと厳しいわね」と言われてしまい、私達の間ではかなり諦めムードが漂っていた。

 するとそこへ偶然にも写真と同じユニフォームを着た運転手が通りかかった。
「すいません!この運転手さんをご存じですか?もし知っていたら教えてほしいのですが!」
 これでだめならもう諦めようと思っていたら、その人の口から
「おー!こいつはトニーじゃないか。彼は南米のコロンビアから来た運転手だよ」
 神様がこの人に出会わせてくれたのか。私達は思わず喜びの声を挙げると同時に
「今どこにいるんですか?」と尋ねた。
「今はここにはいないよ。パース駅から電車で5つほど先の駅で降り、そこからまたバスに乗ったところにある営業所にいる」

 もちろん私達はここまで来たら諦めきれないので、電車に乗り、バスに乗り、その言われた営業所まで行くことにした。天気はいつの間にか雨になり、私の頭の中もいつの間にか井上陽水の”傘がない”が流れていた。

感動の瞬間!


 営業所に着くと生憎トニーは路線バスの運転中だった。
 営業所の人たちはみな笑いながら
「なんで日本からわざわざ尋ねてきたんだ?」と不思議がられたが、「以前に親切にしてもらったんだ」と答えるしかなかった。
 そしてそのトニーのバスが何時頃、どの道路のどのバス停を通るか教えてもらい、私達はひたすらそのバスが来るのを待った。

 いよいよそのバスが見えてきた。私の目頭は既に熱くなっていた。バスが停留所に止まった。ドアが開いた。そこには紛れもなくトニーの姿があった。あまりにも私がジロジロ見るので少し驚いていたようであったが、私達は仕事の邪魔をしてはいけないと思い、今度は自分たちの意志で終点までつき合うことにした。
 幸いにして終点は先程降りた駅であった。

 全員が降りた後、妻が英語で話しかけた。私達からすると大変親切にしてもらった出来事も彼にとってはきっと当たり前のことをしたという感覚であったのだろう。いくら詳しく話しても思い出すことができないようで、ただただ驚いているばかりだった。しかも
「そんなことでわざわざ日本から来たのか?」とむしろそのことの方を驚いているようであった。

 そのバス停からのお客が次から次と乗り込んできたので、5分も話せなかったかも知れない。私達はお土産にと持ってきた日本の風鈴を手渡した。トニーは
「どこのホテルに泊まっているんだ?後で電話するよ!」と言って、その場は仕事に戻るしかなかった。私達もその状況を察し、別れを告げるとその足で電車に乗りパース市内のホテルへ戻った。

 長い一日であったが、この旅行の一番の目的を果たしたという満足感と、何か言葉にし難いものが胸の中からこみ上げてきていた。そうこうするうちに一本の電話がホテルに入った。トニーからだった。
「先程はありがとう。明日、一日開いているんだ。良かったらパース市内を案内するよ。予定はどうなっている?」と聞かれたが、残念なことに次の日は移動日となっていた。トニーは
「じゃあ、また日本に手紙を書くよ。それから先程もらったものはなんだい?どうやって使うの?」というので、
「風鈴、ウィンド・ベルだよ。家の軒先などにぶら下げて、その音を楽しむんだ」と伝えた。

日本にもある・・・!いいところ!


 今でも時々このオーストラリア旅行の時のアルバムを開く。そしてトニーの写真を見てはこのことを思い出す。いつかまた会いに行ってみたい気もするし、これはこれでもう終わらせた方がいい話なのかも知れないと思ったりもする。

 海外へ行くと常に日本と比較して物事を見てしまう。大抵の場合、日本が悪く見えることが多いが、もちろんその逆に日本の良い部分も見えてくることもある。
 日本が悪く見えることの多くは道徳心やマナー、宗教心に関することかも知れない。
 外国ではホテルでも道ばたでもどこでも会うと、知らない人同士でも挨拶をする。時間がのんびり過ぎる。無理をしない。欲張らない。大人が子どもを注意する。ゴミを散らかさない。法律に厳しい。秩序がある。その根底には常に神を拝んでいる。

 今の日本はどうだろう。道徳心のない青少年、しかし実は大人も道徳心がない。マナーがない。挨拶をしない、できない。大人が子どもを注意できない。宗教は多神教。結局、何でも良い、何でもあり。

 でもこれは都会?に多い現象で今でも田舎ではどうなのだろうか。お互いが声を掛け合ったり支え合ったり、知らない旅行者にも挨拶をしてくれたり、ダメなことはダメと言ってくれたり、神仏は良く拝んだり、だからこそ道徳心、マナーに優れていたり・・・。

 人に感謝する気持ちが少なくなってきているのではないか・・・。自分中心、やったもの勝ちの今の日本には、もはや助け合う気持ちはなくなってしまったのだろうか・・・。

 何か大切な物をこの数十年の間に失っていってしまった・・・。誰がいけないのだろうか?誰のせいなのだろうか?この問いかけ自体が他人のせいにしているのではないだろうか?
 
 ”日本の財産”と聞かれて、あなたならなんと答えるでしょうか・・・。



パース市内の高層ビル群
ケアンズ市内で宿泊した ケアンズ・インターナショナル・ホテル
パース市内のカフェ。時の経つのも忘れる・・・
グレート・バリア・リーフに浮かぶフィッツロイ島より
時間がゆっくり動いていく・・・
キングズ・パークのモニュメント
キングズ・パークからパース市内を望む。
親切な運転手、トニーがいきなり降りてしまう・・・
この写真を手がかりに旅は始まった!
アリス・スプリングにあるマウント・オルガ
パース市内から車で約3時間。ピナクルズ岩石群
夜のパース駅
親切な運転手、トニーを知っていたバス会社のおじさん
パース市内よりすぐのスカボロー・ビーチ
パースから車で約3時間の田舎町、サーバンテス。
ピナクルズ岩石群の拠点
原住民アボリジニが神と崇め奉るエアーズ・ロック
パース近郊の地平線が見える場所での夕日