サロメ

Beardsley ああ! あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、
ヨカナーン、おまえの口に口づけしたよ。
サロメ ワイルド 福田恒在訳
王女サロメが、母親のエロディアスと再婚したヘロデ王からの視線を避けて建物の外に出ていると、予言者ヨカナーンの声が聞こえます。サロメは、彼女に一目惚れしている親衛隊長のナラボスにヨカナーンを連れて来させて、ヨカナーンを誘惑するが拒絶され、ヨカナーンはヘロデ王とエロディアスの罪を糾弾する。
ヘロデ王が「なんでも望みを叶える。」ことを条件にサロメに踊るよう懇願する。サロメは官能的な7つのヴェイルを踊ってからヨカナーンの首を要求する。サロメは銀の皿に乗ったヨカナーンの首に口付けする。
19世紀の後半に水に漂うオフィーリアが、首を持つサロメのモチーフに変貌してゆく。1862年にフローベールがポエニ戦役での傭兵マトオとサランボウの恋を『サランボウ』に書く。
サランボウは飾りや頸輪や腕輪を外し、裳の長い白衣を脱いだ…ピトン(大蛇)は再び首を下げて来て、胴體のまん中を彼女の頸筋にかけ、頭と尻尾を垂れて、丁度切れた頸飾りの両端が床に曳きずられてでもいるようになった。サランボウは、それを脇腹に、腕の下に、膝の間に巻つけた。それから、その頸を捕え小さな三角の口を自分の歯先まで持って行き、半ば眼を閉じて、月光の下にのけ反り返った。白々とした光は、銀の狭霧で彼女を包むようだった。
サランボウ フロペール 神部孝訳
1876年にパリの画家ギュスターブ・モローが『出現 サロメ』を描いてサロメがこの時代の女性を象徴します。ユイスマンスは『さかしま』にモローのサロメを、
彼女は今や、いはば、天地創造以来存在する堕落の女神の象徴的化身、不滅のヒステリーの女神、呪われた美の女神となったのである。
と書く。

これらのサロメの主題がワイルドに集まって、1893年にワイルドがフランス語の『サロメ』を書く。ビアズレーがこれを読んで1893年に雑誌『The Studio』にサロメの絵を発表する。1894年の英語版の『サロメ』の挿絵をビアズレーが描くが、出版社の要求で絵を修正する。
岩波文庫の現在の『サロメ』は修正前の『エロディアス登場』、『サロメの化粧』の挿絵が掲載されている。
『サタデー・レビュー』はビアズレーの挿絵を「日本的テーマに綯い交ぜられた、フェリシアン・ロップスをふざけてもじった手法で描かれた挿絵は、新しい型の文学的拷問である。サロメの作者が拷問にかけられているということは誰も疑うことができない」と論評する。
ブラム・ダイクストラは『倒錯の偶像』にワイルドの『サロメ』をこう解釈している。
サロメに女性の現実的な欲望を、ヨカナーンに男性の理想主義を対置して、サロメが放つエロティシズムに美を、ヨカナーンが話す言葉に観念を対置させ、サロメを殺すヘロデ王は美と言葉の間に揺れ動く人間である。
サラ・ベルナールがロンドンで『サロメ』を上演するための練習を始めるが、禁止令が出て実現しなかった。 1905年リヒアルト・シュトラウスはワイルドの『サロメ』を台本にオペラを作曲します。

Beardsley
JUDITH(SALOME) KLIMT

Original: 2003-jan-01; updated: 2003-**-** (C) by TAKESHI SASAKI